映画を作る人間も、最初は観客だった。スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫は1948年に愛知県名古屋市に生まれ、67年に上京するまで洋邦問わず、日常的に映画を観て育った。これは日本映画の黄金時代とほぼ一致する。この連載では鈴木敏夫が公開当時に観た映画体験を入り口として、ある映画とそれに関わった映画人の印象、その後に時代をあるいは海を越えて、作品と人が生き残ってきた魅力の源泉を探ることで、“面白い映画とは何か”、そして日本だけでなく世界の人々にも影響を与えてきた、ジブリ映画のプロデューサーとしての視点がどのように育まれていったのか探っていきたい。

親父と一緒に『座頭市物語』を観ましたが、衝撃でした

―今回取り上げるテーマは『座頭市』と勝新太郎。勝新太郎主演の『座頭市』シリーズは映画26本、TV100本が作られている。映画第1作『座頭市物語』(三隅研次監督)が公開されたのは62年4月18日。当時鈴木敏夫は中学生だった。

家の前に「黒川日劇」という映画館があって、松竹や日活を始めいろんな会社の映画が2~3日交替で上映されていました。僕は両親に連れられて小さい時から映画を観ていたんです。おふくろは洋画が専門、親父は日本映画でした。その親父が好きなスターが長谷川一夫や片岡千恵蔵。そして日活の石原裕次郎、大映の市川雷蔵と勝新太郎だったんです。親父と一緒に『座頭市物語』を観ましたが、衝撃でしたね。時代劇の主人公は、“旗本退屈男”や“遠山の金さん”といった幕府の木っ端役人が多かったんですが、それと全く違う。もちろん子どもには盲目で居合斬りの達人というのが一番衝撃でしたが、権力側から外れた人が主人公になったという印象が強くありました。

―62年は1月に黒澤明監督の『椿三十郎』が公開。その後も加藤泰の『瞼の母』、大島渚の『天草四郎時貞』、三隅研次の『斬る』、小林正樹の『切腹』などが登場し、時代劇が勧善懲悪ものから転換しようとしていた。そこに座頭市が現れたのだ。

座頭市はフラリと現れてフラリと去る。これは長谷川伸の股旅物のパターンです。長谷川伸はいろんな人に影響を与えていて、例えば『ルパン三世・カリオストロの城』(79年、宮崎駿)がそうですけれど、宮崎駿は股旅物が好きだったんですね。ルパンとクラリスも、長谷川伸が描く男女関係に近いですから。それで『座頭市物語』は長谷川伸とともに股旅小説を世に定着させた子母澤寛の聞き書きエッセイが原作。これを脚色したのが犬塚稔さんですけれど、ベースになっているのは俠客、飯岡の助五郎と笹川の繁蔵が争った『天保水滸伝』です。

その物語は講談などで僕らも知っていましたが、犬塚さんはこれを座頭市と剣豪・平手造み酒きの友情物語を柱に描いた。よく覚えているのは市と平手の出会いです。平手が釣りをしていると市が来て隣で釣りを始める。市が「引いてますよ」と声をかけると、平手が「おぬし、目が悪いのになぜわかる」と返す。ここから二人の友情が始まるわけです。市は盲目というハンディを背負いながら、この世界で生きていこうという強い意志を持った男。片や平手は剣の腕は凄いが、労ろうがい咳を患って自分を貶めていく男。その二人が一瞬すれ違ったというのが、この第1作でしょう。しかも最後は平手と市が対決して、平手が「おぬしに斬られたかった」と市の腕の中で死ぬまで、彼らは三度しか会っていない。それを見たとき男の友情ってすごいなと子ども心に感じたし、不思議なものを観たと思いました。

スタジオジブリ 鈴木敏夫 新連載『新・映画道楽』

映画雑誌『キネマ旬報 2018年1月上旬号』(2017年12月20日発売/キネマ旬報社・刊)よりスタート

制作:キネマ旬報社