“美しき天才”グザヴィエ・ドランの「進化」から目が離せない。『たかが世界の終わり』

コラム

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文=新田理恵/Avanti Press

多くの観客がドランに寄せる“共感”と“拒絶”

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グザヴィエ・ドラン監督(C)WOSTOK PRESS/MAXPPP

家族とは、愛していても理解し合えないことがあります。近しい存在だからこそ、理解されないことへの苛立ちや絶望は大きい。久しぶりに帰省しても、「一緒に暮らすのは2、3日が限界……」という人も多いのではないでしょうか。

「若き天才」の誉れをほしいままにしてきたカナダ・ケベック出身のグザヴィエ・ドラン監督の最新作『たかが世界の終わり』( 2月11日公開)は、そんな家族とのディスコミュニケーションを描いています。

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『たかが世界の終わり』2月11日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、
YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー
(C)Shayne Laverdière, Sons of Manual

主人公は、自分の余命があとわずかだと知った作家のルイ。自分の死を伝えるために、12年ぶりに家族のもとに帰るところから映画は始まります。ルイを迎えたのは、息子との再会に胸を躍らせる母親と、憧れの兄の帰宅に興奮気味の年の離れた妹、粗野で威圧的な兄と、口下手な兄嫁。それぞれ言いたいことがあるのに上手く言葉にすることができず、無闇にハイテンションな会話と不穏な沈黙、神経を逆なでするような無益な言い争いを繰り返します。

19歳で世に送り出した初監督作『マイ・マザー』(2009年)が絶賛され、一躍映画界の寵児となったグザヴィエ・ドラン。時に過剰なほどエモーショナルな映像演出や大胆な音楽の使い方でその才気を見せつけながらも、実はとても普遍的な人間の葛藤を扱っていることで、多くの観客の共感(と拒絶も)を獲得してきました。

母の口元についたクリームで表現した親子の愛憎

俳優の父に持ち、幼い頃から子役として活躍。10代から映画づくりを始めたドランは、その研ぎ澄まされた感性を武器に、自分が見て・感じた世界を物差しにして作品を作ってきました。彼が描くのは、母親と息子の愛憎、ゲイというセクシャリティ、マイノリティであることの疎外感、愛されることへの渇望。とりわけ、それが主題であるか背景であるかの差はあるものの、一貫して母親と息子の関係を扱っているのが特徴的です。

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『たかが世界の終わり』2月11日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、
YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー
(C)Shayne Laverdière, Sons of Manual

自伝的作品のデビュー作『マイ・マザー』では、10代特有の母親へのどうしようもない苛立ちや自分を認めてくれないことへの怒りを、あくまで17歳の主人公(ドラン自身が演じている)の目線で、自己中心的かつナルシスティックに描いています。正直、観ていて主人公の稚拙さにイラッとさせられもするのですが、ドランがすごいのはその稚拙さまでも自覚して冷静に映画づくりをしているところ。天才現る、と騒がれたのも納得です。

ちなみにこの映画は、パンに塗ったたっぷりのクリームでベタベタに汚れた母親の口元のクローズアップで始まります。「ママは大好き。でもなぜか嫌で嫌でたまらない」という繊細で美意識の高い少年らしい潔癖を一発で伝える演出に、冒頭から溢れる才能を感じました。

三角関係がテーマの2作目『胸騒ぎの恋人』(2010年)では、主人公が片想いする青年の母親を宇宙人のようなコスチュームで息子とセクシーにダンスする風変わりな女性として造形。3作目『わたしはロランス』(2012年)ではトランスジェンダーであることを主人公から打ち明けられる母親を、4作目『トム・アット・ザ・ファーム』(2013年)では交通事故で死んだ恋人の母親を、いずれも作品の重要なスパイスにしていました。

そして再び、母親と息子にスポットを当てたのが5作目の『Mommy/マミー』(2014年)。発達障害があり問題ばかり引き起こす少年とその母親、そして少年の家庭教師をすることになった近所に住む女性との濃密な関係が描かれます。激しくぶつかり合う母親と息子の愛憎という意味では『マイ・マザー』と同じテーマですが、本作はより母親サイドからその苦悩に寄り添った視点が印象的で、ドランの成長を感じました。

ドランのテーマは無限ループかつ進化する

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『たかが世界の終わり』2月11日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、
YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー
(C)Shayne Laverdière, Sons of Manual

母親と息子、性的マイノリティと家族・恋人らとの関係。ドランはまるで無限ループのように、同じテーマで異なる作品を作っています。そして、今回の『たかが世界の終わり』。主人公ルイはやはりゲイで、家族との関係に葛藤を抱えています。いったい、いつまで同じテーマを掘り下げるつもりなのか。若干「またか」と思いつつ見ていると、これまでの作品とはちょっと様子が違っていました。

大きな違いは、母親を見る視点です。『マイ・マザー』や『Mommy/マミー』では激しく感情をぶつけ合っていた母親と息子の距離が、今回は遠いのです。疎遠だったという設定を抜きにしても、母子が対峙するシーンでは、混じり合うことのできない母親という生き物に対する、ある種の諦めと複雑な愛情がルイの目に交差します。それは、ドランが成長とともにたどり着いた、「母への割り切り」かもしれません。

自身の内面をのぞき続けるドランの映画の世界は、年齢を重ねるごとに(とはいえまだ27歳!)醸造が進み、進化しています。グラヴィエ・ドランと母親というテーマは、彼が映画を撮る限り、進化しながらスクリーンに登場し続けるような気がします。

記事制作 : Avanti Press(外部サイト)

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