初ブルーレイ化される『天使のはらわた 赤い眩暈』のオーディオコメンタリー収録風景。
左から石井隆監督、日活プロデューサー(当時)の成田尚哉さん、主演の竹中直人さん

日活ロマンポルノの傑作で、あの大物俳優が放った一世一代のアドリブとは?:石井隆監督インタビュー

インタビュー

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取材・文=轟夕起夫/Avanti Press

劇画界の寵児から気鋭の映画作家へ転身

70年代後半、石井隆の手によって劇画の世界に生み出された「土屋名美」というキャラクターは、映画史においても今なお、日活ロマンポルノの“伝説的ヒロイン”としてファンの心に強く刻印されている。その世紀のファム・ファタル(=運命の女)を主人公とした『天使のはらわた』シリーズが、7月4日についに初ブルーレイ化された。それに伴って先日行われた、石井隆自ら映画化した監督デビュー作『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988年)のオーディオコメンタリー、〈音声特典〉の収録現場を見学! 収録後には石井監督に貴重なお話を伺う機会を得た。

収録に臨む石井隆監督

オーディオコメンタリーには監督ならびに、これが初主演作となった竹中直人、プロデューサーの成田尚哉が参加、3人のトークは78年にスタートした日活ロマンポルノ『天使のはらわた』シリーズの成り立ちから始まった。要約すれば当時、劇画界の旗手であった石井隆のもとに、(大の石井ファンにして日活の企画部だった)成田が映画化を打診。石井が原作を提供して『女高生 天使のはらわた』(1978年/監督:曽根中生)が作られ、これがヒットを記録。続いて『天使のはらわた 赤い教室』(1979年/監督:曽根中生)、『天使のはらわた 名美』(1979年/監:田中登)、『天使のはらわた 赤い淫画』(1981年/監:池田敏春)の3作では脚本を手掛け、ロマンポルノ末期に発表された本作『天使のはらわた 赤い眩暈』では脚本と監督を担当、シリーズを通して石井隆は、劇画界の寵児から気鋭の映画作家へと転身を果たしたのだった。

「監督のお話をいただいたときは、ビックリしました。僕は子どもの頃から映画監督志望で、大学在学中には映画研究会の先輩の紹介で日活の撮影現場に潜り込んだほどなんです(=69年公開『涙でいいの』の監督助手のアルバイト)。でも生来身体が弱く、残念ながら挫折し、以降はその代替行為として劇画を描いていた。71年に幕を開け、大量のプログラムピクチャー(各映画会社の系列劇場のプログラムを埋めるために制作された作品群)を生み出していった日活ロマンポルノは88年に終焉することになるのですが、成田さんは最後の2年間、“原作提供と脚本でシリーズに貢献した”と会社を説得し続け、ギリギリのタイミングで僕を監督にしてくれたんです」(石井監督)

ゴミ箱から拾い上げた台本が“名優誕生”のきっかけに…

さて、成田プロデューサーは単に、温情で監督に抜擢したわけではなかった。未経験ながら、十分に“勝算”はあったのだ。

「あれはいつでしたかねえ……82~83年に『週刊宝石』というサラリーマン向けの週刊誌のグラビアで、ヌード写真を撮らないかという依頼があったんです。被写体として選ばれていたのは、ロマンポルノのSMもので人気だった松川ナミさん。根津にあるお屋敷を借りて撮影に挑んだのですが、その撮影に成田さんが同行していて、それで“この男、演出もできるぞ”と思ったらしい(笑)。ライティングを自分で組んだり手際が良かったのは、『アクションカメラ』誌でヌード写真を撮ったり、劇画を描くときにいつもロケハンをして背景写真を撮っていたことが役立ったのでしょう。撮った写真をコピーして、毎回、背景に嵌め込んでいたんです」(石井監督)

『天使のはらわた 赤い眩暈』のシナリオ段階でのタイトルは「ヌードの夜」。ヒロインはAV草創期に名を馳せ、このあと映画やテレビドラマでも活躍する桂木麻也子に決まっていた。石井監督はW主演となる相手役に、まだコメディアン色の強かった竹中直人をキャスティングした。が、所属先の「劇団青年座」に台本を送ったところ、答えはNG。しかし、運命の歯車が動いた。自分に渡してもらえず、劇団の事務所のゴミ箱に捨ててあった台本を偶然見つけた竹中は、「ヌードの夜」という題名に惹かれて拾い上げ、そこに「脚本・監督:石井隆」と書かれていることに狂喜した。彼もまた、石井隆の劇画の大ファンだったのである。

記事制作 : Avanti Press(外部サイト)

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