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SMAPには、独特の風情がある。たとえばそれを、哀しみやさみしさと形容することもできるかもしれない。ここでは、個々のメンバーが映画に残した俳優としての個性を検証してみたい(中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎の出演作は前編を参照)。

『降霊』……草彅剛が浮き彫りにする渇望

草彅剛は、『黄泉がえり』(2003年)や『あなたへ』(2012年)でも、どうにもならない哀しみとさみしさを抱えた人物として登場したが、より鮮烈な印象を残したのが黒沢清監督の『降霊』(2001年)だった。もともとはテレビ作品ながら後に劇場公開された本作で彼は、霊能力を持つ女性とその夫に近づく大学院生を演じた。このキャラクターはおそらく純粋な好奇心のもとにそうしているのだが、結果的に夫婦は大学院生の紹介によって社会と接点を持ちすぎたがゆえに破滅することになる。

草彅はある意味、メッセンジャー=使者として物語に存在しているが、非人間的にも思えるクールネスで物事を淡々とこなし、事態の行方を見送る。夫婦の夫が録音技師という設定もあり、私たち観客は草彅が発する声に耳を傾けることになる。

草彅は特権的な声質の持ち主であり、一聴冷ややかな中に、ある種の渇望が佇んでいる。それは他者との関わり合いへの欲望だ。草彅がドラマで悲劇的な役どころを演じることが多いのは、そのためだろう。『降霊』は、そうしたポジションではないからこそ、渇望が鮮明に浮き彫りになっている。

『座頭市 THE LAST』……香取慎吾が演じた孤立する魂

香取慎吾は、阪本順治監督の『座頭市 THE LAST』(2010年)で、世界的に知られる盲目の凄腕を演じた。元祖である勝新太郎のライフスタイルがそうであるように、市はヒーローではなく、アウトロー=はぐれ者である。社会のアウトサイドを歩かざるをえない人間の哀しみを、香取も体現した。

陽性のキャラクターに扮することが多い香取だが、この映画へのジャストフィットぶりは、俳優としての本質は別なところにあることを示唆している。

時代劇は、現代とは距離を置くフィクションであるからこそ、演じる者のほんとうの姿を映し出す。そして世俗と一線を画する虚構は、より一層、役の哀しみやさみしさに肉薄する。

ところで、香取ばかりでなく、木村拓哉や草彅剛も映画で盲目のキャラクターを演じているのは偶然だろうか。木村は『武士の一分』(2006年)で、草彅は『山のあなた ~徳市の恋~』(2008年)で、盲目者に扮した。設定も、アプローチも、3人それぞれで違うが、目が見えないまま、修羅の世界を生き抜くしかない役を与えられていることに変わりはない。

いずれの登場人物からも、孤立する魂が感じられる。不自由で、ままならない渡世を、さすらう人間の像が、そこでは刻まれている。

SMAPは誰もが“無限の住人”だった

来年4月、三池崇史監督の『無限の住人』という時代劇が公開される。主演は木村拓哉だが、ここで主人公に与えられた宿命に、SMAPメンバーたちが演じてきた共通する何かを感じる。大切な妹と片目を失い、傷だらけになりながらも、永遠の命を与えられ、生き続けるしかない侍。その、哀しみとさみしさ。自由な解釈ができる作品だけに、SMAPを「無限の住人たち」と呼んでしまいたくなりもする。

(文/相田冬二・サンクレイオ翼)

【前編はこちら】