文=ロサンゼルス在住ライター 町田雪/Avanti Press

奇才ダーレン・アロノフスキー監督が、アカデミー賞常連のジェニファー・ローレンスを主演に据えた最新作『マザー!』の日本劇場公開が見送られた。私生活でも交際に発展した実力派監督&主演女優のコンビに加え、ミステリアスな役どころを担う主演男優ハビエル・バルデムの存在感、ヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門への出品など、話題性は抜群。ところが、ひとたびお披露目されるや、その衝撃から賛否が極端に分かれることになった映画だ。一体、どのような作品で、何が衝撃なのか? 米国からリポートする。

新しい詩が書けずに苛立つ夫と安らかな幸せを築こうとする妻

第74回ヴェネチア国際映画祭に出席したハビエル・バルデム(左)とジェニファー・ローレンス(右)
(c)Avalon.red

主な登場人物は、スランプに陥っている著名な詩人の夫(ハビエル・バルデム)と、2人の家を修復しながら日々を過ごす従順な妻(ジェニファー・ローレンス)。本編を通して、2人の名前が明かされることはなく、エンドクレジットでも、夫は“彼”、妻は“マザー”と表記される(彼らが特定の人物ではなく、何かを象徴するメタファーであることを感じさせる設定なのだ)。新しい詩が書けずに苛立つ夫と、そんな彼にどこか怯えながらも、家の壁を塗り替え、床の割れ目を補修し……安らかな幸せを築こうとする妻。そこへある日、夫が予期せぬ客人(エド・ハリス)を招き入れたことから、事態は急変していく――。と、ここまでがストーリー要旨なのだが、衝撃が続くのはこの後からだ。

**次の段落は、ストーリーの核心に触れる部分があります**

あらゆる要素を含んでいるが、本当に伝えたいことは何なのか?

ニューヨークプレミアに出席したジェニファー・ローレンス(左)とダーレン・アロノフスキー監督(右)
Robin Platzer/Twin Images/Robin Platzer/TwinImages/SipaUSA/Newscom/Zeta Image

**次の段落は、ストーリーの核心に触れる部分があります**

最初は1人だった客人だが、詩人はやがて、自分のファンやフォロワー、ジャーナリストらを次から次へと招き入れ、妻が大切に守ってきた家のなかは大衆で溢れかえる。熱狂する大衆は、金銭トラブル、暴力、窃盗、殺人など、ありとあらゆる人間の凶行を繰り広げ、家は崩壊状態に。そして、尊い命を宿していた妻が男児を出産すると、事態はさらに悪化する。大衆の前に赤ん坊を掲げる夫。詩人の一部を欲するあまり、赤ん坊に触れようと荒れ狂う大衆。その後、赤ん坊と妻の身に起きる出来事と夫の行動は、身体的かつ倫理的に筆舌に尽くしがたいものである。

アロノフスキーがそこまでして伝えたい、強烈なメッセージとは一体? 人間心理を深堀するようなサイコ、恐るべき惨劇が繰り広げられるホラー、背筋がぞっとするようなサスペンス、男女関係の泥沼を描いたようなダークドラマと、あらゆる要素を含んでいるが、本当に伝えたいことは何なのか? 見る人によって、十人十色の解釈があるタイプの作品なのだ。

「何の予備知識もなく見てほしい」というアロノフスキー監督に対し、「事前にテーマがわかっていれば、少しは平常心で見られるはず」と観客の負担をおもんぱかるローレンス。そんな2人のインタビュー・コメントから明かされた本作のテーマは“地球環境問題”であった。ローレンス演じる“マザー”は“母なる地球”、バルデム演じる“彼”は“神”。本作が映し出しているのは、気候変動と環境破壊における人類の功罪なのだ、と。もちろん、そのほかにも、芸術と狂気、宗教と信者、セレブリティと世論、キャリアと家庭……など、さまざまな要素が突き刺さるため、批評家のなかには、「監督は気候変動についての映画だと言っているが、それは嘘だ」などと反論をする声もあるほどだ。

どちらにせよ、本作の衝撃に打ちのめされたのは、批評家や観客だけではない。ローレンスは「この役はもう二度とできない」と断言し、配給元のパラマウント・ピクチャーズは“問題作”を全米公開した理由について、異例の擁護コメントを出すにいたった。

「好きか、嫌いか、そのどちらか。中間点はない」

米国では通常、本作のようなタイプの映画は、主要都市のアートハウス系シアターで限定公開され、批評家やコアな映画ファンの口コミで話題となり、全米公開へと拡大するパターンが多い。アロノフスキー監督自身の過去の作品である『レスラー』や『ブラック・スワン』も同様だ。ところが『マザー!』においては、いきなり2400館で全米公開。パラマウント側いわく、限定公開を選ぶことにより、全米の人々が作品全体を見る前に、衝撃のシーンや物議を醸す要素のみが独り歩きすることを避けたかったからだという。が、結果的には、公開初週末の米国内興収はわずか750万ドル、最終的には1780万ドルと、製作費3000万ドルを大きく下回ることとなった。「(本作を)爆弾のように投下し、皆に見てもらい、感じて議論してほしかった」と自社の決断を擁護したパラマウント側だが、米国では衝撃が重すぎて、議論や口コミにすらつながりにくかったという印象だ。

筆者も何の予備知識もなく本作を見たが、正直、しんどかった。ただただ、ささやかな幸せを求める“マザー”を次々と襲う、不穏で、無神経で、不可解な、嫌がらせの数々。「もう、やめて」と何度思ったことか。それでも鑑賞後に、地球環境問題がテーマであることを知り、すべてが納得できた。気候変動、自然災害、大気汚染、貧困、飢餓……言葉は話せなくとも、さまざまな形で人類にメッセージを送っている地球。芸術、信仰、名声、開発、欲求……と、もしかしたら人類中心的であるのかもしれない理由で、地球を傷つけ続ける人間。自分が感じた「もう、やめて」が、地球の声だと思った瞬間、どんな環境ドキュメンタリーを見るよりもリアルな痛みを感じたことは確かだ。「(『マザー!』という映画は)好きか、嫌いか、そのどちらか。中間点はない。それでも必ず何かしら感じさせる作品」というローレンスの言葉に同感である。