端正なルックス、低い声、そして長身。本来であれば、玉木宏は魅惑的な悪役の条件を兼ね備えている逸材である。だが、そのようなキャラクターを演じることはこれまで極めて少なかった。そんな彼が『MW-ムウ-』(2009年)以来実に9年ぶりに本格的なヒール役に挑んだ『悪と仮面のルール』が、1月13日から公開される。タイトルからしてそそられるのだが、これが期待以上に玉木宏のポテンシャルを引き出した良作に仕上がっている。

哀しき錯誤と、制御できないパッション

『MW-ムウ-』のときは狂気すら感じさせる猟奇な役どころだったが、今回はクレイジーなポジションではない。狂的ではなく、悲劇的。しかもハンパな悲劇ではなく、凄まじく陰鬱な悲劇を背景に抱えた男を演じている。

玉木宏が演じる主人公は、絶対的な悪=“邪”を継承しようとする父親の下に生まれた男。母親とは早くに死別し、御曹司ではあるが愛情には恵まれずに育った。お金はあっても愛が足りなすぎる。この設定がまず、玉木宏ならではの陰影を鮮やかに浮き彫りにする。父親は「英才教育」を施すため、ある強烈な経験を主人公にさせようとする。常軌を逸したその計画を知り、主人公は父を殺害し逃亡。以後、整形して別人として生きている。

つまり、ここでようやく「玉木宏の顔」となったのだ。なんという倒錯的なシチュエーション! だが、玉木の整った、ある意味日本人離れした顔立ちは、「仮面」に相応しい。別人であり続けるためには目立たないようにしなければいけない。ところが主人公は感情を噛み殺したクールな面持ちをキープしながら、愛する女性を守るため、さらなる悪事を次々と働いていく。仮面をつけながら、本性とは矛盾した行動をとる男。大いなるズレと、哀しき錯誤。制御できないパッションを抱えながら、けれどもあくまでも淡々と犯罪に手を染める様を、玉木宏という俳優は見事に体現している。

仮面では隠しきれない人間の本質

玉木がこの主人公に施した妙味は「怯え」である。彼は決して単純なポーカーフェイスを演じているわけではない。主人公は愛する女性を守るために、ひとりの探偵に調査を依頼する。また、執拗に彼を疑う老刑事も登場する。さらには、テロを目論む若者とも関わりを持つようになる。探偵、刑事、若者。主人公は相対する相手によって対応が微妙に違う。つまり、仮面をつけてはいるが、それは鉄の仮面ではないのだ。

協力者である探偵に対しては、どこか「兄に頼る弟」のような趣がある。追いかけ続ける刑事を前にしたときは、「教師に叱咤される生徒」のように立ちつくす。若者と接する際は「後輩にアドバイスする先輩」の風を吹かせている。だが、どの態度もあからさまではない。どこかにそのようなニュアンスがある、という微妙なさじ加減で玉木はキャラクターに奥行きを与えている。

仮面をつけてはいる。だが、仮面だけでは隠しきれないものがある。それがきっと「怯え」なのだろう。もちろん刑事の存在は明瞭に「怯え」を顕在化するが、探偵の存在は愛に飢えた「怯え」を、若者の存在は普通の生活を望む「怯え」を浮き彫りにしている。

玉木はそれら「怯え」の違いを、ほぼすべて細やかな視線の積み重ねによって表現している。映画の最後、主人公はそれまでの仮面を脱ぎ去ったような表情を見せる。そのとき、観客はこの俳優がいかに繊細に、その瞬間に至るまでの「道のり」を築き上げてきたかを知るだろう。悪と「怯え」の融合が、俳優・玉木宏の力量を輝かせている。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)