詩人、俳人、歌人、作詞家、劇作家、演出家、映画監督、スポーツ評論家、政治評論家、エッセイスト、雑誌編集者、写真家、ゲームプランナーなどなど……。「マルチ」という言葉で片付けきれないほど多彩な顔をもつ寺山修司。その枠にとらわれない活動を問われて自ら「職業は寺山修司」と答えたという逸話があるほど、彼の活動のジャンルは多岐にわたります。

急逝から30余年が経った今もなお、寺山の存在は若者たちの心をとらえ、革新的な価値観を生み出し続けています。規制や倫理の鎖でがんじがらめの現代社会において、彼の破天荒な生き様は世相に対するアンチテーゼとして機能し、彼の遺した膨大な作品群は息苦しい世の中を生き抜くためのバイブルとして人々を鼓舞します。

死後も無二のカリスマ的存在として強烈なインパクトを放ち、“反骨のカルチャーアイコン”として崇敬される「寺山修司」とは何者なのでしょうか。

小劇場旋風の目、青少年のカリスマ

寺山修司は、1935年青森県弘前市に生まれました。高校在学中より俳句、詩に早熟の才能を発揮し、早稲田大学教育学部に入学(後に中退)した1954年に、短歌50首「チエホフ祭」で短歌研究新人賞を受賞します。以後、詩人の谷川俊太郎の勧めを受けてラジオドラマの脚本を書き始め、これが好評を得たことにより、活躍の場が舞台や映画に広がっていき、やがて活動の領域は評論の分野にまで及ぶようになりました。

とりわけ演劇には特別の情熱を傾け、1967年に演劇実験室「天井棧敷」を主宰。状況劇場の唐十郎、早稲田小劇場の鈴木忠志、黒テントの佐藤信と並び、アングラ四天王と呼ばれ、1970年代前半に巻き起こった小劇場旋風の目となりました。代表作『毛皮のマリー』、『人力飛行機ソロモン』、『邪宗門』などは海外でも公演され、国際的にも大きな反響を呼びました。

このほか寺山は、学研の「高三コース」にて高校生の詩の選者として多くの若い才能を発掘するなど、若者たちに刺激を与える活動も熱心に行いました。1963年における『現代の青春論』(のちに『家出のすすめ』へ改題)の刊行は、寺山の「青少年のカリスマ」としての地位を確固たるものにしました。

現代オタクカルチャーの先駆、テレビ業界の革命児

寺山修司を語る上で、重要なエレメントがあります。それは「ボクシング」です。寺山はしばしば作品の中に「過去にとらわれるな。未来にもこだわるな。今を全力で生きよ」とのメッセージを込めましたが、その精神をわかりやすい形で体現する競技がボクシングだったのでしょう。1966年に刊行された長編小説『あゝ、荒野』と、1977年に発表された青春映画『ボクサー』は、いずれもボクシングを題材とした作品です。

ボクシング愛を高ぶらせた寺山は、ひとつの斬新なカルチャーを生み出してしまいました。ボクシング漫画の代表作『あしたのジョー』で、主人公ジョーのライバルである力石徹が死んだ際、寺山は先着500名入場無料の葬儀を主催したのです。彼はそこで「力石徹よ、君は『あしたのジョー』の“あした”であり……」のフレーズから始まる時代感情たっぷりの弔辞を披露しました。平日にも関わらず、会場の中は小中高生から会社員まで、沢山の人で溢れていたといいます。

実はこの葬儀、テレビアニメ版「あしたのジョー」の放映直前に仕掛けられた番宣イベントだったと見る向きがあるのです。
「たたけ! たたけ! たたけ!」というフレーズが印象的な、同アニメの主題歌を耳にしたことのある方もいるのではないでしょうか。あの有名な歌詞を書いたのは他の誰でもない寺山です。式の中では、尾藤イサオが主題歌を熱唱するというパフォーマンスが披露されましたが、これは寺山によって巧妙に仕掛けられた演出であったとも囁かれています。

「力石徹の葬儀」は、2次元キャラクターを実在するかのように扱う現代オタクカルチャーの先駆であったと同時に、あからさまでない形でそれとなくプロモーションを仕掛ける新しい番宣イベントの魁であったと解釈することができます。寺山の柔軟な発想力が新しい文化的概念を生んだわかりやすい事例といえるでしょう。

競馬を人生になぞらえて語る

寺山修司という人物を構成する要素として触れておきたいのが「競馬」です。寺山が競馬と出会ったのは、1956年のこと。ネフローゼ症候群(低蛋白血症を来す腎臓疾患群)を患い長期入院した先の病院で、同室の韓国人から競馬を学びました。

それから暫くして、寺山は競馬評論家の山野浩一と親しくなり、競馬場へ足繁く通うようになります。牝馬・ミオソチスに心酔して競馬エッセイを書き始め、競馬を人生になぞらえて語るなど独特の語り口で人気を博しました。

騎手では吉永正人を贔屓にし、まだ世間に注目されていない頃から彼を熱心に取り上げ、「ダービーに勝つまで書き続ける」と意気込んでいました。しかし願い虚しく、寺山は1983年の春に47歳の若さで急逝。吉永がミスターシービーに騎乗してダービー制覇の悲願を達成したのは、寺山の死から3週間後のことでした。
寺山は、10年以上の長きにわたり報知新聞で連載しつづけた競馬予想コラム『風の吹くまゝ』の最終回に、「勝つのはミスターシービー」と記し、吉永とミスターシービーの勝利を確信して息を引き取りました。

活動が度を超して警察沙汰に

好奇心旺盛でさまざまなことに関心を抱いた寺山ですが、ときには時代の先を行きすぎて理解されないこともありました。革新的なプロジェクトを実行して、物議を醸すこともしょっちゅうでした。

1975年の春、寺山は杉並区阿佐ヶ谷の住宅街を巻き込んで、ある「演劇実験」を行います。「30時間市街劇『ノック』」と題されたこの斬新なスタイルの演劇実験は、エリア内の18か所のスポットを劇場に見立て、同時多発的に前衛パフォーマンスを展開するという前例のない試みでした。しかし「戸別訪問演劇」と銘打った演目では、“包帯男” や “びしょぬれ男” が住民宅にアポなしで訪問したため、通報され、警察沙汰となってしまったのです。

さらに寺山は1980年、渋谷の閑静な路地裏で取材に没頭していたところ、アパート敷地に住居侵入したとして逮捕され、略式起訴を受けました。エキセントリックな活動家として世間をにぎわせる存在だった寺山をメディアはこぞって“のぞき魔“として報道し、鬼の首をとったと言わんばかりに彼を好奇の目にさらしました。

21世紀の現代社会で一層の存在感を示す

既成概念や固定観念に勝負を挑み、社会規範や権力に抗いつづけた反骨精神のシンボルである寺山は、現代においてなおも注目を集める存在です。寺山が作詞した数々のポピュラーソングは世代を超えて唄い継がれ、寺山が手がけた『血は立ったまま眠っている』や『書を捨てよ、町に出よう』などの演劇は多くの劇団によって再演されています。

また、青森県三沢市にある「寺山修司記念館」は聖地巡礼の如く遠方から訪れた若い寺山信奉者でにぎわい、ネット上には「TERAYAMA WORLD(テラヤマ・ワールド)」と名付けられた公式ホームページまで存在します。学者の中には、“寺山修司”を文化的現象と捉え、「寺山修司とは何だったのか」について熱心に研究する者が現れ、いまや“寺山修司論”はひとつの学問として体系化されつつあるのです。

2015年には、イベント「冥土への手紙­-寺山修司生誕80年記念音楽祭」 が開催され、 大槻ケンヂ、カルメン・マキ、SUGIZO(LUNA SEA,X JAPAN)、元ちとせ、未唯mie、ROLLYら、寺山をリスペクトする歌手・ミュージシャンたちが寺山独特の世界観を音楽で再現しました。

(C)2017『あゝ、荒野』フィルムパートナーズ

そしてこの秋、寺山が遺した唯一の長編小説である『あゝ、荒野』が二部構成の大作映画として生まれ変わり、先日10月7日(土)に前篇が公開されました。

ボクシング・ジムで運命的な出会いを果たし、拳を介して特別な絆を育む二人の青年を演じるのは、菅田将暉とヤン・イクチュン。舞台を2021年の新宿に設定するなど大胆なリメイクを施し、現代を生きる私たちにも一層の共感を呼ぶ身近な作品として甦らせることに成功しました。寺山修司の世界観に対するオマージュを込め、原作にはない演出が散りばめられているというのも気になるところ。

(C)2017『あゝ、荒野』フィルムパートナーズ

大規模災害や不穏な国際情勢に苛まれるこの時代に、「過去は振り返るな。未来にも期待するな。今だけを生きろ」とのメッセージが込められた本作が映画化されることは、決して偶然ではないと考えます。

『あゝ、荒野 後篇』は10月21日(土)より公開中です。

(桃源ももこ@YOSCA)