【ブルボンヌ新作批評16】遺伝子を遺せない老いたゲイたちが、 この世界に「生きた証」とは『人生は小説よりも奇なり』

コラム

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アタシたち性的少数者が否定される時、耳にタコができるほど聞かされた言葉が「種の保存に反する」「子孫を残せないのは生物としておかしい」ってやつなの。そんなイジワルにはきちんと反論もできるけど、いい年こいてくると「自分が生きる意味、証って何だろう」なんてメランコリックな想いが増えるのも事実なのよね。LGBT映画特集のラストを飾るのは、そんな焼きが回った年増心に深く染み入る作品でございます。

これまでご紹介してきたのは、性的少数者の存在自体が語られていなかった時代のフロンティアだったり、根強い差別の残る現代社会で女性たちと共闘したりと、未来に向けての闘いがテーマでした。悲しみの記憶や、希望への闘いが、LGBT映画の基本。でもその闘いの結果、現実に多くの先進国で同性パートナー法などが生まれた今となっては、さらに「その先」の問題も見えているんですね。

物語の主人公は、39年連れ添ったゲイカップル、画家のベンと音楽教師のジョージ。つい数年前からニューヨークでも可能となった同性婚を挙げ、親戚や友人たちに祝福される幸せな二人の様子が映し出されます。つまり、今までのLGBT映画が願っていたゴール地点から始まるんですよ。ところがそこから、(運悪くキリスト教系のお堅いところだったため)学校を解雇され、医療保険も消滅、アパートも売却しなければいけない、という出来事が続き、二人はそれぞれ親戚や若いゲイカップルの家に居候をする、離れ離れのゲイじいさんになってしまうのでした。

みんなが祝ってくれていたはずなのに、居候生活となるとそれも別。昼間の仕事がはかどらなくなった弟の奥さんも、二段ベッドの下を取られた甥も、家にいるゲイじいさんを疎ましく思うようにもなります。逆に、深夜までホームパーティ三昧の若いゲイカップルたちの空間にいるのも、もうそんなテンションにはついていけない。そう、同性カップルに限らず誰しもに訪れる、老いて居場所がなくなっていく寄る辺ない心が描かれているんです。

でも、居場所を追い出されたことで触れ合える「つながり」もある。甥にとって、たまに会う伯父さんが、うっとおしい居候になったことで、初めて本音を晒してぶつかり合い、ゲイじいさんなりの想いと生き様が伝わったんです。この、ゲイのおじいさんからストレートの若者に受け継がれる想いというのは、アタシの大好きな、イアン・マッケランおじい様主演の『ゴッドandモンスター』という名作にも通じるコンセプト。アタシたちが「遺す」べきものは、血筋や遺伝子という生物学的つながりが不可能だからこそ、むしろ全く違う立場の人たちといかに精神的につながれるか、ということなんじゃないかと気づかされるのです。

ベンが甥を優しく見守り、友人と街の風景をカンバスに刻んだように、ジョージが教え子たちに音楽を奏でる魂を伝え、父兄たちにまだ残る偏見を訴えたように、次の世代に託した想いのかけら、それこそが守るべき種であり、自分の証を遺すということなんじゃないでしょうか。

同性婚という幸せのピークを越えた先を描く設定だけに、派手さはありません。友達グループで笑って観ようってタイプの作品にはならないのは確か。でもアタシはいつも、祭りの後の静けさこそが怖かった。この映画は、そんな不安を優しく包み込んでくれる毛布のような贈り物でした。試写室で隣に座った一回りくらい年上の多分ゲイのおじさまが、エンドロールでメガネを取りながら何度も何度も涙を吹いていた姿が忘れられません。彼も、映画の中の二人も、みんなつながっている。肉体もセンスも老いて、ニーズや寝る場所を失っても、どうか、生きたことを呪わずにいられる、つながりと物語を。

『人生は小説よりも奇なり』
全国大好評公開中!
配給:コムストック・グループ
(C)Love is Strange, LLD

記事制作 : ブルボンヌtwitter(外部サイト)

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