夢を叶えた内村光良の“マルチな才能”がわかる!『金メダル男』

コラム

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(c)「金メダル男」製作委員会

ウッチャンナンチャンの内村光良が原作・脚本・監督・主演を務める映画『金メダル男』が10月22日(土)から全国ロードショー。そこで、お笑い芸人・俳優・プロデューサーとしても活躍し、本作が3作目の監督作となるウッチャンの“映画人”としてのヒストリーを振り返ります!

映画監督目指して熊本から上京!

熊本県出身で、ブルース・リーやジャッキー・チェンにあこがれ、人吉高校時代には映画研究部を設立するほどの映画好き少年だったウッチャン。映画監督を夢見て上京し、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に入学、8ミリ映画の製作に没頭します。この専門学校時代に漫才の講義でコンビを組んだのが、相方となるナンチャンこと南原清隆。二人とも広島・尾道を舞台にした大林宣彦監督の作品の熱心なファンでした。このとき、漫才の講師をしていた内海桂子・好江師匠の目に留まり、ウッチャンナンチャンが誕生。同期の盟友・出川哲朗や入江雅人らと結成した劇団SHA・LA・LAでは脚本・演出も担当しました。
ウッチャンナンチャンとして活動を始めてからもウッチャンの映画愛は冷めやらず、1992~1995年の日本テレビ系深夜番組『ウンナン世界征服宣言』では、ウッチャンのオリジナル脚本による映像作品を「内村映画」として放送する企画もありました。さらに、「日芸合格への道」として、日本大学芸術学部の映画学科を受験! 筆記の一次試験に合格し、二次試験で面接官に「芸能界を辞める」という条件を迫られ、日芸入学とはなりませんでしたが、映画監督への情熱の炎はずっと、あの白いフェイスの下で燃えていたのです!

コントやキャラクターに昇華した映画愛

「日曜の夜、いかがお過ごし?」
――皆さんは、覚えていますか? ミル姉さんのことを。ウッチャンが白いフェイスをさらに白く塗った、アンニュイな雌牛のミル姉さんは、1998年にスタートしたフジテレビのコント番組『笑う犬の生活』、ゴールデンに進出した『笑う犬の冒険』通しての人気キャラクターです。『冒険』では、ミル姉さんが地方のケーブル局で冠番組を持ったという設定で、毎回、お気に入りの映画の解説と、名シーンを一人芝居で再現するという、まさしくウッチャンの映画愛から生まれた名物企画。ジャッキー・チェン映画の共通点や、成功したパート2映画といった納得の“映画あるある”に始まり、三船敏郎から、『ルパン三世 カリオストロの城』のクラリスまで、一人芝居で細かく再現! そして当時、「ゴールデン洋画劇場」で『スピード』放送の際に、ミル姉さんが解説者として出演したのです! コントとはいえ本格的な映画解説や視点が、映画関係者にも認められていたという証拠ですね。

生粋のコント職人から俳優・そして監督へ!

コント番組のMCも数々こなし、若手芸人のプロデュースで手腕を発揮する一方で、デビュー当時から映画『ボクの女に手を出すな』(1986年)、『七人のおたく』(1992年)などに出演していたウッチャンは、『恋人はスナイパー』(2001年~)、『ぼくが地球を救う』(2002年)、『西遊記』(2006年)など注目のドラマで俳優としてもキャリアを積みます。舞台版とドラマ版で主演した『ボクの妻と結婚してください』(2015年)では、自ら「コントっぽい芝居から脱却」することを意識。役者としても一皮むけました。

念願の監督デビューは2006年、『ピーナッツ』。バラエティ番組『内村プロデュース』に出演していたさまぁ~ずやTIMをキャストに起用。草野球をテーマにした作品で、ウッチャンの思い入れがあるアメリカ映画『がんばれ! ベアーズ』へのオマージュが各所にこめられています。2作目は2013年、放送作家・鈴木おさむの小説「芸人交換日記~イエローハーツの物語~」を映画化した『ボクたちの交換日記』。こうしてみると、ウッチャンの映画愛はもちろん、芸人たちへの愛を感じずにはいられません。

ウッチャン自身と同じ、1964年の“東京オリンピック生まれの男”秋山泉一が、すべての一等賞をとることに挑み続ける『金メダル男』。 映画公開記念として、“クリエイター”としてのウッチャンをまるごと1冊特集した「内村光良ぴあ」もがぴあMOOKより発売されました。
芸人としても映画人としても、いつでも本気モード。これからも白い炎を絶やすことなく、挑み続けてほしいですね!

(文/三浦順子@H14)

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記事制作 : H14

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