文=平田真人/Avanti Press

何かしら障がいがある人は不自由か? 答えはノーだ。いや、わかったようなことを言うつもりはない。あるいは、きれいごとなのかもしれない。でも、こう思うのだ。「〝不便〟ではあるかもしれないけど、何人たりとも自由じゃないなんてことは、あり得ない!」と。

映画『パーフェクト・レボリューション』の主人公・クマ(リリー・フランキー)は脳性麻痺の影響で身体が思うように動かせず、ヒロインのミツ(清野菜名)は人格障がいを抱えている。なるほど、俗に言う「健常者」とやらの尺度からすると、2人は“不完全”あるいは何かを制限されていると見なされるのだろう。しかし、だ。はたして世の中に“完全”な人なんて本当にいるのだろうか? そもそも、何をもって完全だというのだろう? まあ、あまり話を壮大にするつもりもないので、そもそも論は置いておくとして──こう考えてみては、どうだろう。

誰しも何かしらが欠落している、だからこそ補い合える存在を求めるんじゃないか、と。

根っこにあるのは、愛し愛されたいと願うシンプルな気持ち

(C)2017「パーフェクト・レボリューション」製作委員会

つまり何が書きたかったかというと、『パーフェクト・レボリューション』の根っこにあるのは、誰かを愛し愛されたいと願う、実にシンプルな気持ちだ、ってことである。そして、そのシンプルな思いの先にあるのは、相手と触れあいたい、温もりを感じたい、肌と肌を合わせたいという性的欲求であることも忘れてはならない。

手足が動かせなければセックスはできないのか? そんなことはない。では、彼ら彼女たちはどのようにして性欲を満たすのか? そうやって掘り下げていくと、障がい者の性に対して理解できていない部分が、実のところたくさんあることに気づかされる。そういった無知や誤解、あるいは偏見をなくそうと活動している熊篠慶彦氏の実体験に基づく物語ゆえ、見れば「やり方はそこそこ限定されるけど、行為そのものは自分たちと何ら変わらないじゃないか」と、見識を大いにあらためるはずだ。

そういったことを前提としつつも、まずは構えることなく「とあるラブストーリー」として観てみてほしい。いろいろと考えるのは、その後でもいい。なぜなら、クマもミツも特別でも何でもなく、僕や君や彼や彼女と同じ、この世に生まれし“ただの不完全な人”だからだ。2人は縁があって出会い、相手の存在を気にかけるうちに恋をして、やがて、お互いに求め合っていく。それこそ劇中のミツのセリフではないが、「生まれも性別も、職業も能力も、お金も年齢も、幸せには関係ない。世界に証明するの。本当の幸せを!」と、ばかりに。そうやって愛を深めることによって、無闇に心配したり、興味本位のフィルターを掛けて2人のことを見ようとする周囲や世間に対して、“最強のふたり”であることを高らかに宣言する。これこそが、不完全な2人による「完全なる革命」への第一歩となることは、言うまでもないだろう。

エキセントリックだけどピュアなヒロインを、清野菜名が等身大で表現

(C)2017「パーフェクト・レボリューション」製作委員会

なお、クマに扮したリリー・フランキーは熊篠慶彦氏と10年来の友人。本人をよく知るだけに、細やかな仕草やたたずまいまでリアルに体現した芝居は、まさしく真に迫る。そして、クマを愛し愛されるヒロインのミツを、アクションから繊細な演技まで幅広くこなす若き実力派女優・清野菜名が文字通り熱演。時にエキセントリックにも映るが、実は複雑な過去を背負ったミツを等身大で演じている。

「役としてはとても難しさを感じましたが、松本准平監督と熊篠さんにいろいろ聞きながら、自分が感じたまま思いきり演じました。この時、ミツとあたしは一心同体だったと言い切れます。リリーさんとすごくナイスコンビだったと思います。あんなに自分が一直線に突き進んでるのは、初めての感覚でした」

というコメントからも、清野自身も非常に手応えを感じている様子がうかがえる。さまざまな見方ができる映画ではあるが、ミツという一風変わったヒロインの視点で観てみると、より興味深く映るかもしれない。