韓国アニメ界の鬼才で日本のアニメが大好きと公言するヨン・サンホ監督は、1990年代に見た日本のアニメに影響を受けてアニメーターを志したという逸材。日本のアニメーション監督の押井守、大友克洋、宮崎駿、湯浅政明、今敏、沖浦啓之をリスペクトし、漫画家・古谷実の諸作品を熱狂的に支持している。そんなジャパニメーション信者サンホ監督が、2016年のカンヌ国際映画祭を震撼させた。長編映画監督デビュー作となる、ダッシュ系ゾンビ列車内サバイブ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(9月1日公開)だ。

韓国アニメ界の鬼才が実写監督になるまで

スクールカーストの恐怖を描いたアニメ映画『豚の王』、詐欺教祖の暗躍から人間の闇を暴くアニメ映画『我は神なり』(10月21日公開)で高い評価を得てきたサンホ監督。「日本のアニメーションから強い影響を受け、中学の頃にはアニメーターを志していた。美術に関する学校に通い、大学時代には短編アニメを製作。外国のアニメーション制作の下請け会社でも働いた。だから実写映画を撮ろうとは一度も思わず、まったく興味もなかった」という。

しかしサンホ監督のアニメは写実的であり、扱うテーマも人間の暗部や格差社会の問題を起点にしており、ファンタジックさ皆無のリアル志向。長編アニメ監督デビュー作の『豚の王』の時点で周囲から「実写映画を撮るべきだ」との声が多かったという。そんな折に長編アニメ映画第3作目となる『ソウル・ステーション/パンデミック』(9月30日公開)の企画段階で映画会社から正式な実写監督オファーを受け、重い腰を上げたという塩梅だ。

いびられずフラストレーションもゼロ

初の実写監督作は、ソウル駅近郊を舞台にした『ソウル・ステーション/パンデミック』と対になる内容で、ゾンビパンデミックに襲われたソウル発の特急列車内が舞台。父親としてはいささか問題のあるファンドマネージャー・ソグが、ともに乗り合わせた幼い娘スアンを守るために死闘に身を投じる。

列車内という密室状態の中でのサバイバル劇がハイテンションに展開する一方で、父娘・格差・人間の暗部をあぶりだすヘビーな人間ドラマが同時進行。父娘のすれ違いの物語を前半でじっくりと積み重ねて伏線をちりばめながら、怒涛のゾンビサバイブ劇に突入。伏線を全回収して迎えるクライマックスでは、まさかの家族の絆のドラマに姿を変える。類まれなるストーリーテラーぶりはアニメ作品ですでに実証されてはいるものの、実写初挑戦とは思えぬ堂々とした作風に驚かされる。

異業種からの新人監督は現場の職人たちからいびられるなどの逸話もあるが「スタッフ・キャストのほとんどが僕のアニメ映画のファン。初実写映画ということで色々と気遣ってくれて、むしろ非常に撮りやすかった」と感謝し「手描きアニメの時代とは違い、今はCGでなんでも生み出すことができる。冒頭シーンの雲もCGで描き足したし、高速列車の先頭部分を捉えたシーンは、自分の絵コンテ通りにCGで車両の外見を修正できた。アニメと実写の違いに関する創作面でのフラストレーションはまったくなかった」と手応え十分。しかも編集をたった3日で終わらせたという異能ぶりを発揮し、映画『哭声/コクソン』のナ・ホンジン監督から「お前は一体何者だ!」と嫉妬されたという。

『新感染 ファイナル・エクスプレス』(C)2016 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & REDPETER FILM. All Rights Reserved. 9.1 [金] 新宿ピカデリーほか 全国疾走!!

ゾンビはソウル駅にいるホームレスのメタファー

目指したのは、作家コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』のような滅亡していく世界の中での父と子の関係性と、スティーブン・キングの『ミスト』のような閉ざされた空間での群衆心理をアクションを交えて描くこと。映画『ゾンビ』で知られるジョージ・A・ロメロ監督が何らかの社会問題の象徴としてゾンビを位置づけたのと同じように、サンホ監督も娯楽性を念頭に置きながら、社会を射る視点を忘れてはいない。

「ソウル駅という空間は経済発展の象徴である一方で、経済発展からはみ出してしまった人がホームレスになって住み着いている場所でもある。そして非日常を生きているそんなホームレスたちを、我々は見て見ぬふりをして通り過ぎる。であるならば、ホームレスと姿形が非常に似ているゾンビがこの世に出現したときに、人々はどのようなリアクションをとるのだろうか?と考えた。それが『ソウル・ステーション/パンデミック』として発展し、『新感染 ファイナル・エクスプレス』に登場するホームレスにも引き継がれている」と明かす。

『新感染 ファイナル・エクスプレス』は自国で大ヒット。ゾンビ文化の薄かった韓国にゾンビ・ブームを巻き起こし、小学生の子供たちの間では、鬼ごっことゾンビをミックスさせた“新感覚”の遊びが流行した。フランス大手の映画会社ゴーモンによるリメイク版製作も検討されており、サンホ監督はたった1作で注目の映画監督になった。

漫画家・古谷実は韓国でも大人気

だが本人には「アニメ監督である」という軸をずらす気はない。野望は、「行け!稲中卓球部 」や「ヒミズ」で知られる古谷実原作漫画のアニメ化だ。「古谷さんの描く極端な人物描写や、極端に表情を変化させていくスタイルに衝撃を受けました。人間の暗部を表現するにあたり、典型的でチープな表現やセリフを使うのではなく、常に新しい表現やセリフを見せてくれる姿勢も好き。この作家は、人の闇の部分をしっかりと覗き込んで描いているんだと毎回唸らされる」とリスペクトしきり。

韓国の映画監督の中では、古谷の「ヒミズ」をベストコミックに挙げる人が多いそうだが、サンホ監督は「シガテラ」推し。「個人的にはこの作品をアニメーションで撮ることに興味を持っている。出版社に打診したら『なんでこの作品なの!?』と驚かれたけれど……」と苦笑い。ただ日本の場合は版権獲得に様々な壁があるようで「あるとき古谷作品以外でアニメ権を取得しようとしたけれど、日本の場合は韓国と事情が違ってハードルが高いと感じた。アニメ化にあたって原作者に原作上の細かい設定を一つ一つ確認しなければいけないとか……。でもいつかは日本の漫画を原作にしたアニメーションを撮ってみたい」と夢実現に前向きだ。

(文・石井隼人)