広島県尾道市を舞台に繰り広げられる『転校生』(1982年)、『時をかける少女』(1983年)、『さびしんぼう』(1985年)といったジュブナイル・ファンタジー“尾道3部作”をはじめ、映画ファンから圧倒的支持を得続けている大林宣彦監督。

「ウソからマコトを描くのが映画である」として、映画の虚構性を重んじながらアバンギャルドな映像世界を構築する“映像の魔術師”としての一面を保ちつつ、一方では「映画作家はジャーナリストであるべき」といった反骨の姿勢を一貫して提示。特に近年は『この空の花―長岡花火物語』(2011年)、『野のなななのか』(2014年)と、過去の戦争の悲劇と現代日本に再び蔓延し始めてきたキナ臭い匂いを対比させた、まさにジャーナリスティックな作品群を意欲的に世に送り出している。

そんな大林監督の最新作『花筐/HANAGATAMI』もまた、映像の魔術師として、ジャーナリストとして、現代社会にモノ申す傑作として屹立している。

映画人としての“映画愛”

 

『花筐/HANAGATAMI』(C)唐津映画製作委員会/PSC 2017

原作は檀一雄の同名小説。太平洋戦争が勃発する直前の1941年、佐賀県唐津を舞台に若者たちの愛と青春を熱く激しく瑞々しく、そして豪華絢爛たる群像劇として描いていくものだ。

実はこの作品の撮影開始直前の2016年8月、大林監督はステージ4の肺がんに侵されていたことが発覚。医師からは余命6か月、後に3か月と宣告されながら大林監督は撮影を敢行し、執念で完成させたのである。(病状は抗がん剤治療が功を奏し、奇跡的に回復。現在は「余命未定」とのこと)

余命宣告を受けながらも大林監督が『花筐/HANAGATAMI』に着手したのは、『この空の花』、『野のなななのか』に続く“戦争三部作”の最終編として、日本に再び戦前を彷彿させるかのような危機が訪れていることを、世に訴えたいという映画作家=ジャーナリストとしての使命感であり、同時に幼い頃から映画にこだわり続ける映画人としての“映画愛”の賜物でもあった。

自主映画を撮り続けながらCMディレクターとして名を馳せ、1977年に『HOUSE/ハウス』で商業映画監督デビューを果たした大林監督だが、本当はその前に『花筐』の映画化を目論み、シナリオまで完成していたものの諸事情で実現できなかったという経緯がある。

その伝で考えていくと、今回『花筐/HANAGATAMI』を完成させたことで、大林監督はようやく幻のデビュー作を撮り得たともいえるのではないだろうか。

つまり大林監督は遺作の覚悟で処女作を発表した。これを映画的奇跡と言わずして何と言おうか!

実際、死を覚悟して撮影したという悲壮感みたいなものは本作には皆無で、逆にようやく処女作を発表できたという歓びが画面全体から満ち溢れており、逆に今の新人若手監督たちが束になってかかっても勝るとも劣らない、初々しくも瑞々しい仕上がりになっているのは驚異的ですらある。

“映像の魔術師”の名に恥じない貫録

全体的な作風も、貴族の退廃とナチスの台頭による戦争の影を描いたルキノ・ヴィスコンティ監督の名作『地獄に堕ちた勇者ども』(1969年)を『吸血鬼ドラキュラ』(1958年)などの怪奇映画を量産し続けた英国ハマー・プロで製作したかのような、格調高くもおどろおどろしく、かと思うと映画の虚構性が強調された合成ショットなども駆使しながら、極彩色の映像美が見事に構築されており、それはまさに“映像の魔術師”の名に恥じない貫録である。

ドラキュラといえば、大林監督の怪奇映画嗜好は自主映画時代の代表作『ÉMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』(1966年)からも顕著で、ネタばれになるので多くは書けないが『花筐/HANAGATAMI』クライマックスの舞台となる古屋敷は、そのまま『HOUSE/ハウス』の古屋敷と同じ佇まいとして直結している。

『HOUSE/ハウス』は避暑でおばの古屋敷を訪れた7人の少女たちが、屋敷の中の井戸や時計、布団、ピアノなどに食べられてしまうという奇妙キテレツなファンタスティック・ホラー映画だが、そういったおぞましき怪奇現象の根源には、戦争の惨禍が秘められているのだ。

永遠の映画青年・大林宣彦

『花筐/HANAGATAMI』(C)唐津映画製作委員会/PSC 2017

かつて原爆が落とされた広島県の出身である大林監督の、戦争に対する忸怩たる想いは、おもちゃ箱をひっくり返したようににぎやかな画が楽しい『HOUSE/ハウス』の頃からおよそ40年経っての『花筐/HANAGATAMI』まで一貫していた。

その上で、本作の冒頭いきなり真っ赤な血を吐く少女(矢作穂香)のさまは、まさに欧州怪奇映画ヒロインの佇まいで、その妖艶極まりない叔母(常盤貴子)の非現実的なまでの美しさは、忍び寄る戦争の闇に抗っているかのようである。さらに窪塚俊介や満島真之介など大人の俳優に純朴な学生を演じさせるという倒錯性(長塚圭史に至っては齢40を超えている!)もまた、映画の虚構性にこだわる大林作品らしい佇まいだ。

そう、映画『花筐/HANAGATAMI』とは戦争の足音を間近に聞きながら、燃え上がる若者たちの魂から真紅の血が流れていくさまを、まるで怪奇映画のようにおぞましく、文芸映画のように格調高く、そして処女作のような瑞々しさをもって描き得た、大林宣彦監督の最高峰といっても過言ではない。

そして現在、「余命未定」を宣告された大林監督は、次なる新作の準備に入っている。永遠の映画青年は、それこそドラキュラのように不死の魂をもって映画を作り続けていくのか。そういった奇跡のような事象までも、大林監督ならば具現化してくれるのではないか? 今はそんな夢を抱かずにはいられないのだ。

(文・増當竜也)