「やめちまえ!」“ジュノンボーイ”溝端淳平を覚醒させた、世界のニナガワの罵倒

インタビュー

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タツノコプロ55周年記念企画として伝説のヒーローアニメを実写映画化した『破裏拳ポリマー』(5月13日公開)に主演する、俳優の溝端淳平。本格的アクションに初挑戦し、ヒーローに初めて変身。昨年にはNHKBSドラマ「立花登青春手控え」で時代劇に初主演するなど、俳優生活10周年を初尽くしという新鮮さで迎えている。“ジュノンボーイ”というアイドル的肩書からスタートした溝端。そんな彼を現在の“俳優”という姿に変化させたのは、演出家の故・蜷川幸雄さんの罵倒にあった。

10代デビュー直後から順風満帆

地元・和歌山から上京した時期をはっきりと覚えている。「2007年3月中旬の16歳の頃。その段階で『世界ウルルン滞在記"ルネサンス"』の司会とテレビドラマ『生徒諸君!』の仕事が決まっていて、それからすぐに映画『DIVE!!』のオーディションがあって、映画デビューが決まりました」とスタートダッシュには凄まじいものがあった。立て続けに入る仕事、広がる知名度と人気。だが責任と期待が小さな背中に同時にのしかかる。

「ありがたいことにデビューすぐからお仕事に恵まれました。でもその一つ一つは大勢の大人の方々が関わる大きな企画や大きな商業です。自分の心にあったのは、大人たちの期待や言われたことに対してそれ以上のものを提供しなければいけない、という焦り。それだけに俳優業は与えられた仕事という意識が強く、楽しんでお芝居をするということがありませんでした。ステージのあまりの大きさに重荷を背負った気分でいたんでしょう」。

自分で選んだ道とはいえども、一般的な職業とはかけ離れた世界。自分の知らない大勢の人たちが自分のことを知っている。本当の自分ではないはずの自分の姿が、あたかも本質であるかのように語られる。それに合わせざるを得ない状況もあるだろう。次第に自分という存在が、何なのかわからなくなってくる。

「パブリックイメージとして語られる理想的自分や、自分が思っている本当の自分という存在。色々な自分との折り合いがつかなくて、自分のアイデンティティってなんだ!?とか、答えの出ないような事ばかりを考えてしまうマイナス思考。23歳くらいの時が一番しんどかったですね」。答えの出ない悩みは、考えれば考えるほどにドツボにハマる。そして抜け出せなくなる。

俳優人生を変えた、世界のニナガワ

手を差し伸べてくれたのは、演出家の蜷川さんだった。初顔合わせとなったのは海外公演作「ムサシ」(2013)。「稽古中は蜷川さんから『お前なんて俳優に向いていない、やめちまえ!』『プロデューサーを呼べ!こいつを降ろす』とボロクソ。自分は普段お酒を飲んで乱れることはないけれど、この時期は気づいたら噴水に突っ込んでいたこともありました。携帯もカバンもダメにして、足にも怪我。まさに人間のカスでした」と思い出し笑い。

徹底的に落とされたら、何かがはじけ飛んだ気がした。「和歌山で平凡に生きてきただけで、映画で生きようと小さい頃から必死に勉強して育ってきたわけでもない。自分は才能がないし、運だけでここまで来た男なんだと確認できた。芝居もヘタな人間なんだと思えたら、一気に楽になれた。“こうでなければいけない”という思い込みを捨て、できる自分、できない自分もすべて自分だと思えるようになれた。ダメだっていいんですよ」。開き直ったら、怖いものなどなくなった。

苦しみの向こうにある快感

蜷川さんは溝端をクビにするどころか、その後も演出する舞台に起用。シェイクスピア劇「ヴェローナの二紳士」(2015)では自身初の女役で主演を務めた。「蜷川さんが稽古場に来られたのは僕の作品が最後でした。褒められたことは一度もなくて、最後まで罵倒でした。罵倒しなければこいつはダメになると判断したんだと思います。こいつには孤独や俳優としての苦しみが必要なんだと。でも後半は僕も言い返していました。すると蜷川さんは笑うんです」。世界のニナガワの罵倒は、殻を破るためのハンマーだった。

教わったのは、演じることの楽しさ。「苦しみもありますが、楽しさの強さも増えていくばかり。苦しみの向こうに快感が待っているのを教えてもらったので、俳優はやめられません。見てくれている人は見てくれている、ということも教わりました」と恩人がくれた糧を噛みしめる。

初の本格アクションヒーローで新境地開拓

俳優生活10周年目で挑んだ本格的肉弾アクション。約4か月かけてトレーニングを敢行。「スポーツは得意。学生時代の学力テストは平均的に2、3位でしたが、体育の通信簿は常にA。テストであえて1位にならないところが“淳平美学”かな」と笑わせながら「アクションシーンの撮影は辛かった?と聞かれるけれど、全然。疲労はすべてアドレナリンに。血の気が騒ぎつつも、家に帰ったら爆睡の日々でした。生傷は絶えませんでしたが、アクションシーンへの期待が上回っていましたね」と初挑戦の手応えは十分だ。

(文・石井隼人)

記事制作 : 石井隼人

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