文=ロサンゼルス在住ライター 町田雪/Avanti Press

2anber

去年のヴェネチア国際映画祭に参加したアンバー・ハード
© Pierre Teyssot / Maxppp

日本では、芸能人による麻薬所持や傷害など深刻な事件が相次ぎ、不倫や私生活での失態がネットやメディアで議論される状況が続いている。それぞれの事件において、法的・倫理的な重大さはもちろん、関わる人々、影響を与える対象などが異なるため、決して横並びにできるものではないが、「世論が1人の有名人を裁く」という共通項において、米国の世論との違いを感じることが多い。

米国では今、来年のオスカー最有力候補ともいわれる映画『ザ・バース・オブ・ア・ネーション』の脚本・製作・監督・主演を務めたネイト・パーカーに、学生時代のレイプ疑惑が浮上。ここ数年、米大学キャンパスでのレイプ問題が頻繁に議論されていることもあり、重大な話題となっている。また、家庭内暴力が発覚し、前妻との離婚沙汰が報じられたハリウッドのトップスターのジョニー・デップ、リオ五輪で泥酔し、器物破損などをしたうえで、強盗に襲われたと虚偽の申告をしたとして、批判に晒されている米水泳スターのライアン・ロクテら、日本同様に、有名人による事件や失態がメディアや世論を騒がせている。

新進映画監督に過去の疑惑! メディアや関係者の対応は?

彼らが犯した過ちは深刻で、彼らに向けられる目は辛辣。それは言うまでもなく、米国でも同じだ。ただし、本人たちの人間性や人生をすべて否定したり、スキャンダラスな推測を重ねるよりも(もちろん、ネット上でそうしたコメントは多くある)、「そのことにどう対応するのか?」「この先、どのような姿勢を見せていくのか?」を待つスタンスが、米国の報道にはあるような気がする。性犯罪、家庭内暴力、外国での傍若無人……。それぞれの事件が炙り出す本質的な問題を考える機会として、声を上げ、己を振り返り、各々の立場を明確にする意見も多い。

前述のパーカーは、自身が19歳のときに関わったとされるレイプ事件の被害者女性が、2012年に自殺していたことが発覚した。批判に晒される中、Facebookで女性の苦しみと家族の悲しみへの絶望的な気持ちを綴りつつ、当時の行為が、双方同意のものであったことを主張。その上で、「それでも道徳というものがあります。娘たちを持つ36歳の父親となった今、10代の自分を振り返り、もっと思慮深く行動すべきだったと心から思います」と綴った。同投稿のコメント欄には、キャンパス・レイプの被害者を含む多くの人々からの憤りの言葉が並び、同映画のボイコットを表明する人も。こうしたなか、配給会社のフォックス・サーチライトはパーカーをサポートし、映画を予定通り公開するとした。今後の映画祭や一連の賞レースに向け、パーカーには厳しい道が待っているが、世界が注目する立場にいるからこそ、これからの発言と姿勢が重要となる。

スキャンダルを社会的問題の提起に変える

デップと前妻アンバー・ハードにおいては今月、離婚における和解が成立。2人は共同で、「私たちの関係はとても情熱的で、不安的なときもありましたが、いつも愛で結ばれていました」と声明を出した。ハードはデップから離婚金として支払われる700万ドル全額を、家庭内暴力の被害者を支援する団体と、自身が長年支援してきた小児病院に寄付することを発表。そこに至るまでには、双方様々な思惑や事情があったと思われるが、単なる俳優同士のスキャンダルではなく、社会的な問題提起につなげたスタンスを尊重する声も多い。

ロクテは、泥酔して起こした行動よりも、そのあとの虚言、事実が明るみになった後の不完全な謝罪などが批判に晒されているが、この一連の出来事は、五輪で問題となっている一部の選手たちの常軌を逸した行動を改善するきっかけともなった。夢を抱く未来のアスリートたちに、人気や栄誉より大切なことを教えられる立場として、これからの行動が問われている。

罪や過ちのあとに何ができるのか?

もちろん、彼らがこれまでと同じようなキャリアを再形成し、ファンや世間から何事もなかったかのように受け入れられることはないだろう。それぞれの事件において、最も大切な被害者や関係者への罪の償いは、個人がそれぞれの形で行っていくものであり、受ける制裁もある。その上で、問題の本質とは別の次元で、個人をどん底まで叩きのめすことは、正義でも抑止でもなく、いじめの構造に近いのではないか。日米にかかわらず、“有名人裁き”が、若者や子どもへの示しという意味ならば、「罪や過ちのあとに何ができるのか」をともに考える姿勢が大切なのではないかと思う。