『ハガレン』のエドから見える、“映画俳優”としての山田涼介の力量

コラム

  • twitter
  • facebook
  • はてなブログ
  • google+
  • LINEで送る

フェミニンと少年性、奇跡の同居

『鋼の錬金術師』の主軸となるのは、亡き母に逢いたい一心で、禁断の「人体錬成」に挑んだ幼き兄弟・エドとアル。実験は失敗し、弟のアルは肉体すべてを失ってしまう。山田が演じる兄のエドも右腕と左脚を失い、鋼製の義肢となる。物語は、アルの身体を取り戻す可能性を秘めた「賢者の石」を追いかけて奮闘するエドの闘いを描く。

映画の冒頭から、アクション・シーンが繰り広げられるのだが、山田は冒頭で繰り広げられるアクションを、スタントなしですべてをこなしたという。しかし、重要なのはそこではない。注目すべきなのは、あくまでもエドというキャラクターに徹し、エドが不自然なく画面におさまるように、アイドルとしてのきらびやかなイメージをある程度援用している点だ。どことなくフェミニンな顔立ちをしている山田は、エドの特徴の一つである金髪がよく似合う。映画の冒頭から、山田が見事にエドとして画面に収まっている。そのことにより、観客は「漫画作品の実写化」である本作を、最後まで違和感なく観続けることができる。

前半では、山田が持つ愛らしさが前面に出ているが、後半では一転して、男らしさをじわじわと感じさせていく。その配分の推移が絶妙で、山田涼介流の演技のグラデーションを追いかけていくだけでも、時間はあっという間に過ぎる。

考えてみれば、『グラスホッパー』にしろ『ナミヤ雑貨店の奇蹟』にしろ、役者としての資質はかなり骨太だ。だから、フェミニンにも思えたキャラクターが、中盤あたりから俄然、男の子っぽく(男、になりきらないあたりも的確である)なっていく過程もまったく違和感がないのだ。これは、周到な計算がなければできないことであり、山田という俳優が、己の能力をとにかく冷静に見極めていることを痛感する。

映画『鋼の錬金術師』の終盤で息を呑むのは、何度か映し出される無言の表情。決意と哀しみ、前進する勇気とすべてを受け入れる諦念。異なる感情を同時に、力むことなく観客に体感させるサイレントな顔つきは、漫画の秀逸な一コマのように、私たちの脳裏に刻まれるだろう。映画俳優としての山田涼介の力量を、映画『鋼の錬金術師』を通してぜひ目の当たりにしてほしい。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)

記事制作 : アドバンスワークス

関連映画

マイシアターとは?
お気に入りの映画館を「マイシアター」に設定しておくと、上映中の作品やスケジュールがかんたんに確認できるようになります。
マイシアターは2つまで設定できます。
マイシアターとは?
お気に入りの映画館を「マイシアター」に設定しておくと、上映中の作品やスケジュールがかんたんに確認できるようになります。
マイシアターは2つまで設定できます。