文=石津文子/Avanti Press

あまりに衝撃的なヒロイン像に、カンヌ映画祭で賛否激論となったポール・ヴァーホーヴェン監督、イザベル・ユペール主演の傑作『エル ELLE』が、ついに日本公開される。2016年のカンヌ映画祭のコンペティションで上映されて以来、ユペールの演技力は絶賛され、アカデミー賞主演女優賞へのノミネートをはじめ、ゴールデングローブ賞やセザール賞など数々の映画賞を受賞しているのだが。

映画の導入はかなり刺激が強い。ゲーム会社のワンマン社長ミシェル(イザベル・ユペール)が、白昼、パリの自宅で覆面の男に襲われる。しかし彼女は破り取られた下着を、生ゴミを片づけるかのように棄て、風呂に入り(白い泡に血が滲む)、何事もなかったかのように息子を出迎え、寿司を食べる。

『エル ELLE』8月25日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー
(c) 2015 SBS PRODUCTIONS – SBS FILMS– TWENTY TWENTY VISION FILMPRODUKTION –
FRANCE 2 CINÉMA – ENTRE CHIEN ET LOUP

ミシェルは警察に通報せず、自分の手で犯人を捜そうと、さまざまな武器を手に入れる。彼女は少女時代、父親にまつわる凄惨な事件に巻き込まれており、警察を、ひいては世間を信用していないのだ。

彼女が犯人について唯一覚えているのは、“割礼”していたこと。そこで男たちに首実検ならぬ、○○実検をする。それはセクハラを超えて、もうほとんど変態、サイコパスのレベル。この時のユペールの表情が絶妙で、爆笑してしまった。そう、これはサスペンスであると同時に、超ブラックなコメディなのだ。

レイプを取りあげた映画の中で最も誠実

『エル ELLE』8月25日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー
(c) 2015 SBS PRODUCTIONS – SBS FILMS– TWENTY TWENTY VISION FILMPRODUKTION –
FRANCE 2 CINÉMA – ENTRE CHIEN ET LOUP

ブラック・コメディという意味では、カンヌでも上映時にかなり笑いが起きていた。しかし、トラウマに苦しむことの多い性犯罪被害者の行動をコメディ仕立てにしていること、犯人によるSMプレイ的な行為にミシェルが興味を示すこと(決して犯人を許してはいないのだが)、さらにミシェルが製作しているゲームが過激なアダルトもの(いわゆるエロゲー)で女性を貶めるように描かれていることで、この映画を非難する声も少なくはなかった。眉毛を少しあげる以上に感情を見せない、ユペールが演じるふてぶてしすぎる被害者像は受け入れ難かったのかもしれない。

一方で、被害者としてではなく、常に自分であり続けるミシェルの強さ、逞しさに、賞賛を贈る女性記者も多かった。カンヌでは女性記者の多くが肯定的で、「ハリウッド・リポーター」誌の女性記者は「レイプを取りあげた映画の中で、最も誠実で、賢く、活力のある映画」と絶賛。また同時に「男性批評家は、諸手を上げて褒めると攻撃されそうなので、『問題作』と言って逃げ腰気味に褒めている」とう指摘もあり、なるほどと唸った次第。

私自身は、ミシェルと友だちになれるかもと思うくらい、はまってしまった。物理的、精神的に理不尽な暴力と対決するには、ミシェルのようなしたたかさも時には必要なのではないか。ゲスな男たちを飄々と槍玉にあげていくミシェルに、もっとやれと手を叩いた。

日本での試写でなぜ男性はドン引きしたのか?

日本での試写では、女性よりも、男性の方がドン引きする人が多いという。なにせミシェルの周囲の男たち、売れない作家の元夫をはじめ、精神的に自立していない男だらけ。一方、女性陣は、ミシェルの親友も、息子のイケズな妻も“逞しい”。ヴァーホーヴェンの代表作の一つ『氷の微笑』(1992年)もそうだったが、強く優秀な女にとって、男は交換可能な存在でしかない。ヴァーホーヴェンの映画はいわば「男殺し」「男嫌い」の映画であり、『エル ELLE』は究極のガールズ・ムービーなのだ。

左からイザベル・ユペール、ポール・ヴァーホーヴェン監督 撮影=石津文子

ヴァーホーヴェンは当初、この映画をアメリカで製作するつもりだったが、ミシェル役をオファーした女優に総スカンを喰らってしまい、『ピアニスト』(2001年)など勇気と知性において右に出る者のいないユペールを起用したという。6月にフランス映画祭で来日した二人は、ミシェルの人物像について、撮影前に話し合いを一切しなかったと語った。

「どういうふうに撮るか、物理的にどういう動きをするか、激しいアクションを伴なうレイプシーンは、事故も起きうるのでもちろん事前にきちんと話し合いました。しかし、ミシェルのキャラクターや動機に関しては、一切ディスカッションしていません。たとえ話し合ったとしても、フロイト的な分析にしか至らず、それは我々の映画を作るうえで何の助けにもならないと考えたからです。僕はイザベルを本当に信頼していたし、彼女がミシェルとしてやろうとしていることを分かっていました。ゆえに演出は一切していません。僕たちは同じものを見ていたのだと思います。コミュニケーションは、うなずくだけで十分でした」(ヴァーホーヴェン談)

そう、観客も同じ。ミシェルを目撃するのみ。理解する必要も、ジャッジする必要もない。なぜなら彼女は“ELLE(彼女)”なのだから。見れば彼女が忘れられない存在になることは間違いない。