Photo by Sabrina Lantos (C) 2016 GRAVIER PRODUCTIONS, INC

恋人の娘と結婚!授賞式参加拒否!?映画のようなウディ・アレンのハチャメチャ人生

コラム

  • twitter
  • facebook
  • はてなブログ
  • google+
  • LINEで送る

アカデミー賞史上最多ノミネートの実績と、同賞の監督賞・脚本賞合わせて4回の受賞歴を持つコメディの巨匠ウディ・アレン。80歳を超えた今でも、その創作意欲は全開。5月5日(金)には待望の新作『カフェ・ソサエティ』(2016年)が日本で公開されます。

監督、脚本家、俳優としてクリエイティブな才能を発揮し、名作から問題作まで数えきれないほどの映画を世に送り出してきた彼ですが、クラブでクラリネットを演奏すると言ってアカデミー賞の授賞式に姿を現さなかったり、恋人の養女と交際して法廷で訴えられたり、その人生は自身の作品同様、何でもあり。ハチャメチャで、ユーモアたっぷりで、上質なコメディ映画のようなアレンの生き様は、私たちに人生を楽しむためのヒントを与えてくれるかもしれません。

喜劇、映画、ジャズ…“おませ”で“ひねくれた” 少年期

1935年12月1日、ニューヨークの敬虔なユダヤ教徒の家庭に生まれたウディ・アレン(本名: アラン・スチュアート・コニグズバーグ)。ナチスの迫害から逃れてきた親戚や、鬼のように恐ろしいベビーシッターなど、まるで映画の登場人物のような人々に囲まれて幼少期を過ごしました。

虐待ぎりぎりの厳しすぎるしつけを施す母親から逃避するように、喜劇、映画、ジャズの世界に傾倒していき、高校生になるとカードマジックにのめり込んで、界隈の人気者に。そこで人を面白がらせることの楽しみを知ったアレンはコメディの道を進み、ちゃっかり従兄のコネクションも使いながら、新聞などに渾身のギャグを投稿し始めます。このとき使用したペンネームが “ウディ・アレン”。彼はその後、この名前と共に、ユーモアに満ちた賑やかな人生を生きることになるのです。

恋人の連れ子と恋に落ちて法廷闘争

数々の映画に監督、脚本家、演者として携わるうち、彼の交遊関係はどんどん華やかさを増していき、共演した女優と恋を経験するようにもなりました。中でも、大女優ミア・ファローとのあいだに巻き起こしたスキャンダルは今でも彼の伝説のひとつ。

1980年代から90年代にかけて、アレンはミアと親密な関係を築くようになり、結婚にこそ至りませんでしたが、彼女とのあいだに息子を1人設けました。その傍ら、韓国の路上で保護されたミアの養女スン・イーと、父娘ほどの年齢差をあっさり超えて、交際を始めるようになります。これが発覚してミアとの関係は終焉を迎え、問題は一時、法廷に持ち込まれるほどにまで発展しました。(このときアレンは、ミアの他の娘たちに対する幼児虐待でも訴えられています)。しかしすべてのことが落ち着いたあと、アレンはスン・イーと結婚。2人の養女を迎えて、余生を幸せに暮らしているようです。

授賞式に姿を現さない最多ノミネート監督

20回以上もアカデミー賞にノミネートされ、うち監督賞を1度、脚本賞を3度受賞しているようなハリウッドの重鎮でありながら、アレンは授賞式に姿を現さない特異な人物として知られています。式典の夜はジャズ仲間と地元ニューヨークのクラブでクラリネットを吹いているとか。

本人曰く、「とにかく何かに出席するのが好きじゃない」とのこと。そもそも飛行機が苦手な彼は、「授賞式のために旅行する必然性はない」と考えているようです。これまでの言動からも、アレンが“賞レースの現場”や“西海岸のショウビズ界”を快く思っていないことは間違いないと言えます。代表作『アニー・ホール』(1977年)には、西海岸に赴くとアレルギーでくしゃみが止まらなくなるというジョークが語られますが、これはまさしくその暗喩と捉えられるでしょう。

しかし、そんなアカデミー賞嫌いのアレンも一度だけその授賞式に姿を現しました。それはアメリカ同時多発テロ事件から半年後の2002年3月。犠牲者の追悼企画の中で、予告なしにアレンが登場し、万雷の拍手喝采が巻き起こりました。ニューヨークで生まれ、ニューヨークで育ち、ニューヨークを愛し続けてきた彼が、ニューヨークのために重い腰を上げて奮起した瞬間であったと言えます。

記事制作 : YOSCA