文=大谷隆之/Avanti Press

ああ俺は、これまで中村獅童という役者の、一体どこを見ていたのだろう──。2016年初夏、渋谷・コクーン歌舞伎の第15弾「四谷怪談」を観終わった後、真っ先に浮かんできたのはそんな溜息まじりの感想でした。主役の民谷伊右衛門を演じた獅童さんの圧倒的な色っぽさに、心底びっくりしたからです。

全身から滲む、浮かばれない色男の切ないオーラ

NEWシネマ歌舞伎「四谷怪談」 9月30日公開 (C)明緒

もちろんそれまでも、“歌舞伎界の異端児”と言われた彼の活躍は、映画やテレビでたくさん目にしていました。たとえば、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』(2006年)で演じた海軍大尉。いつもは威張っているくせに、いざ戦闘となると部下の命を平気で踏みにじる“イヤ~な感じ”は、今も強く記憶に残っています。あるいは近年では、NHKの「トットてれび」(2016年)もすばらしかった。満島ひかりが黒柳徹子役を演じ、戦後テレビ史をぎゅーっと凝縮したこのドラマで獅童さんが担当したのは、稀代の喜劇俳優・渥美清。決して明るいだけじゃない。寂しさや孤独癖も滲む「寅さん」の素の表情は、多くのドラマ通を唸らせました。

けれどコクーン歌舞伎「四谷怪談」の伊右衛門には、そのどれとも異なる質感があった。イケメンで女たらしで、薄情者。自分勝手で思慮も浅くて、すぐ目先の利益に流される。そして、そんな自分の薄っぺらさを、心のどこかで分かってもいる。舞台上のなにげない立ち姿からも、浮かばれない色男の切ないオーラが滲んでいて…。まさに歌舞伎役者の本領。そのセクシーさ、哀れの深いカッコよさは、わが目の節穴っぷりを嘆きたくなるほどでした。ああ、こんな獅童さんはまったく知らなかった、と。

舞台中継とはまったく違う“シアトリカル・ムービー”

NEWシネマ歌舞伎「四谷怪談」 9月30日公開 (C)明緒

そんな“究極のダメ男”の放つ類い希な色気を、さらに生々しく体感できるのが、9月30日公開の『NEWシネマ歌舞伎「四谷怪談」』。昨年の公演にのべ20台近くのカメラを持ち込み、膨大な映像素材を再構築した新感覚の“シアトリカル・ムービー”です。

監督は舞台版の演出・美術を手がけた串田和美氏。日本を代表するこの演劇人は1985~96年、「Bunkamura シアターコクーン」の芸術監督を務めていました。2012年に惜しまれつつ逝去した中村勘三郎(十八世)と共にコクーン歌舞伎を立ち上げ、斬新な企画で新風を吹き込んだ功労者。そんな“育ての親”が、クローズアップやカットバックなど映画ならではのテクニックを採り入れて、従来の舞台中継とはまったく違う世界観を提示してみせた。それもまた、「NEWシネマ歌舞伎」の大きなポイントと言えるでしょう。

物語の軸は「悪いイケメンに翻弄された女性の哀しみ」

NEWシネマ歌舞伎「四谷怪談」 9月30日公開 (C)明緒

ところで伊右衛門とは一体どんな役柄なのか? 歌舞伎の代表的な色悪(いろあく)で、要は「ルックスはいいが中身は極悪」というキャラクターです。もとは侍でしたが、勤めていた家中が没落する際に、ドサクサに紛れ公金を横領。それを義理の父親に咎められ、身重の妻・お岩さんを実家に連れ戻されて、しがない浪人暮らしを送っています。

この伊右衛門が浅草観音の境内をぶらぶら歩いているとき、義父の四谷左門とばったり出会うのが、鶴屋南北版「東海道四谷怪談」の序幕。復縁を頼み込んで拒まれた伊右衛門は、カッとなって左門を殺害。たまたまそこを通りがかったお岩には「辻斬りの仕業だ」と嘘をつき、さらには「俺が仇を討ってやる」とでまかせを重ねて、ちゃっかり元のサヤに収まってしまう。ところがその後、男の子を出産したお岩さんが病気がちになると、内職暮らしに嫌気が差してきます。そんな折、お隣に住む金持ちのお嬢さんから言い寄られた伊右衛門は、ムクムクと悪心を起こして……。

謀られて毒薬を飲まされたお岩さんは、可哀想に、面体が醜く崩れ落ちてしまいます。そんなお岩に、伊右衛門は離縁を突き付ける。髪がゴソッと抜け落ちたヒロインが、恨みを呑みながら死んでいく有名なシーンが、誰もがよく知るこの歌舞伎狂言の大きな見せ場。(実際はもっと多くのキャラクターが登場し、ストーリーもずっと複雑なのですが)ざっくり説明するとこんな感じ。とにかくひどい主人公で、「悪いイケメンに翻弄された女性の哀しみ」が話の軸となっていることは間違いありません。

獅堂さん本人は、伊右衛門の役作りについてこんなコメントを寄せています。「伊右衛門は不器用で成熟しきれず、どこか甘えもある男」「常にいろんなことが頭の中を彷徨っていて、やることなすことが裏目に出て、どんどん深みにはまり抜け出せない」「揺れ動く彼のいろんな局面を出せたらいいですね」(コクーン歌舞伎「四谷怪談」オフィシャルパンフレットより)

さまざまな表情をたたえる、中村獅童の目の演技

NEWシネマ歌舞伎「四谷怪談」 9月30日公開 (C)明緒

そのチャレンジが十二分に実を結んでいたのは冒頭でも述べた通りですが、本作『NEWシネマ歌舞伎「四谷怪談」』ではさらに違ったアングルから、この色悪の魅力を堪能できます。とりわけ注目してもらいたいのは伊右衛門の視線。虚栄心、強がり、後悔、猜疑心。いろんな感情が入り交じった目の表情です。愛するお岩さんを冷たく突き放すシーンでも、その怨霊に苛まれるシーンでも、伊右衛門の眼差しはつねに少しだけ泳いでいる。その寄る辺なさが、ときには台詞と裏腹な思いを伝えてくれる。それを際立たせる白塗りと目の隈取り、そして細かい所作がまた鮮烈。このクローズアップは舞台では感じとれない、まさに映画ならではの愉しみです。

前述したように、本作『NEWシネマ歌舞伎「四谷怪談」』は単なる舞台中継とは違います。映画の世界で活躍する撮影監督、サウンドデザイナー、編集者を起用し、膨大な映像素材を1本の作品として再構築した“シアトリカル・ムービー”。3時間あった舞台を2時間に凝縮し、ときには回想シーンを挿入したりシーンの順番を入れ替えたりして、観客の記憶に迫ろうとする試みです。

本稿では書ききれませんでしたが、中村勘九郎・中村七之助兄弟や中村扇雀など、共演者の演技もすばらしい。さまざまな時代と場所が重層的に折り重なったような、串田和美氏の斬新な舞台演出とも相まって、絶好の歌舞伎入門にもなってくれるはずです。