1990年代を代表する漫画家として熱狂的なファンの多い岡崎京子の代表作『リバーズ・エッジ』(1993〜1994年連載)が実写映画化され、2018年2月16日(金)より全国で公開される。岡崎は80年代前半から、飄々とした視点と余白を活かしたポップなタッチで時代の空気を反映した作品を次々と発表。日常を持て余す登場人物たちの喜怒哀楽がリリカルに描かれていた。映画『リバーズ・エッジ』にも、青春の中で日常に違和感を抱きながら生きる高校生たちのさまざまな思いが息づいている。

あまり使用されない画角で閉塞感を演出。随所に登場人物のインタビューも

『GO』、『ピンクとグレー』などで知られる行定勲監督は映画化に際し、「原作が発売された直後、1995年にサリン事件が起こって世の中の価値観が大きく変わっていった。それから世界では日常的にテロが起こり、ついには凄惨な事件が報道されても驚かないぐらいになってしまった。『リバーズ・エッジ』はそのぎりぎりの岐路に立っていることを予見しているような物語なんです。リバー(川)が歴史だとして、そのエッジ(淵)に立たされている感覚を感じながら、映画を作っていました」とコメント。さらに、「この物語は大きな時代の空気に飲み込まれていて、最後まで途上にいる。だから、誰もが自分に置き換えられるし、長い間いろいろな人に影響を与えている」とも発言している。

本作では、現在の映画ではあまり使用されない「スタンダード」と呼ばれる往年の画角サイズで閉塞感を演出。要所に登場人物のインタビューも挿入されている。そのインタビューは、90年代を生きた登場人物を通して、2010年代を生きる役者たちの本音が垣間見られる瞬間があり、本作の時代性(劇中に登場するフリッパーズ・ギター、地球温暖化といった単語など)と、その奥にある青春映画としての普遍性をより鮮明にしている。

過激なシーンとともに、やり場のないモラトリアムなそれぞれの思いが交錯

物語は自由に生きようとする女子高生、若草ハルナ(二階堂ふみ)が、彼氏である観音崎(上杉柊平)から執拗なイジメにあう山田一郎(吉沢亮)を助けたことから動き出す。そのことをきっかけに宝物を見せるとハルナは山田に夜の河原へ誘われ、白骨化した死体を見せられる。そこで山田は「これを見ると勇気が出るんだ」と話す。また、高校の後輩でモデルとしても活躍する吉川こずえ(SUMIRE)もその死体の存在を知っており、3人には秘密を共有する奇妙な友情が生まれる。

山田はゲイであることを表向きは隠しながら自らの体を売り、こずえもクールさを装う一方で過食と嘔吐を繰り返す。観音崎は自信のなさの裏返しとして暴力とセックスに生の拠り所を求め、ハルナの友達である小山ルミ(土居志央梨)とも関係をもっている。山田と付き合っている(彼としては形式的にだが)田島カンナ(森川葵)は、彼との心の絆を求めるあまりに気持ちをエスカレートさせていき、ハルナ自身も確証のない息苦しさを感じていた。それぞれがやり場のない思いを抱え、互いの人間関係にも影響を及ぼしはじめたある夜、登場人物たちの思いが弾け飛んでしまう……。

『トレインスポッティング』との共通点も

岡崎作品の映画化と言えば、沢尻エリカ主演、蜷川実花監督による『ヘルタースケルター』(2012年)でのヴィヴィッドなカラーに彩られた過激な内容が思い出される。今作もセンシティヴな青春映画である一方、ドラッグやセックスに溺れるなど刺激的な場面があり、キャストたちは体当たりの演技を披露している。とはいえ、エンディングにかかる軽快な主題歌に乗せ、ポジティヴな思いで映画館を後にできるのも本作の魅力。そういった意味では、大人になる一歩手前のモラトリアムな葛藤を時代のカルチャーを絡めて描いた『トレインスポッティング』(1996年)や『さらば青春の光』(1979年)との共通点も見て取れる。

1990年代から早4半世紀。近年、サブカル界隈を中心にさまざまな分野で1990年代に対する再評価やリバイバルが目立つ。映画では魚喃キリコによる1998年〜1999年に連載されたコミックを映像化した『南瓜とマヨネーズ』。文学界では『さらば雑司ヶ谷』『テロルのすべて』で知られる樋口毅宏が、80年代後半から90年代前半にかけてのカルチャー、ひいては小沢健二(岡崎の盟友でもある)が小山田圭吾(現Cornelius)と組んでいたフリッパーズ・ギターに対する偏愛(?)を小説化した『ドルフィン・ソングを救え!』(2015年)を発表。当時を知らない世代をも巻き込み、前世紀末が小さなムーブメントとなっている。映画『リバーズ・エッジ』は、90年代に懐かしさを感じる層にはもちろんだが、90年代に新鮮さを感じる世代にこそおすすめの映画と言えるかもしれない。

(文/兒玉常利@アドバンスワークス)