アカデミー賞監督を感動させた3,600万人の抱擁。“抱きしめる聖者”アンマ来日インタビュー

インタビュー

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『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』

「ダバダバダ♪」のスキャットが印象的な主題歌とともに、映画ファンの心に強い印象を残したクロード・ルルーシュ監督の名作『男と女』(1966年)。今年の10月で79歳を迎える恋愛映画の巨匠が最新作『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』で描いたのも、『男と女』同様、酸いも甘いも嚙み分けた大人の恋。さらに、本作で興味深いのは、3,600万人を抱擁してきた実在の聖者アンマ(正式名:シュリー・マーター・アムリターナンダマイー・デーヴィ)が、アンナとアントワーヌが繰り広げる恋の行方を左右していること! このたび、本作に登場したアンマが来日。ルルーシュ監督に“アンマの抱擁には、アカデミー賞やパルムドール賞を受賞した時よりも感動を覚えた”と言わしめたアンマにお話を伺いました。

Q:本作では、夫婦愛、実らない恋、親子愛など、さまざまな愛の形が描かれています。アンマ自身、愛はこういうものであるべき、という理想をお持ちですか?

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インドの聖者アンマ

愛には多くのレベルがあります。様々な形の愛のどれ一つとして、否定することはできません。わたしたちが今持っている最も低いレベルの愛でさえ、執着だと言って否定することはできません。執着であるその種の愛は、惹きつけられたり嫌悪を感じたりというたぐいのものですが、そういう愛でさえ、次のレベルの愛に登るための、踏み石として使うことができます。最も大切なのは、そこに留まらないことです。登り続けて下さい。愛の頂上を目指して下さい。どんな形の愛も否定できません。それは、温度に0度~100度といった、様々なレベルがあるようなものです。それと同じように、愛にも様々なレベルがあります。本当の愛は、I love you ではなく、I am love (自分自身が愛そのものになること)です。それが愛の頂点です。

本当の愛は、器から器へ注がれているオイルのような、途切れることのない流れです。真の愛は、そのように永続的なものです。永遠で、変えることのできない気持ちです。例えば、「明日の午後8時に、妻に愛を表そう」と思うのは、おかしなことです。夫が世界のどこにいようと、いつであろうと、愛というものは、永遠に変わらない、ある”状態”だからです。その愛に目覚めれば、愛しか存在しなくなります。愛とは、ただ存在するものです。形式的なものから、究極的には、形のないものになるべきものです。そうなって初めて本当に、私心のない愛を表せるようになり、社会に私心なく奉仕できるようになります。そういう愛が、わたしたちの内に常にある、わたしたちの本当の性質です。

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それは、首につけているのに忘れている、ネックレスのようなものです。誰かに言われて、身につけているのを思い出す、ネックレスのようです。あるいは、忘れてしまって、最初の一節を言ってもらわないと思い出せない歌のようなものです。今わたしたちは、愛をいくつもの破片に分けてしまっています。お父さんにはある種類の愛、お母さんには別の種類の愛、隣人にはまた別の種類の愛、子供や妻や会社の同僚や自分の持ち物には、それぞれ別の種類の愛、というふうに、愛を無数のカケラに分けてしまっています。そしてそれらのカケラを、無数の細いチューブを通して、送っているかのようです。わたしたちは愛を分割してしまいましたが、本当は、愛はひとつです。自分の内にあるその愛に気づけば、すべてが完全になります。氷は水の最も粗い状態で、小さな空間に固まっています。氷が水に変わると、より精妙になり、より広く広がることができ、力も増します。水が蒸気にかわると、さらに精妙になり、さらに広がり、力も最も強くなります。愛の純化はこれに似ています。わたしたちは、自分が行うあらゆる霊性修行やあらゆる行為を自分の愛を純化するプロセスとみなすべきです。

Q:本作の登場人物たちは、恋愛に関してモラルより己の気持ちを優先しますが、アンマが最優先するものは何でしょう?

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モラルというものは、様々な解釈をされています。国によっても違いますし、それぞれの人の心の構造や、文化によっても、解釈が異なっています。そのような違いによって、愛というものも様々に解釈されているかもしれません。しかし、愛の最も純粋なあり方は、一つしかありません。それに別の解釈を当てはめることはできません。純粋な真の愛は、普遍的です。

映画の中の二人は、インドでパートナーとは別の人への思いを持ったかもしれません。ですが、この映画を作った人が、世の中に伝えたいと思っている基本的なメッセージは、環境が、各自の本来なすべきことと違うことをさせうる、ということかもしれません。ですから、気をつけなくてはいけません。映画の中で、二人が恋に落ちた後、皆がバラバラになりました。しかし、映画を作った人が、伝えたかった主なメッセージは、彼らがアンマに会って本当の愛を経験した、ということのようです。そして、完全な愛というものは、彼らがそれまでに経験してきた愛とは違うと気づいた、ということを世の中に伝えたかったようです。誰でも、環境に惑わされて誤った道に進む可能性があります。ですから、注意深くいなくてはいけません。さもないと、自分の本当のダルマ(義務)を忘れてしまいます。自分の夫や妻や子供への義務を忘れてしまいます。人生のあらゆる状況において、一定程度のセルフコントロールを働かせていなくてはいけません。さもないと、自分の心に支配されてしまいます。

様々なものに魅力を感じるのは、人間の性(さが)です。きれいな花があれば、自然にそれを見ますし、香りもかぐかもしれません。また、時間を知るのに十分な腕時計を持っていても、もっと高級な腕時計を見ると魅力を感じるかもしれません。でも、目的は何でしょう?目的を理解するべきです。目的は時間を知ることで、時間を知るのに2つも時計はいりません。このように、心は様々な幻想を作り出します。そして、人間はその犠牲になりがちです。ですから、心を超えられるようにならなくてはいけません。状況を超越することで、その状況をより正しく見られるようになります。

Q:今後、本作をきっかけとして、アンマを知る方も増えると思います。ご自身がダルシャン(抱擁)するシーンが映画に登場したことをどうお考えですか?

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ダルシャンを見た人たちが、もし、自分自身の内側を見つめて、真の愛が、外の世界にではなく、自分自身の内にあることに気づいてくれたら、嬉しく思います。それは、すでにその人の内にあるものが、何かに指し示されるようなものです。ダルシャンを見ることが、その役に立てば幸いです。

『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』
9月3日よりBunkamuraル・シネマほか全国順次公開
配給/ファントム・フィルム
© 2015 Les Films 13 - Davis Films - JD Prod - France 2 Cinéma

取材・文/田嶋真理
アンマによる回答/特定非営利活動法人 国際チャリティ協会アムリタハート

記事制作 : dmenu映画

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