文=清藤秀人/Avanti Press

観客のイメージを左右しない“無印”の着こなし

グッチグループのクリエイティブ・ディレクターとして活躍し、ファッションデザイナーから映画監督へ華麗な転身を遂げたトム・フォードが、7年ぶりに発表した監督第2作『ノクターナル・アニマルズ』は、昨年のヴェネチア映画祭審査員グランプリを筆頭に多くの映画賞を受賞。現実の世界で暮らすヒロインが、小説に描かれた虚構の物語に没頭していくスリリングな構成もさることながら、映画の見どころは、ずばりファッション。今回は、コリン・ファース演じる大学教授のために自ら得意のブラックスーツをカスタマイズした前作『シングルマン』とは違い、トム・フォード・ブランドを一切封印しているのが注目点だ。

本作でヴェネチア映画祭審査員クランプリを受賞したトム・フォード監督
(c)Marechal Aurore/Sipa USA/Newscom/Zeta Image

フォードが衣装コーディネーターのアリアンヌ・フィリップスと共に目指したのは、ブランディングが観客のイメージを左右しない、純粋に人物とストーリーを物語るための無印の服たち。2人の狙い通り、各場面に登場するコスチュームからはキャラクターとその背景が明確に伝わって来る。

戦闘服のようなシースドレスと、床に突き刺さるようなピンヒール

エイミー・アダムスが演じる主人公のスーザンは、L.A.でジャンクアートをキュレートするギャラリーのオーナーである。ジャンクアートとは廃品をコラージュして制作する芸術のことで、その狙いは物質文明の批判だ。そんな誰かがアートだと言えばアートになる不確かな業界に身を置き、不眠症に悩みながら仕事に忙殺されるスーザンが纏うのは、まるで、戦闘服のようなボディにフィットしたロングスリーブのシースドレスと、床に突き刺さるようなピンヒール。メイクは濃いめでアイラインはどす黒く、紅いリップが異常な光沢を放っている。そこから、スーザンにとって仕事場は徹底武装して戦う戦場のようなものであることが分かる演出だ。

エイミー・アダムスが演じるスーザンの“戦闘服” 『ノクターナル・アニマルズ』

一転して、自宅のソファに体を沈めるスーザンは、ノーメイクで肌に優しいカシミアのニットに手を通して、別人のように寛いでいる。そんな彼女が読み始めるのは、元夫のエドワードが送りつけてきた「夜の野獣たち」という題名の小説だ。以前、小説家志望だったエドワードが綴った物語は、テキサスのハイウェイを走行中に妻子を暴漢に拉致され、惨殺された主人公のトニーが、自ら事件の真相を探求し、リベンジに着手する過程を描いた犯罪小説だった。読み進むうちに、やがてスーザンはトニーにエドワードをダブらせ、現実と小説、さらに現在と過去を往き来している自分に気づくのだった。

小説を読みふける自宅のスーザン 『ノクターナル・アニマルズ』

無骨さを象徴するジーンズ&ワークブーツ

小説の中のトニー(エドワードと1人2役を兼任するジェイク・ギレンホール)は、バッファローチェックのシャツにキャメル色のジーンズ&ワークブーツ、 トニーと共に事件を捜査する警部補(マイケル・シャノン)はウエスタンヨークジャケットにカウボーイハットという、いかにもテキサンらしい砂埃を被ったワイルドなワードローブで決めている。それらのアイテムは、スーザンが住まう虚飾にまみれた現実世界にはない無骨さを象徴しているかのようだ。

事件を捜査する警部補(マイケル・シャノン)と小説の中のトニー(ジェイク・ギレンホール) 『ノクターナル・アニマルズ』

現実のエドワード(ジェイク・ギレンホールがと1人2役) 『ノクターナル・アニマルズ』

現実が虚構で小説がリアルという空間の逆転を、コスチュームによって表現した本作。それは同時に、スーザンと同じく長らくファッション=アートの世界に身を置き、シーズン毎に流行を作って来た天才デザイナー、トム・フォードが、ファッションとは本来、見せかけやトレンドではなく、着る人にとっていつも自然で心地よいものでなくてはいけないという自戒を込めたメッセージでもある。

唯一のブランド服=シャネルのツイードスーツに注目

ただし、ブランドマニアには朗報も。劇中でスーザンの母親役を演じるローラ・リニーが身に付けるのは、傲慢で封建的なキャラクターを物語る、全衣装の中で唯一のブランド服であるシャネルのツイードスーツだ。そのゴージャスなフォルムを、首元にあしらわれたハイジュエリーと共に、是非、お見逃しなく!

シャネルのツイードスーツを着こなすスーザンの母親 『ノクターナル・アニマルズ』