中学時代に主演した女優デビュー作映画『萌の朱雀』(1997年)から今年20年を迎える女優の尾野真千子には、忘れることのできない恩人からの言葉がある。NHK連続テレビ小説「カーネーション」(2011年)でヒロインの座を射止めて以降、主演も助演もこなせる個性的な演技派として活躍中の“遅咲き女優”の背中を押したのは、今は亡き所属事務所社長の一言だった。

中3女優デビューから20年も長い下積み

芸歴20年というも、頭角を現すまでのブランクは結構長い。上京したての20代はオーディション落選が当たり前の毎日だった。「これ本当にオーディションをやっているの?と思うくらいに受からず。受けては落ちるの繰り返し。オーディションをやればやるほど自信を喪失していった」と苦節を振り返る。今となっては落選理由もわかる。「根拠のない自信があり過ぎて、生意気にもオーディションでは本来の力が発揮できるわけがないというおごりがありました。時間が短すぎるとか、カメラの前でやりたいとか。体のいたるところから尖ったナイフ感が出ていましたね」と若気の至りに苦笑い。

一つの役を何百人もが必死に掴みにかかる競争の世界。生意気さと根拠のない自信は必要な要素であったかもしれない。「落選ばかりで気持ちはげんなりします。でも生意気さと根拠のない自信がハングリー精神に繋がった。それで落ち込み過ぎることなく『次頑張ろう!』となれたから」とポジティブ変換で退却を打ち消した。

『萌の朱雀』の河瀬直美監督と再び組んだ映画『殯の森』(2007年)は、第60回カンヌ国際映画祭グランプリを獲得。主演を務めた尾野にもスポットライトが当たり、映画『クライマーズ・ハイ』(2008年)などの大作・話題作出演への足掛かりになった。

根拠なき自信に根拠を与えてくれた一言

ところが知名度が上がると同時に“根拠のない自信”は大きな足枷になっていく。「芝居をやらせてもらえるようになったし、芝居をする場も広がった」と好状況になった一方で「売れない時代が長かった分、私に対する周囲の評価をすべて社交辞令と受け取ってしまいがちになった」。責任が大きくなるにつれて持っていたはずの自信は、根拠がないぶんすぐに霧散した。

そんな複雑な心境を変えたのは、NHKBSの単発ドラマ「火の魚」(2009年)の放送終了直後。自宅でドラマを観終えた尾野のもとに、今は亡き所属事務所社長から着信が入る。「まだまだ芝居が下手だ!」「もっと映画を見た方がいい!」と普段から尾野に対して辛口な人。「またもやダメ出しか」と恐る恐る電話を受けると「観終わった。良かったよ」と初めて褒められた。

「こんな時間になんだろう?と思ったら、褒められた。それまではダメ出しばかりだったから、急な言葉に『あ、褒められた…』となった。電話口にいた夫人も泣きながら感想を言ってくれていました。短いけれど『良かったよ』の一言が凄く嬉しかった」。ずっと身近にいてくれた人の言葉は、シンプルであればあるほど実は心に深く染み入る。苦節時代から見守り支えてくれた恩人の言葉は、その後の尾野の自信の根拠になり、今の活躍ぶりを生んだ。

遅咲き女優でよかったと思える現在

現在35歳、女優としても人間としても最も脂ののっている時期。「“遅咲き女優”と言われるけれど、遅咲きでよかったと思う。ブランクも私にとっては必要な時間だったはず。年齢と経験を重ねたからこそ今の自分にできるものがある。今女優としての仕事が終わったとしても悔いはないくらいの満足感。その反面やってみたいことはまだまだ山ほどある」と充実した表情を浮かべる。

そんな尾野が主演しているのが、オムニバス映画『ブルーハーツが聴こえる』の一編「ハンマー(48億のブルース)」。作品完成直後に製作幹事会社が解散し、オクラ入りの危機に瀕したが、クラウドファンディングによって4月8日より全国公開される。「公開されないのではないかと冷や冷やしたけれど、公開が決定して嬉しい。クラウドファンディングはいい仕組み。この作品を観たいと思ってくださる観客の皆さんと一緒に映画を作ったような気持ち」と破顔。

飯塚健監督のもと、尾野は浮気する彼氏に未練タラタラな残念な女性を好演。「長回しの撮影で緊張して心臓もバクバク、手も冷たくなっていた。でもシーンが長ければ長いほど作品世界や役に没頭できて、アドレナリンも出ました」と手応えを感じている。キャリアとポジションを得た今でも「自分は緊張しい」と慣れがない。過去と現在に満足はしているが、まだ納得はしていないよう。尾野が女優業に飽きることはきっとない。

(文・石井隼人)