文=増當竜也/Avanti Press

愛国心を抱いてアメリカ陸軍に入隊するも、強固な信仰ゆえに武器を手にしようとはせず、誰も殺さないと誓った敬虔なキリスト教徒デズモンド・T・ドス。やがて彼は衛生兵として戦場に赴いて、敵味方を問わず多くの人命を救い、“良心的兵役拒否者”として初めて名誉勲章を与えられた……。

名優メル・ギブソンが久々に監督した『ハクソー・リッジ』は、衝撃的とも奇跡的ともいえる実在の人物を主人公にした戦争映画の傑作である。

ヴェトナム戦争映画を踏襲する作劇の妙

時代は太平洋戦争の末期。ドラマとしては大きく、軍隊内でのデズモンドと周囲の衝突などを描いた前半と、沖縄のハクソーリッジ(日本では“前田高地”と呼ばれた)における日米の激戦を描いた後半の二部構成となっている。

この構成はスタンリー・キューブリック監督の『フルメタル・ジャケット』(1987年)と同じであり、また後半での高地をめぐる攻防戦ということでは『ハンバーガー・ヒル』(1987年)を彷彿させる。どちらもヴェトナム戦争映画の名作群のスタイルを踏襲していることにも作劇の妙を感じるのだが、やはり全体を通して痛感させられるのは、従来の戦争映画の常識を超えた主人公の信念である。

何せデズモンドを演じるのが『沈黙‐サイレンス‐』(2016年)で信仰と現実の狭間に苦悩する主人公ロドリゴ神父を好演したアンドリュー・ガーフィールド。前半の軍隊内での非難や制裁を受けても決してくじけることのない信念の強さは、もしやロドリゴ神父の生まれ変わりが本作のデズモンドではないかと思わせるほど。本作ではそんな彼のスタンスをある程度は認めてくれるアメリカ軍の度量の広さも感じさせられる(これが日本軍だったら、戦場に赴く以前に仲間のリンチなどで殺されているのではないか?)。

そして後半、ハクソー・リッジの激戦シーンでは、銃弾と爆弾の嵐によって、命ある人間の身体がバラバラになり、内臓がまき散らされ、単なる肉の塊と化してあとは腐乱していくのみという戦場の生き地獄というものをいやというほど体感させられる。同じく太平洋戦争末期のフィリピン戦線を描いた塚本晋也監督の力作『野火』(2015年)も、予算と時間さえあったら、本来これをやりたかったのではないだろうか。

これまで沖縄戦の地獄の顛末とその悲劇を日本側の視点で描いた映画には、『ひめゆりの塔』(1953年)や『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)など多数あるが、アメリカ側からの視点で描かれた本作を見ると彼らもまた地獄だったことがわかる。ちなみに、沖縄戦ではかなりの米兵がPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状に陥ったものの、軍は決してこれを公にしようとはせず、勝利の勇ましさだけを誇示し、彼らの心の傷を放置し続けた。

徹底的なるエンタテインメントとして人間を描いた作品

そんな地獄の中、メル・ギブソン監督はデズモンドの敵味方を問わない戦場での献身を通して、“信仰に殉ずる者こそが真の英雄たりえる”といった、これまで彼が監督した『ブレイブハート』(1995年/13世紀末のスコットランド抵抗運動の英雄ウィリアム・ウォレスの生涯を描いた歴史超大作)や『パッション』(2004年/キリスト最期の12時間を、英語ではなく全篇アラム語とラテン語の台詞で描いた異色作)でも訴えてきたモチーフをさらに明確に描出している。

ひとりでも多くの仲間を救おうという気持ちも、かつて彼が主演したヴェトナム戦争映画『ワンス・アンド・フォーエバー』(2002年)で描かれていた「たとえ亡骸であっても、仲間はすべて母国に帰還させる」という米軍の信条とリンクしている。

小説や音楽などのメディアが多数あるなか、映画というものは戦争を娯楽として扱うことのできる最大級のメディアであるのかもしれない。であれば、優れた戦争映画とは反戦はもちろんだが、国家と個人、争いと信仰、生と死といった複合的な題材を通じて、徹底的なるエンタテインメントとして人間を描いた作品であると思う。

『ハクソー・リッジ』こそは、その優れた好例である。

P.S.
日本映画でも、沖縄戦を背景に日米双方の脱走兵と一人の少女の運命を描いた『STAR SANDS 星砂物語』が8月4日に公開される。監督のロジャー・パルバースはおよそ50年前ヴェトナム戦争に反発して祖国アメリカを離れ、「祖国を裏切った卑怯者」とそしられることを恐れずに日本で作家活動を始めたキャリアの持ち主で、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983年)では助監督を務めた。戦わないことを選んだ物語として、『ハクソー・リッジ』と見比べてみるのも面白いだろう。

『ハクソー・リッジ』
6月24日(土)よりTOHOシネマズ スカラ座ほか全国ロードショー
(c) Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016