文=ロサンゼルス在住ライター 町田雪/Avanti Press

先日発表された第90回アカデミー賞ノミネーションにおいて、作品賞、脚本賞を含む6部門で7ノミネートされた『スリー・ビルボード』。 俳優部門においては、フランシス・マクドーマンド(主演女優賞)、サム・ロックウェルとウディ・ハレルソン(ともに助演男優賞)が候補入りを果たした。

舞台は、米ミズーリ州の閉鎖的な田舎街エビング。さびれた道路に並ぶ古いビルボード3枚が、ある日、真っ赤に塗られ、衝撃的なメッセージが掲載される。広告出稿主は、7カ月前に娘をレイプ殺害された中年女性のミルドレッド(マクドーマンド)。娘を襲った犯人を見つけられない警察への苛立ちと怒りを、警察署長(ウディ・ハレルソン)を名指しするかたちで糾弾したのだ。

その出稿を興味津々に報じる地元メディア。警察署長に同情する住人たち。逆上する警察官たち(ロックウェルら)。過激な母を責めながらも味方であり続ける息子。それぞれの立場で反応する住人たちだが、街全体を巻き込むある事件をきっかけに、その人間模様が変化していく――。

怒りを爆発させて闘わずにはいられない
しかし、その矛先は……

フランシス・マクドーマンド(右)とウディ・ハレルソン(左)

大人の過ちと痛みがテーマである点で、昨年、ボストン郊外の海辺の街を舞台に、住人たちのミステイクと再起の物語を描いた『マンチェスター・バイ・ザ・シー』と比較されることの多い本作(『マンチェスター~』で主人公の甥役として一躍注目されたルーカス・ヘッジズが、『スリー・ビルボード』では息子役として、これまた印象的な演技を見せている)。

しかし、鬱々としたムードのなかで綴られるヒューマン・ドラマという点は似ているものの、“怒り”のボルテージは比べ物にならない。『マンチェスター~』の登場人物たちは皆、悲しみや苦しみを必死でこらえていたが、『スリー・ビルボード』の面々は、とにかく怒りをぶちまけまくるのだ。

映画評論サイト、ロジャー・エバート・ドット・コムに寄稿したブライアン・タレリコ氏は、「ハリウッドはえてして、怒りは罪であり、許容と理解こそが真の幸せへの秘訣だと説きたがる」と指摘したうえで、「でも実際、怒りとは治癒すべく病ではなく、社会を理解するための道のりなのではないか」と監督・脚本のマーティン・マクドナーの意図を汲む。

本作に描かれているのは、警察という権威と住民のいびつな関係、人種差別、性差別、経済格差など、さまざまな不平等。そして、親より先に子が逝き、真面目に生きてきた者が若くして病にかかり、残虐行為をした者が逃げ延びる理不尽さ。まさに、今の米社会の現実を思わせるような不平等や理不尽さには、怒りを爆発させて闘わずにはいられないだろう、と。

確かにそうかもしれない。マクドーマンド演じるミルドレッドの怒りの表現は、映画のなかの住人だけでなく、映画を見ている者でさえも引くほどであるが、娘を奪われた(そして、救うことができなかった)母親に怒りの境界線などあるのだろうか?

「できる限りの捜査をしたうえで、DNAが一致する者がいなかった」と事件未解決の弁解をする警察署長に、「全米中の男の血をとったのか」と吐き捨てるミルドレッド。そこまでしてもらわなければ、怒りは収まらない。とはいえ、そこまでしたところで、怒りが収まるのかどうかもわからない。

どうすれば救済されるのか? そもそも、自分が本当に怒っているのは犯人や警察に対してなのか……? 本作からは、人々の怒りの本当の矛先が、表面的な対象とは違うことが多い、という意味深なメッセージも伝わってくる。

究極にバイオレントなのに
とても優しい気持ちになれる

フランシス・マクドーマンド(右)とサム・ロックウェル(左)

米批評家の多くが、「タイトルやストーリー要旨から想像できるような作品ではない」と口をそろえていることも本作の特徴だ。

典型的なドラマ映画のように、不憫なミルドレッドにすぐさま感情移入できるわけでもなければ、怒りの対象となっている警察署長を恨めるわけでもない。人種差別主義者で滅茶苦茶に暴力的な警察官(ロックウェル)のことですら、絶対悪として憎むことができない。人間は善悪で分けられるものではなく、怒りはそんなに単純なものではないのだから。そんな人間描写もまた、複雑化した今の米社会を反映しているように思えてならない。

と、堂々と怒りに突き動かされている作品ながら、その合間に深い優しさが織り込まれているところも、本作の稀有な魅力。究極にバイオレントなのに、とても優しい気持ちになれるという、思いもよらない着地点に心が赴く映画なのだ。『スリー・ビルボード』は2月1日(木)に日本公開。第90回アカデミー賞は3月4日(日)に授賞式が開催される。