とても期待していた観光名所が、いざ生で見てみると意外とショボかったり、好みだと思っていた人といざ話をしてみるとタイプじゃなかったり……と、イメージと現実のギャップに直面すると思わず戸惑ってしまいますが、そんなギャップが満載な作品が間もなく公開されます。

『悪魔祓い、聖なる儀式』(11月18日公開)は、“悪魔祓いの儀式”の現場に密着したドキュメンタリー映画。イタリアのシチリア島を舞台に、悪魔祓いを行うエクソシストとして活動するカタルド神父や、救いを求めて教会に集まってくる“悪魔に憑かれている”人々の様子を映し出します。儀式の途中で奇声を発しながら倒れこむ女性や、突如凶暴になる男性の姿など『エクソシスト』(1973年)さながらの映像は緊張感に溢れています。しかし、同時に“思いもよらない”、現代の悪魔祓いの実情も映し出しているのです。

部屋が片付けられないのは悪魔の仕業?

(C) MIR Cinematografica – Operà Films 2016

カトリックの秘儀として、およそ1200年も続いてきたと言われている悪魔祓いの儀式。仏ル・モンド紙の2014年の記事によれば、悪魔祓いの需要は減少するどころか世界規模で増加しており、エクソシストの数も急増しているそうです。映画の中でも、カタルド神父の元に、悪魔祓いの依頼や“これは悪魔の仕業では?”と不安に感じ相談をしに来る人が殺到するシーンも描かれます。

劇中でカタルド神父は家族の不和を相談しにきた女性の依頼に応え、悪魔祓いを行うことに。塩と水で作った聖水のようなもので、祈りを唱えながら打ち水のようにそれを振りかけていくのです。家具や調度品、絵画にも容赦なく振りかけます。そして、部屋の中でうず高く積まれた衣服を見て神父が「この乱雑さは悪魔の仕業だ」と呟きながらこれにも水をかけます。「えっ!? 乱雑なのは、その人のせいじゃないの?」と思う人もいるかもしれませんが、それは文化の違い……といったところでしょうか。

信者が倒れて頭をゴン! 思わず「やべっ!」な表情の神父

(C) MIR Cinematografica – Operà Films 2016

本編では、教会へ集まった大勢の人の前で神父が悪魔祓いを行うシーンも描かれています。この映画を見た一部の教会関係者からは“公衆の面前で行うべきではない”と批判も出ているそうですが、信者と神父の信頼関係や、増加する悪魔祓いの依頼に応えるためにやむを得ないのかもしれません。

そんな儀式での、ある一コマ。女性が神父の前に立ち、両手を広げて、神父に頭を預けます。しかし数秒後、女性の体の重心が徐々に後ろに。慌てた神父は女性を抱きかかえようとしますが、体重を支えきれなくなってしまい……。

“ゴン!”

静かな教会に響き渡ったのは、女性が床に後頭部を打ち付けた音、そして不測の事態に思わず顔を強張らせた神父。失敗に対して焦りを見せるその表情は、なかなか人間味あふれるものでした。

そんなのあり!? まさかの“テレフォン悪魔祓い”

(C) MIR Cinematografica – Operà Films 2016

最も衝撃的なのが、携帯電話を片手に、身振り手振りを交えながら「立ち去れサタン! 父と子と聖霊の御名において、お前を追い払う!」と祈るカタルド神父の姿。そう、電話を使った“テレフォン悪魔祓い”をしているのです。

電話口からは、低く呻くような声も聞こえます。電話で人生相談は聞いたことがありますが悪魔祓いとは……。通信技術が発展した現代ならではのエクソシストの姿と言える衝撃的なシーンですが、「そんなお手軽でいいの?」と思ってしまったのも事実です。

想像もつかないような描写の連続で、エクソシストの実情を浮き彫りにしていく『悪魔祓い、聖なる儀式』。そこに映し出されるのはあくまで日常的な一コマであり、『エクソシスト』で描かれたような超現実的で壮大な悪との対決ではありません。しかし、人の心に巣食う欲望や、解決できない悩み、さらに精神的な病いとの一つの向き合い方として、悪魔祓いが機能しているという現実を我々に教えてくれます。多くの人が現在でも、悪魔祓いという名目で教会に足を運んでいるということは、それだけ現代社会には解決すべき問題が多いということではないでしょうか。

(文/スズキヒロシ・サンクレイオ翼)