ダグ・リーマン監督の最新作『ザ・ウォール』が、9月1日から全国公開中です。

イラク戦争におけるイラク最強スナイパーと、米軍スナイパーの息詰まる一騎打ちが展開する本作。ライフルの照準器から相手を見つめる彼らは、銃弾にどんな思いを込めたのか? 今回は、スナイパーの極限の心情をうかがい知ることのできる映画をセレクトしてみました。

狙撃は日常、感情をなくした狙撃手たち

スナイパーは何のために撃つのか? そんな問いをぶつけられた『山猫は眠らない』(1992年)の主人公である、米海兵隊のらつ腕スナイパーのトーマス・ベケット上級曹長は、「仕事だ。何も考えていない」と答えています。74人を殺害したという設定のベケットは「一発必中が任務」、「狙撃した相手を覚えているのは最初だけ」、「すぐに、殺したあとの胸の痛みすら感じなくなる」と相棒のリチャード・ミラーに吐露していました。

同作ではスナイパーは任務に失敗して殺されれば、存在しない人物として処理されます。狙撃を命中させることが、スナイパーとしての彼の生きる道なのです。ベケットが弾丸にこめたのは、ある種の“機械的な殺意”。悲しくもこの一点に尽きるはずです。

他にも、クールで無表情なスナイパーといえば、『ジャッカルの日』(1973年)の主人公ジャッカルは外せません。目的完遂のために躊躇せず、冷酷な殺人マシーンとして行動します。偽造パスポートで名前を使い分け、変装をする彼が本当はどこの国の誰なのか、最後まで謎のままです。彼が銃弾に込めたのも、やはりベケットと同じく“機械的な殺意”だったのでしょう。

現代の戦場で弾丸に込められる思いとは

現代の戦場を扱った映画において、スナイパーは任務のままに活動することを強いられるため、個人の感情は押し殺されてしまうものとして描かれることが多いようです。

『ジャーヘッド』(2005年)では、過酷な訓練を経た海兵隊のスナイパーが、湾岸戦争下のイラクに派遣されます。しかし、ついに始まった戦争は、わずか4日あまりで終結。「一発だけ撃たせてくれ。おれが殺すんだ」と、スナイパーの一人は叫ぶのでした。戦場でその役目を失ったスナイパーにとって、放たれることのなかった弾丸は、彼の“自尊心”を満たすためのものだったのでしょう。

第82回アカデミー賞作品賞などを受賞した『ハート・ロッカー』(2008年)にも、武装集団のスナイパーと狙撃戦を行うシーンがあります。本作の最後で主人公の仲間の一人、サンボーンは「現場に出れば生きるか死ぬか、サイコロを振り、あとはどうなるかわからない」と語りました。狙撃戦には“生き残る”という以外、特別な感情などないという虚無感が、作品に漂っています。

復讐と愛がその弾丸に力を与える

ジャッカルやトーマス・ベケット上級曹長のように、スナイパーはその隠密性から、映画では冷徹な暗殺者として描かれることが多いようです。しかし、時には一人の人間としての感情のままに、その引き金を引く姿も見ることもできます。

『ロシアン・スナイパー』(2015年)に登場するソ連のスナイパーは、第二次世界大戦時にナチスドイツ兵309人を狙撃し、“死の女”と恐れられたリュドミラ・パブリチェンコ。彼女は弾丸にこめたのは、祖国を荒らされ、恋人を砲撃で奪われた“復讐心”でした。

しかし、ドイツ兵を弄ぶように狙撃する彼女を見かねた隊長に、「きみは復讐に生きているが、戦争は死だけではない。生きることを見つけなければ」と告げられたとき、リュドミラは人生に光を見出し、やがて隊長との恋に落ちていくのでした。憎しみと愛、その相反する力がスナイパーとしての彼女を支え、波乱万丈の半生を生き抜く強さを与えます。

一方で、マーク・ウォールバーグ主演の『ザ・シューター/極大射程』(2007年)では、仲間に裏切られ、無実の罪を着せられた超一流のスナイパーが巨悪に立ち向かいます。弾丸にこめられたのは「自分は無実だ」という心の叫びです。その感情を振り絞るように、神業的な射撃を見せるスナイパーの姿は、アクション映画らしい痛快なものでした。

戦友とともに生き抜く、その銃声は仲間を守るために

『ロシアン・スナイパー』や『ザ・シューター/極大射程』のように、自らのためだけに動くスナイパーがいれば、仲間を思うがために戦うスナイパーもいました。

韓国で大ヒットした『暗殺』(2015年)の舞台は1930年代の日本統治時代。女スナイパーのアン・オギュンは、上海と京城(現ソウル)を舞台に韓国独立を目指し、日本要人と親日派韓国人の暗殺を任されます。

最後の戦いに挑む前、「独立運動は無駄かもしれない。それでも、戦いは続いていると仲間たちに伝えることはできる」と語るオギュン。その銃声は“同胞を鼓舞”しようとするメッセージなのだという彼女の思いを示し、涙を誘いました。

また、トム・ハンクス主演の『プライベート・ライアン』(1998年)では、スナイパーのジャクソン二等兵と分隊7人が、“1人の二等兵を探し出し、帰還させる”という特命を受けます。当初は任務の意義に懐疑的でしたが、ライアン二等兵の「自分は運命を共にする仲間と、ここで戦う」という言葉に心動かされ、ジャクソンは、戦車の砲弾にさらされる鐘楼に登って見事な狙撃を展開するのでした。その銃弾にこめられたのは殺意というより、生死を共にする仲間との絆を守りたいという“友愛”だったからこそ、彼の狙撃は鮮やかに映るのです。

スナイパーとしての生きざまに決別するための1発

スナイパーの姿を追った映画には、『ザ・ウォール』と同じように1対1の狙撃戦を扱う作品もあります。『アメリカン・スナイパー』(2014年)では、160人を狙撃した米軍最強スナイパーことクリス・カイルと、イラク側の元オリンピック選手・ムスタファとの銃撃戦が描かれました。

クリスは4度に渡ってイラクに出征し、長期にわたり狙撃を続けてきました。その理由は子供時代に父親から教えられた「強い男は、国と家族を守らなければならない」という信念から。しかし、イラクで単純ではない現実を知った彼は、戦闘に取り憑かれて次第に心を病み、最も大切なはずの自分の家族とも親密な関係をもてなくなっていくのです。

最終的にムスタファとの戦いに勝ったクリスは、家に帰ることを決断します。父親から「決して地面に置くな」ときつくいわれていたライフルと聖書を、砂嵐の中に置き去りにするシーンは象徴的です。クリスが狙撃に込めてきたのは、父譲りの“信念”でした。これを放棄したとき、彼は戦場の悪夢から離れることができたのでしょう。

他にも、男同士がその生き様をかけて戦う姿を描いた作品といえば、『スターリングラード』(2000年)が挙げられるでしょう。

この作品に登場するスナイパーは、ウラル山地出身の素朴な青年。ソ連機関紙に“英雄”と祭り上げられながらも、次第に“本来の自分に戻りたい”と願うようになった彼は、彼を葬るためにやってきたナチス将校との決死の戦いに挑むのでした……。

(c)2017 AMAZON CONTENT SERVICES LLC/『ザ・ウォール』

『ザ・ウォール』では、“死の天使”と恐れられたイラクのスナイパー・ジューバの狙撃に、米軍のスナイパーが崩れかけた壁へと追い詰められます。戦争をゲームのように楽しむジューバを相手とする、生き残りを賭けた心理戦が最大の見どころです。

名作に登場するスナイパーたちには、いつまでも私たちを惹きつけて止まない何かがあります。その魅力を、今作品でもぜひ確かめてみてください。

(文/岸田キチロー@H14)