12月9日から公開される映画『恋とボルバキア』は、昨今メディアで報道されることも多いLGBTs、いわゆるセクシャル・マイノリティについてのドキュメンタリーです。ここに映し出されるのは、彼らのリアルな恋と愛。それはセクシャル・マイノリティの性に対しての世間や社会にあるイメージを変えてくれると言っていいかもしれません。

登場するのは複雑な立場にいるセクシャル・マイノリティたち

最初に触れておくと、タイトルの“ボルバキア”とは宿主を性転換させる共生バクテリアの一種だそう。そのタイトルには納得。ここに登場するのは、ふとしたきっかけでセクシャリティの境界線が変化した人々です。

体の女性化が14歳からはじまった“王子”、2歳のころから女の子として生き、現在はアイドルになる夢を追う“あゆ”、ただお洒落がしたくて女装をはじめたら、いつの間にか男性に恋するようになった“みひろ”、過去に妻子がいたが、男性、父親という役割に違和感を拭えず、昔からずっと女性になりたかった“はずみ”、はずみを女性として愛するレズビアンの“樹梨杏”といった、ほんとうにそれぞれ複雑な立場にいるセクシャル・マイノリティのみなさんが登場します。

性的マイノリティであろうとなかろうと人を愛すことはかわらない

カメラは、彼ら、彼女らの日常に密着します。その中で、次第にクローズアップされていくのは、こうした作品によくある彼らの身の上話や、悩みや厳しい現実ではありません。もちろんそういった点を伝える部分もありますが、大きくフィーチャーするのはずばり“恋愛”です。

例えば女装することで身も心も女性になっていったみひろは、ひとりの男性に恋心を膨らませていきます。でも、相手は態度がはっきりしない。それでもどうにか恋を成就させたいみひろは、あの手この手でアプローチしていきます。例えば、その男性の好きな料理を作り、好みの女性になろうと研究する。その努力は涙ぐましく、健気としか言いようがありません。その一所懸命な姿は、まるで純愛映画を観ているかのようです。

そして、それらを見ていると、ふと気づかされるのです。実は、当たり前と言えば当たり前なのですが、セクシャル・マイノリティであろうがあるまいが、人は誰かを好きになればその人を知りたいし、自分のことも知ってほしい。デートもしたいし、一緒の時間を過ごしたいもの。さらに関係が進めば、結婚もしたいし、子どもももてたらとも思う人もいる。

逆にちょっとしたボタンの掛け違いで大喧嘩をしてしまうこともあれば、性格の不一致で別れてしまうこともある。もっと言えば、男だろうと女だろうと、セクシャル・マイノリティであろうと人は人。その当たり前のことを本作は教えてくれるのです。

セクシャル・マイノリティを特別視しない

セクシャル・マイノリティは特別な存在ではない。そのことを物語る本作ですが、手掛けた小野さやか監督はこう言葉を寄せます。「今回登場してくれたみなさんを、私自身が最初に色眼鏡でみていなかったと言ったら嘘になる。でも、付き合いを深めていく中で、その認識が改まったというか、いつからか私自身の頭からセクシャル・マイノリティうんぬんは消え、恋にも人生にも一生懸命な彼女たちに魅了されていました。その生き方や彼女たちの人間性に触れてもらえたらと思います。また、そもそも男性と女性という性別自体の境界線が曖昧で、そこに多様なセクシャリティが存在する。そのことに気づくきっかけに、この作品がなってくれたらうれしいです」。

セクシャル・マイノリティを主題にしているとなると、どこか問題提起のある内容と想像しがち。もちろんそういった側面がないわけではありません。しかし本作は、ピュアな恋愛映画を観るような感覚で体感してほしい作品です。

(文/水上賢治@アドバンスワークス)