(C)2017『アウトレイジ 最終章』製作委員会

北野映画でのビートたけしは、これで見納め?『アウトレイジ 最終章』の凄み

コラム

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北野武監督が遂に人気シリーズを完結させる。映画『アウトレイジ 最終章』が10月7日よりいよいよ公開される。北野監督ならではのヤクザ映画へのオマージュであり、強烈な風刺でもあった2010年の『アウトレイジ』は、凄まじい暴力の連鎖が呆れるような笑いに連結された、途方もない内容で大ヒットを記録した。続く2012年の『アウトレイジ ビヨンド』では一転、笑いを完全封印し、滅びの美学さえ感じさせる北野映画の究極のかたちをスクリーンに刻み、度肝を抜いた。では、この『最終章』はどんな映画になっているのだろう?

前2作とは異なる独特の味わい

『アウトレイジ 最終章』は、前2作とは肌合いが異なる。明るいわけでも、暗いわけでもない。あえて言うなら、ニュートラル。非常にフラットに事態の行方を見つめている。

物語の発端となるのは、ヤクザ組織の内部抗争。苛烈な闘いの火花が、組織の外に飛び火し、やがて帰ってきてはいけない男が帰ってくることになる。物語自体は、前2作の延長線上にあり、特別変わったことをしているわけではない。劇中で起きていることだけを見つめれば、『アウトレイジ』や『〜ビヨンド』との差はほとんど感じないだろう。

だが、映画全体から醸し出される雰囲気が、どうにもならないほど、やるせない。そのやるせなさは、死にゆく者たちへの哀感に満ちた『〜ビヨンド』ともまったく違う。超然と、俯瞰的に、あらゆる出来事を捉えていると表現すればいいだろうか。北野武は数学に造詣が深いことでも知られるが、あくまでもデジタルに、人間という生きものの悲喜こもごもを追いかけると、こういうことになるのかもしれない。ドライと言えば、かなりドライだが、だからこそ、ときに観る者を震え上がらせる映画の文体は、北野監督全フィルモグラフィの中の、どの作品にも似ていない。

俳優、ビートたけしの総決算

もうひとつ重要な点は、北野作品における「常連俳優」としてのビートたけしであるたけしは、ここで前2作に続いて大友という孤高のヤクザを演じている。大友は、一言で言えば単細胞な男で、だからこそ、果てしなく義理堅く、同時に、ひどく孤独でもあった。義理堅さと孤独とがアンバランスに共にあるが、その矛盾に大友自身はまったく気づいていないからこそ、哀しさと滑稽さが表出するキャラクターだった。

ビートたけしは、北野武として監督デビューする前から、ヤクザ役にキャスティングされる俳優だったが、『〜最終章』の大友は、これまでの俳優人生を総括するような存在感で立ちつくしている。

今回の大友は、これまでとは様子が違う。哀しさも、滑稽さも漂わない。映画全体の筆致がニュートラルであるのと同じように、ただ、そこにいる。その、何とも言えない風情が語りかけてくるものがある。

ひょっとしたら、ビートたけしが、北野武の監督作で主演を飾るのはこれが最後かもしれない。映画『ミッドナイト・イン・パリ』(2011年)などで知られるウディ・アレン監督は、あるときから自作に出演することが皆無に近くなった。それに近いタイミングを感じさせるのである。

『その男、凶暴につき』(1989年)、『3-4x 10月』(1990年)、『ソナチネ』(1993年)、『HANA-BI』(1998年)、『BROTHER』(2001年)。とりわけ、初期の監督作で演じた荒くれ者たちの「末路」がこの最新作にある気がしてならない。今年1月、たけしは70歳になった。4月に公開されたハリウッド映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』では、これまで見せたことのなかった「父性」を覗かせた。

様々な意味で、「完結編」を予感させる『アウトレイジ 最終章』。俳優たけしにとっても、ヤクザとしての最後の花道になるかもしれない、その勇姿をどうかお観逃しなく。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)

記事制作 : アドバンスワークス

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