来る2018年の1月23日に第90回アカデミー賞ノミネートが発表されます。ノミネート予想が続々とニュースになり、アカデミー賞の熱気をそろそろ感じ始めた人も多いかと思います。さて、過去にはハリウッドきっての名女優たちがプライドをかなぐり捨ててオスカーのために争ったことをご存知でしょうか? 

今回は、アカデミー賞史上最悪のバトルと呼ばれる、“ベティ・デイヴィス vs ジョーン・クロフォード”と“オリヴィア・デ・ハヴィランド vs ジョーン・フォンテイン”の“女の対決”をご紹介します!

1.男がキッカケ!? 本気で体当たりし怪我をさせ合った因縁の対決

Photo/Getty Images ベティ・デイヴィス

米ドラマ『フュード/確執 ベティvsジョーン』をご覧になったことがあるでしょうか? 1962年の傑作ミステリー『何がジェーンに起ったか?』の舞台裏で、ベティ・ディヴィスとジョーン・クロフォードが繰りひろげた壮絶な争いを描いた作品。第75回ゴールデングローブ賞4部門にノミネートされた話題作です。

ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの凄まじいライバル関係は、ベティが初めてオスカーを受賞した『青春の抗議』(1935年)から始まったと考えられています。当時、共演者のフランチョット・トーンに夢中になっていたベティ。そんなベティを尻目にジョーンはフランチョットを誘惑して結婚。この時以来、ベティはジョーンをずっと恨んでいたのだとか。

とはいえ、ベティとジョーンはその前から折り合いが悪かったと言われています。貧しい生い立ちから自分の美貌を武器にダンサーを経て、女優にのし上がったジョーンのことをベティは見下していたという噂。なぜなら、裕福な家庭で育ち、ブロードウェイからハリウッドへと女優の王道を歩んでいたベティは、自分のことを“スター”というよりも“役者”だと考えるタイプでした。反面、ジョーンは役のキャラクターよりも衣装にこだわる“スター”タイプ。2人は相容れないタイプの女優でした。

恋愛ではジョーンの勝利だったようですが、アカデミー賞のノミネート数を比べると、ベティは11回(受賞2回)、ジョーンは3回(受賞1回)と、ベティのほうに軍配があがります。しかし、ベティが断った映画『ミルドレッド・ピアース』(1945年)の主演を引き受けたジョーンがアカデミー賞主演女優賞を受賞したこともありました。このように様々な理由から2人はいがみあっていたと言われています。

驚くことに、2人の初共演作『何がジェーンに起ったか?』の暴力シーンではお互い本気で体当たりし怪我をさせ合ったという逸話も。1940年代後半以降は、ベティもジョーンもヒット作に恵まれず、この映画でハリウッドに返り咲く決意でいました。そんな競争心のせいか、2人は鬼気迫る名演技を見せます。

Photo/Getty Images ジョーン・クロフォード

ところが、オスカーにノミネートされたのはベティのほう。ノミネートが発表されたときジョーンは記者たちにこう言いました。「ベティが選ばれると思っていたわ。ベティの受賞を心からお祈りしています」。

そんな口先が乾かぬうちにジョーンは衝撃の作戦に出ます。なんと、すぐさまNYへ飛びオスカー選考委員を訪ねてベティの受賞を妨害したというのです。結果、アカデミー賞主演女優賞を受賞したのはアン・バンクロフト。ノミネートこそされなかったものの、アカデミー賞授賞式の晴れ舞台に アン・バンクロフトの代役としてオスカーを受け取り、壇上で微笑を浮かべていたのは、ジョーン・クロフォードのほうだったのです!

2.因縁は子供時代から!?ハリウッド史上に名を刻む姉妹バトル

Photo/Getty Images オリヴィア・デ・ハヴィランド

アカデミー主演賞を受賞した史上唯一の姉妹、オリヴィア・デ・ハヴィランドとジョーン・フォンテイン。オリヴィアはジョーンよりも15ヶ月先に生まれました。しかし、母親が妹のほうを世話することに嫉妬してオリヴィアはジョーンを苛めるようになったのだとか。そして、2人とも女優を志望しますが、最初に役をつかんだのは姉のオリヴィア。ワーナー・ブラザースと契約し、次々と映画に出演して注目を集めました。

オリヴィアにスポットライトが当たっている頃、ジョーンはオリヴィアの運転手を務めるハメに。ところがある日、オリヴィアを迎えにワーナーに行ったジョーンが、なんとスカウトされてしまうのです。帰宅してこの話をすると、「ワーナーはオリヴィアのスタジオだから契約は許さない」と母親に言われたのだとか。さらに、ジョーンがハヴィランドの苗字を使うのも禁止されたそう。ジョーンの目には、母親はオリヴィアのほうばかり可愛がっていたように見えたようです。

義理の父の苗字である“フォンテイン”を名乗ることになったジョーンも映画デビューを果たし万事上手く行くかに思えた矢先、オリヴィアとジョーンの溝を深める事件が。

それは、名作『風と共に去りぬ』(1939年)のメラニー役のキャスティングでした。最初の監督キューカーに呼ばれたジョーンは、シックなドレスをまとっていました。すると監督に「君はこの役にはスタイリッシュすぎる」と言われたそう。結局オリヴィアがメラニー役を勝ち取りますが、2013年に『Hollywood Reporter』のweb版にジョーンが語ったところによると、自分がオシャレでなければ、メラニー役は自分に決定していただろうと信じていたようです……。このときから2人の姉妹バトルはゴシップ誌の種になりました。

そして、とうとう姉妹が同時にアカデミー賞主演女優賞にノミネートされることに! 1942年、『Hold Back the Dawn』のオリヴィアと、アルフレッド・ヒッチコック監督作『断崖』のジョーンです。名前が呼ばれたのはジョーン。ジョーンはこの瞬間をこう振り返ります。「オリヴィアが心底怖かったわ!今でもオリヴィアに怯えているわ(笑)」(2013年『Hollywood Reporters』のweb版より)。

その後、オリヴィアも『遥かなる我が子』(1946年)でオスカーを受賞(主演女優賞)し、現在でもアカデミー賞を受賞した史上唯一の姉妹である2人。

Photo/Getty Images ジョーン・フォンテイン

とはいえ、2人のライバル関係は映画に限ったものではなかったよう。1939年にジョーンは俳優のブライアン・エイハーン と結婚します。姉のオリヴィアよりも早く、しかも相手はオリヴィアの元カレでした。さらに、ジョーンの結婚式前夜のパーティーではオリヴィアの恋人、ハワード・ヒューズがエイハーンとの結婚をやめるように誘惑してきたのだとか! 

1978年の『People』誌のインタビューで、「オリヴィアは私がいつも彼女より先を行くって言うわ。オスカーも、結婚も、出産も私が先。だから私が先に死んだら、オリヴィアは本当に頭にくるでしょうね!(笑)」と語ったジョーン。

と言いつつ、オリヴィアとジョーンの確執はメディアが脚色したもので、実際はそれほど深刻なものではなかったと説明しました。真相は闇のなかですが、どこの家族にもひと言では語りつくせぬ関係があります。それがハリウッドのスター女優なら……ドラマのひとつやふたつはあっても不思議じゃありませんよね。

2018年度のアカデミー賞レースにはどんな人間模様が垣間見れるのでしょうか!?

(文・此花さくや)