“美しき天才”が描く家族愛…真実を知ることより大切なこととは?『たかが世界の終わり』

コラム

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(c)Shayne Laverdière, Sons of Manua

子どものころから役者として活躍し、19歳で監督デビューした『マイ・マザー』以降、数々の映画賞を受賞しているグザヴィエ・ドラン。流麗なルックスを持ちながら監督としても高く評価され、“映画の未来”を担う1人と言えるドランは、最新作『たかが世界の終わり』で製作・監督・脚本・編集を担当し、第69回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いています。強烈な母・息子間の愛憎や男女間を飛び越えた特殊な関係性などを描いてきたドランが、今度は兄妹らも含めた家族を通して、普遍的な愛とは何かを描いています。

すべては家族愛あっての言動なのか?

若手作家のルイ(ギャスパー・ウリエル)は、自身の死が間近に迫っていることを家族に告げるため、12年ぶりに実家へ戻ってきます。田舎に暮らす人たちの、よそ者に敏感な視線を一身に浴びながら家路へと向かうルイ。母(ナタリー・バイ)や妹(レア・セドゥー)、兄(バンサン・カッセル)とその妻(マリオン・コティヤール)が待つ家で“最後の晩餐”とも言えるような家族の時間が流れはじめます。

家族の間でしか通じない退屈で聞き飽きた話や、都会で成功を収めた家族=ルイに対する羨望と尊敬、家族としての役目を求めるちょっとした愚痴。母の家族愛を示す会話など、見ている者が自分自身の家族と過ごした時間を重ねてしまうような取り留めのない会話が繰り広げられます。ルイの突然の帰郷に“何か”を感じ取ったのか、口数が増え粗暴な行動で家族団らんをぶち壊しにしていく兄のアントワーヌ。実は繊細さの裏返しのような無骨な振る舞いに拍車がかかり、ますますルイは大切なことが伝えられない事態に……。

詩的に語られるドラン作品の様式美

ドラン映画の特徴と言えば、登場人物の顔をスクリーン中央に据え、繊細な表情に迫りながら、登場人物の心情を映し出す映像手法。今作も家の中のシーンが多かったため、室内の狭く限られた空間の中で過ごす家族1人1人の胸の内が浮き彫りにされていました。母・息子で強く抱きしめ合う顔の表情がアップで映し出されれば、互いが感じているぬくもりが見ている側にも伝わってきそうなほど、リアルに迫ってきます。観客をスクリーンの外から見ているただの傍観者にはさせず、自分もストーリーの中に入り込んで同じ空間を過ごしているかのような錯覚を起こしそうになります。

映像美と共に絶賛されてきている劇中音楽は、日本でも大ヒットした音楽グループ・オゾン「恋のマイアヒ」でうんざりしながら笑ったり、ルイの心情を表したようなエレクトロニック・アーティストのモービー「Natural Blues」などが、象徴的に使われています。決してありきたりな展開では終わらない不意を突くラストも、ルイの行く末を暗示するようなこちらの空想を掻き立てるシーンで締めくくられています。

ストーリーの根底に流れる“ルイの死”について、家族ならではの第六感が働きながらも、核心に迫れず続く家族の会話劇を描いた今作。真実を知ることよりも大切なことは何なのか?素直な感情を吐き出しながら共に時間を過ごすことの方が、この世で生きる喜びとなることを悟っていくようなルイを通して、身近なところにも愛が溢れていることに気づかせてくれる作品です。若干27歳、瑞々しい感性で描かれるグザヴィエ・ドランの最新作で深い家族愛にぜひ触れてみてください。

(文/岩木理恵@HEW)

記事制作 : HEW

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