文=高村尚/Avanti Press

「お願いだから私を壊して、帰れないところまで連れていって見捨てて、あなたにはそうする義務がある――」。島本理生の小説「ナラタージュ」の裏表紙には、そう書かれていた。許されない恋なのはわかっている。それでも離れられないのだから、むしろ戻れないところまで突き進んで、愛することで壊してほしい。幸せな記憶を閉じ込めたまま……。そんな意味合いなのだろう。かなり官能的な小説だ。この「ナラタージュ」が、松本潤、有村架純で映画化された。監督は行定勲。『GO』(2001年)、『世界の中心で、愛を叫ぶ』(2004年)、『ピンクとグレー』(2016年)などを手掛けて数々のヒットと映画賞をものにしてきた監督だ。その行定監督でさえも、“大人の”恋愛小説を映画化するまでに10年かかったという。様々な苦難を乗り越え完成した本作で、松本潤に、有村架純に、その“官能”をどう演出したのか、行定監督にうかがう。

少女コミック原作の恋愛映画への挑戦状!?

行定勲監督

――2005年に書き下ろしで出版され、2006年版「この恋愛小説がすごい!」で1位を獲得した『ナラタージュ』。高校時代、強く惹かれていた先生・葉山に大学生になって再会した女性・泉が禁断の恋におちていく姿を回想形式で語ったラブストーリー。なかなか映画化できなかったとうかがいましたが、どんな理由があったのでしょう?

行定 もともとこの企画は某映画会社からいただいたものでしたが、大人の恋愛映画として脚本を書いたら、濡れ場があるし、それゆえキャスティングも難しい。これはリスクが大きいと言われてしまって……。その後、少女コミックの映画化作品が増え始めて、最初の頃こそ新しさを感じましたが、「まだ続くの!?」と言いたくなるほど、いまだに政権交代せずに続いている。もういい加減、新しい恋愛映画を作ろうじゃないかと。ヒロインはティーンエイジャー向け恋愛映画と同じ年頃の女の子である『ナラタージュ』は、大人も面白がるようなものにしたい。そう思って脚本を持ち歩き、ことあるごとに「こんな企画あります」と売り込んできたんですが、「スケジュール、空いているならこちらはどうです?」と逆に少女マンガ原作の脚本を渡される始末(笑)。そんな10年間でした。

――究極の大人の恋愛映画といえば成瀬巳喜男監督の『浮雲』(1955年)。当時、絶対的な人気を誇った森雅之と高峰秀子が、離れても離れてもまた寄り添ってしまう運命の恋人たちを演じました。『ナラタージュ』には有村架純がこの『浮雲』を見ているシーンがあります。松本潤演じる葉山先生、有村演じる泉の関係にこの映画をなぞった部分はありますか?

行定 もともと原作の葉山先生が映画好きという設定で、泉もその影響で映画が好きになり、重要なシーンで『エル・スール』や『存在の耐えられない軽さ』が登場します。映画版では、私がものすごく影響を受けた成瀬巳喜男の『浮雲』にしようと。もともと『浮雲』は東宝の映画。でも成瀬のような映画をずいぶん長い間、東宝は作ってこなかった。そういう時代への皮肉も含めて(笑)。

――松本潤さんのキャスティングは、『ピンクとグレー』のプロデューサーでもある小川真司さんの発案だそうですね。

行定 そうです。小川プロデューサーの審美眼というか。この企画は今の時代にはエッジが効きすぎている。この企画を通すなら、そしてこの役を演じることができるのは、彼しかいないという選択でした。そして僕はかねてより一緒に何かやりましょうと話していた有村架純を口説いた。彼らが揃ったことで最後の勝負に出られたわけです。

松本潤が耳元でつぶやいた役作り

『ナラタージュ』10月7日(土)全国ロードショー
(C)2017「ナラタージュ」製作委員会

――問題は“濡れ場”です。このためにこの作品の企画がなかなか通らなかったほど難航したんですよね?

行定 濡れ場と言っても、松本君はもう大人だし、映画では『東京タワー Tokyo Tower』なんかでも既に演じているので、そこが問題になるようなことはないわけです。むしろ、これまで正義感が強かったり、芯の通った人間を演じることが多かったので、このなにもなく、自分の人生に混迷し、他者に救いを求め、弱さを見せる葉山先生を、本当にやれるのかなという戸惑いのほうが大きかったようです。

彼はクリエイトすることにものすごく興味をもっている人なので、こういう俳優と組むとすごく面白い化学反応が得られるだろうなと、僕は素直に期待していました。だから、「松本潤は松本潤でしかない。松本潤にこの“なにもなさ”を一つずつクリエイトしていくと面白いものができるんじゃないのかな?」と彼を説得して。そうしたら彼はすぐ気づいたみたいです。この役を演じるということは、「この人になるというより、自分にしか作れないこの男を作る作業」だということに。でも葉山先生に関する情報は少ないので、原作を読み返しては「先生のことが分からない」とこぼしていましたね(笑)。僕が「葉山先生の言うことは、嘘かホントかも分からない。泉を思いやって言っている可能性も、自暴自棄で言っている可能性もあるよね」なんていう話をしたら、とても面白がっていました。

松本君はどちらかというと完璧主義。本当はすべて自分が理解したうえで作りたいし、監督が望むものには確実なものを提示したい人。でも僕は完璧なものなんて望んでいないので、「この1~2カ月で撮った中に刻み込まれたものを、編集して永遠にするつもりです」と話しました。

――俳優を奮い立たせる、殺し文句ですね(笑)。

行定 (笑)。完璧なものなんかないんですよ。松本君がやることが重要。そこに俺は面白さを感じた。これは本音です。彼はすごく的確に応えてくれる。まず「ビジュアルどうしますか?」と聞かれたので、彼の強さを封印するために、メガネをかけて前髪を作ってもらった。「目力を40%にして、目にブラインドをかけるみたいなことはできるかな?」って聞いたら、「やってみます」と。一方、僕らは、彼の強さをどれくらいビジュアル力で落とせるか。要するに彼の輪郭をぼかす作業を、メイクやスタイリストのチームと一緒にやりました。服は茶系かグレーで、黒や白、原色は使わない。大ベテランのスタイリスト、伊藤佐智子さんが、この映画を物語る、本当にため息が出るような素晴らしい服を揃えてくれました。服の写真を全部並べたら、一枚のマンダラのような美しいグラデーションが出来上がった。衣装合わせで既に感動ですよ(笑)。それがやっぱりこの映画の色合いを作っていきましたね。

――有村架純さんはいかがでしたか? 彼女はいま清く正しいNHKの朝ドラ「ひよっこ」のヒロインです。役のふり幅は半端ではありません。役作りにおいてはずいぶん話されたのではないですか?

行定 有村さんに僕が感じていたことは、この人は負けず嫌いなんだということです。芯があるというか。この芯の強さが必要だったんです。例えば高峰秀子。高峰さんは芯が強いから、どんな役をやってもぶれない。そういう存在が欲しかったんです。ラブストーリーの難しさは、現場の空気に反応する演技だということ。そういう意味では多少粘りましたし、事前に少し話をしましたが、現場で彼女から質問されることはほとんどありませんでした。

僕のとった演出法は、有村さんは突き放し、松本君に手をかけるという。松本君は勘のいい人なので、「要するに僕の役目は、有村架純のいろいろな表情を引き出すことですね」とコソっと言うんです。それを掌握し、最初に葉山先生像を一緒に作りあげた後は、かなり自在に動いて、有村さんとのセッションを見せてくれました。完成した映画を見て、「架純ちゃんは大変だったと思う」と言ってましたね。そういう見方ができる俳優ってかなり稀有だと思います。ただ、何カ所か、それが逆転する瞬間もありました。有村さんに仕掛けてもらって、松本君の表情をあぶり出すというか。そういう時の彼は瞬間、男の顔になる。でも葉山先生だから煮え切らない。それがまた泉をいらだたせるわけです。

監督もうなった有村架純のあの表情

『ナラタージュ』10月7日(土)全国ロードショー
(C)2017「ナラタージュ」製作委員会

――実際、映画を拝見すると、有村さんの表情には、かなり生っぽい色気が含まれていて、どんな演出をされたんだろうと思いました。

行定 よく言われます。「よく(有村さんに)ああいう表情させたね」と。特に風邪で倒れた泉が、部屋を訪ねてきておかゆを作る葉山先生に、「なんでそんなに優しくするんですか」と言うところから彼が出て行くまでが、すごく生々しかったなと。嬉しいはずなのに、急に攻める口調になる。優しくしてくれる先生になぜ嫌な言い方をしちゃうんだろうという感じを、有村さんは自分のものにできていた。あの時、僕は「この顔が見たかったんだ」と気づきました。

――それらはすべて有村さんがご自身で見つけ出したものなんですね?

行定 自発的です。彼女がちゃんと見つけて演じたもの。彼女は非常に女優に向いている人だと思います。なぜなら非常にコンプレックスが強いから。もちろんいい意味で。それをまた、上手に隠すのではなく、自分の中でずっとせめぎ合わせている。手ごわいことも安易に説明を求めず、一人でずっと考えている。だから泉を演じるのは、すごく苦しかったと思います。だから我々もその空気を壊さないように、現場では放っておくようにしました。彼女も話しかけられたくないという態度で、これを逃したらもうできないかもというギリギリなものを抱えて、自分を追い込んでいましたし。僕はずっと見ていましたけどね。

明らかに彼女がこれまでやってきたものとは違うし、21歳くらいではまず経験値にないことを演じようとしている。自分とは全然違う人間であることは確かだけど、いかに肉薄するか、常に泉を引き寄せようとしていました。どんな女優になっていくのか楽しみなタイプです。

*    *    *

「必ずしもきれいごとではないものが描かれるのが恋愛映画。映画化には覚悟が必要でしたが、とても面白かった」と行定監督。スクリーンから放たれる空気、表情、感情は、俳優たちがその場で獲得したもの。ひとつの台詞を受けて見せたリアクションこそ、その場のリアルなのだ。生々しいそれらは、繊細かつバリエーションに富んでいる。見逃すことなく目に焼き付けたいと強く思わせる。