2017年12月に公開された映画『未成年だけどコドモじゃない』では中島健人と共演、武闘派な御曹司を快演していた知念侑李。映画単独初主演作『坂道のアポロン』(3月10日より公開)では別人のたたずまいで男子高校生のピュアネスを体現し、俳優としての懐の深さを見せている。

オーソドックスな物語を活気づける存在

アニメ化もされた人気コミックを原作とする『坂道のアポロン』は、言ってみれば王道の青春映画だ。

佐世保の親戚の家に越してきた男子高校生・薫(知念侑李)が、学校で不良生徒の千太郎(中川大志)と出逢う。素行こそワイルドだが、千太郎はジャズをこよなく愛しており、ドラム演奏が心の拠りどころでもあった。ピアノの心得があった薫は、千太郎の導きでジャズに開眼。ふたりでセッションするようになる。同時に、優しいクラスメイトの女子・律子(小松菜奈)に恋するようになるが、彼女は千太郎の幼馴染みで、千太郎に特別な想いを抱いていた。3人でつるみながら、薫は「友だち」と「初恋相手」のあいだで悶々とすることになる。

オーソドックスと言えば、オーソドックス。だが、知念はこの古風な設定を、鮮やかな悶々ぶりで活気づかせる。どちらかと言えば内向的で控えめな性格の主人公でありながら、その一挙手一投足から目が離せなくなるのだ。

恋心と友情が乱反射する瞳の強度

知念のアプローチは繊細で的確だ。たとえば、千太郎を見ているときの様子と、律子を眺めているときの雰囲気が明らかに違う。薫にとってはどちらも大切な存在。だが、その大切さが違うことが、まなざしのありようでわかってくる。

口数の少ないキャラクターだからこそ、目がすべてを物語る。律子を眺めるときは、ほのかなドキドキを感じさせながら、触れてはいけないものを慈しむような瞳になる。

一方、千太郎を見ているときは、自分にないものを持つ相手に対する憧れと敬意がない交ぜになった優しい視線になる。

恋心と友情。言葉にすれば簡単だが、どちらも掘り下げていけば、いくらでも深くなる。知念の“目の芝居”を見つめているとそのことに気づかされる。3人でいるときは、知念のまなざしの中で、恋心と友情が乱反射することになる。深い。海の青のように深く、無制限の広がりがある。

観る者に気づきを与える深い説得力

知念の演技が観る者の心を捉えるのは、その緩急のつけ方によるところも大きい。

薫は、千太郎や律子と一緒にいるときと、ひとりでいるときの存在の仕方が異なる。誰かといるときは、ソフトで控えめだが、ひとりきりのときは、そこはかとなく骨太な魂が感じられる。

あからさまに変えているわけではない。だが、ただ単に受け身の人間ではないということが、ひとりきりのシーンからはやんわりと伝わってくる。実は、どちらかと言えば頑固なタイプなのではないかと想像させるような表情を、ときおり見せるからハッとさせられる。

だからこそ、恋の告白も親友とのぶつかり合いも、唐突な印象はなく「来るべきものが来てしまった」と感じさせるのだ。これが、人間が人間を演じる「説得力」なのだと痛感させられる。

それにしても、知念侑李はどうしてあんなに眼鏡が似合うのだろう。そして、その似合う眼鏡に瞳を埋没させず、あれほどまでに変幻するまなざしの芝居を操れるのだろう。ため息をつかせるほどの技量を持った役者であると、痛感させられる一作だ。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)