文=高村尚/Avanti Press

元AV女優で、新聞記者であった社会学者・鈴木涼美の原作を映画化した『身体を売ったらサヨウナラ』がスマッシュヒットとなっている。このセンセーショナルな原作には、新聞社に勤めるヒロインが、高校生から大学院まで難関校に在籍しながら見聞きした“夜の世界”のできごとが書かれている。ヒロインの気持ちや主張はほとんど語られず、一緒にいる相手のバッグのブランド、話している相手のしぐさや髪型、物語の核となる人以外が何をしているのかなどが克明な描写で綴られる。

ヒロインと一緒にキラキラと輝くネオンの中にいるような気分になる原作と、「一流大学出身で某新聞社の社員だった鈴木涼美が、かつてAV女優として活動していた過去が暴露された」と描かれる映画は少し異なる。そんな原作と映画の違い、AV女優という過去について思うことなど、著者である鈴木涼美さんに語っていただいた。

この人私と似てる、でも誰だろうみたいな

『身体を売ったらサヨウナラ』K's cinema、シネ・リーブル梅田にて上映中
(C)2017 東映ビデオ/エクセレントフィルムズ

 Q.映画をご覧になっていかがでしたか?

鈴木 不思議な感じでした。(原作となった「身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論」は)もともと「幻冬舎plus」というWeb媒体にブログみたいな感じで書いていたエッセイでした。当時はまだ日本経済新聞社の社員だったので、2013年に出した「『AV女優』の社会学──なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか」の著者・鈴木涼美として、プロフィールを開示せず、顔も出さずに、恋愛論みたいな感じで連載していて。自分の見てきた風景……、キャバクラ嬢時代やAV女優時代に周りであった話とか、友だちの話をメインに書いていたので、情報が散漫だし、そもそも書き手の情報が抜けている。「これ、どうやって映画にするんだろう?」と思っていました。ただし、こういうふうに映画化してくれなければ嫌だというようなこだわりもなかったので、ただ楽しみに待っていた感じです。そうしたら本に出てくるエピソードに、後からお話したことを少し盛り込んで、“鈴木リョウコ”という私とはちょっと別人格のキャラクターが生み出されていた(笑)。この人私と似てる、でも誰だろうみたいな、ちょっと不思議な感じがしました。

Q.ご自身の実体験をもとに書かれた本にもかかわらず、ほぼ周りの人を描写することで綴られていく。読んでいる印象はまるで小説のようでした。

鈴木 結構そう言われることが多いんです。夜の女の子たちをモチーフにした小説やルポって、男性の書くスキャンダラスな部分に焦点を当てたものが多いですよね。だからすごく貧乏だったり、逆にすごく成功した女の子の話で、私がいたようなグダグダした世界を言語化したものは少ないんです。楽しいけど、期間限定の楽しさ。若い時の独特な夜の世界の話。それをその空気感が立ち上がるように書いていたので、小説っぽく感じていただいたのかもしれません。

伝えたいのは物語でなく世界観

『身体を売ったらサヨウナラ』K's cinema、シネ・リーブル梅田にて上映中
(C)2017 東映ビデオ/エクセレントフィルムズ

Q.本にはそこの場にいて話に加わっているような臨場感がありました。描かれる人が何を持っていたとか、何をいじっていたとか、描写が細かく、15年ほど前の話だと思いますが、よく覚えているなとも。

鈴木 教科書の暗記とかは苦手なんですけど、この話をした時に彼女が何を着ていたとか、こういうしゃべり方だったとか、その人が言ったことをそのまま覚えていたりするんですね。母親が訪ねて来た時に私が何を読んでいたとか、こういう話をして最後こう言って電話を切ったとか、変なところを覚えてる。物語やメッセージではなく、その世界観を表現したい時、着ているものやブランド名とか場景描写のほうが重要だったりするじゃないですか。シャネルじゃなくて、ヴィトンだとか。バッグはシャネルだけど、服は109(マルキュー)とか。自分自身も昔はブランド好きで、固有名詞を貼り付けて歩いている感じでした。夜の子には多いんだけど、ブランドで固めているように見えて、靴がノーブランドなんていうちぐはぐもこだわって書きました。

Q.そこが面白いと思ったわけですが、映画はそれとは違う角度からアプローチしていましたね。

鈴木 そうですね。私には映像という手段はないので、表情とか、その人独特の雰囲気とか、しゃべり方とか、体つきとか、映画なら一つのシーンで伝えられることも言葉を尽さないといけないじゃないですか。だから文章と映画は別ものだと思いますね。

Q.それに、もしあの世界を忠実に再現しようとするなら、ものすごくお金がかかってしまうかもしれませんね(笑)。

鈴木 私物を持ち出さなきゃダメかもしれませんね(笑)。

身体を売っても終わりだとは思っていません

『身体を売ったらサヨウナラ』K's cinema、シネ・リーブル梅田にて上映中
(C)2017 東映ビデオ/エクセレントフィルムズ

Q.単行本の「身体を売ったらサヨウナラ」というタイトルには、どのような意味を込められたのですか?

鈴木 連載していたときの、ひとつのコラムのタイトルなんです。もちろん「地雷を踏んだらサヨウナラ」(報道写真家である故・一ノ瀬泰造氏が遺した書簡集)のパロディですけど。「地雷を踏んだら~」のアンコールワットにたどり着いたのかどうか分からずに終わっていくところが、“地雷”だらけの歌舞伎町で生きて、アンコールワット(=幸福)を掴んだかどうか分からない感じで死ぬのかもしれない私たちと、ちょっと被ったというのがあります。若い人にどのぐらい分かるかなと思いながら、パロディ好きなんで他もいろいろなジャンルのタイトルから引用させてもらいました。教養人のおじさんには、「俺にはわかる」って楽しんでもらえればいいかなって(笑)。

もうひとつは、身体を売るとそれまで味わったことがないくらい身近な人や恋人が苦しむし、社会的な拒絶反応を目の当たりにすることになるので、それを端的に表せるタイトルがいいなと思って。結構、大ごとだよと。私はわりと気楽に、あまり抵抗なくやってたけど、AV女優じゃなくなってみると、若い頃の思い出ではすまない、結構大きなものとしてある。私自身は身体を売っても終わりだとは思っていません。もしそうなら私は終わってる(笑)。でも、その重大さみたいなことがちょっと出るといいなとは思いました。

コラムタイトルとしてショッキングだと騒ぐ人もいたけれど、今時はキャバクラで働く女子大生なんて普通だし、デリヘルごときで騒ぐなんておかしい。女子アナ受けた人が銀座のホステスだったりもする時代。そんなこの現代に“性的な価値をお金にすること”を端的に表せる言葉がいいなと思って、単行本のタイトルを「身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論」としました。でも私、タイトル決めるのいつも一瞬なんですよ、5秒くらい(笑)。

Q.この本は夜の世界で働く若い女の子を導く、地図とコンパスになるかもしれませんね。性を売る職業は、それこそ太古の昔からあり、いい悪いを超えて現在も成立しています。そういう意味では社会学者としての鈴木さんは、壮大なテーマを追っている……答えのない答え探しをしているような気もします。

鈴木 そうですね。“人間はみな答えの出ない問を持っている”と思っているので。数学や物理学とかと違って、哲学者は永遠に考え続けている。人間はなぜ生きるのかって。でも答えは出ない。完全な答えが見つかってしまうような問なら、私も人生をかけたテーマにしようと思わないでしょうけど。考え続けることに意味があって、考えている過程が面白かったり、今まで自分が想定しなかった存在を目の当たりにした時に、新しい視点ができて、ちょっと思考が進んだり、後退したりするわけです。今まで私が仮定してきたものが間違っているという話をするのはすごく面白いことだと思います。論文では暫定的に結論を出すけれど、その結論が反証されないようではつまらない。私自身も、既存の学者の方が言っていることは“現場”では無力だって反証し続けたいし、私自身の論についても常に反証をしてほしいなと思っています。

本当にすみませんと。

原作者の鈴木涼美さん 撮影=伊藤さゆ

Q.小説の中で面白いなと思ったのが、バックハグ(後ろから抱っこ)についての解釈。ただ疲れて包み込まれたい気分の時、夜の仕事の世界であれば、たとえ初めて会った相手であっても何のてらいもなくバックハグしてもらえるわけです。でも昼の仕事の世界で知り合った人にバックハグをしてもらう場合、まず挨拶から始めて、恋愛、スキンシップなどと、段階を踏まえなければならない。極端な例かもしれませんが、夜の仕事と昼の仕事の人間関係の違いを端的に表していると思いました。

鈴木 そうですね。これを書いていた時は日経新聞の記者で、仕事は充実していたし、前より不幸だとは思わなかったけど、あの時にあって、今満たされないものはなんだろうってよく考えていました。

Q.記者を続けるという選択肢もありましたか?

鈴木 「『AV女優』の社会学」を出してちょうど一年くらいで、ちょこちょこ連載やトークショーのオファーなどももらっていたんです。身元をバラしたくなくて断っていた仕事をそろそろ自由にやりたかったのと、楽しかったけど5年半くらい勤めると慣れてきて少しさぼり出して(笑)。もちろん10年やって分かること、30年やらないと分からないこともあると思いますが、そろそろいいかなと。

私、仕事を辞める直前は、記事の見出しを付けたりする整理部にいたんです。記者と違って完全にシフトを組んでの作業なので、いきなり人数が減るとすごく申し訳ないことになる。だから異動のタイミングでと思っていたんですが、本を出すことが決まり、その表紙を私の写真でと編集者さんに勧められていたので、単行本のゲラ(校正刷り)が上がってくる直前にタイムリミットだと思い、申し出ました。罪滅ぼしとはいえませんが、有給も消化せずに最後の出社日まで働きましたね。本当にすみませんと。

同じ新聞社でも、会社が違うと文化も違うし、上下関係も独特だったりします。社内だけで通用する価値観やヒエラルキー、外に出たらただの人でも社内では異様にいばっていたりとか(笑)。組織のそういう部分はすごく面白かったので、もうちょっと長く会社にいる手もあったかなと思うこともあります。でも私はそもそも“一足のわらじ”が嫌で、だから大学生やりながらAV女優をやっていたし、大学院生やりながらキャバ嬢もやっていたわけですが、日本の企業にいて他のことやるのは、副業禁止だし(笑)、忙しいから結構難しい。これでよかったんだと思います。

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映画は『下衆の愛』(2016年)が高く評価された内田英治監督が、『男たちのかいた絵』(1996年)を監督した伊藤秀裕との共同脚本で描いている。映画と原作の違い、男目線と女目線の違いなど、両方を味わっていただくと面白いのでぜひ!