文=圷滋夫/Avanti Press

冒頭、いきなりスクリーンを縦長に切り取ったスマホの画面が現れ、就寝前の女性の動画がチャットとともに映し出される。続いてペットのハムスターの姿に「エサにママのうつ病の薬を入れた」という文字が重なり、やがてハムスターの動きが止まる。そしてタイトルが現れるまでの短い間のチャットから、女性はスマホ撮影者の母親で二人の関係は最悪ということ、そしてその後、撮影者が母親を“静かにさせた”ことが簡潔に示される。ほぼ無音のスクリーンに不穏な空気が流れ、姿の見えない撮影者の得体の知れない異様さが印象付けられる、本作『ハッピーエンド』(3月3日公開)の見事な導入だ。

団欒なきブルジョア家庭を冷徹に見つめる少女の視線

13歳の少女エヴを演じたファンティーヌ・アルドゥアン

スマホの撮影者は13歳の少女エヴ。母親は長期入院する事になり、離婚した父親で医者のトマの一家と一緒に住む事になる。裕福なロラン家には建設業でのし上がった家長の祖父ジョルジュ、その家業を継いだ娘でトマの姉アンヌとそのダメ息子ピエール、そしてトマの再婚相手のアナイスと生まれたばかりのポールがいる。

一家はいつも食事を共にするが、彼らには各々秘密が有り、そこに温かな家族の団欒は無い。ジョルジュには自殺願望があり、未遂を起こして車椅子生活を余儀なくされる。トマは浮気をしている。アンヌは建設現場の事故により窮地に立たされると同時に事故処理に当たるピエールの弱さが露呈し、母子関係の亀裂が深まる。そしてそんな彼らの様子を、エヴは冷徹な目で見つめていたが…。

家長のジョルジュ・ロランを演じるジャン=ルイ・トランティニャン

格調を備えつつ、「おかえり、意地悪なハネケ!」と言いたくなる仕上がり

監督のミヒャエル・ハネケは前々作『白いリボン』(2009年)と、前作『愛、アムール』(2012年)で、カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを2作品連続受賞するという快挙を成し遂げ、巨匠としての地位を完全に確立した。この2作、特に『愛、アムール』は巨匠の名に相応しい純文学のような格調高さと威厳を備えた傑作だが、それ以前のハネケ作品には観客を挑発し不快感を掻き立てるトリッキーな演出も多く見られた。

そして本作『ハッピーエンド』はその感覚が再び戻ってきつつ格調高さも感じられる、という二つの要素が絶妙なバランスで共存する進化ぶりで、初期からのファンも思わず「おかえり、意地悪なハネケ!」と声を掛けたくなる。

ジョルジュの娘、アンヌ役のイザべル・ユペール

ハネケは初期作から映画の中に別メデイアを登場させ(例えば『ベニーズ・ビデオ』や『ファニーゲーム』のビデオ)、その特徴を上手く取り込んだ表現で観客を唸らせて来た。それが本作の冒頭で象徴的に登場するスマホや工事現場の定点モニターによる映像で、エモーショナルな出来事をメディアを通した第三者的な視線で描く事によって、観る者に考える余地を与えより一層その心をザワつかせるのだ。

また前2作には無かったもう一つの要素が笑いだ。中産階級の小ブルジョワジーによる、家族も含む他者への無関心や難民を含む外国人への冷酷さ、消費社会の虚無感を、皮肉と批判を込めた笑いによって人間の矮小な滑稽さへと見事に転化している。

エヴの父親トマ役のマチュー・カソヴィッツ

「本当のハッピーエンド」という終わりなき問い掛け

そしてハネケは全作品を通じて常に人間の心の闇、つまり普段は誰もが胸の奥にしまいこんでいる悪意や欲望、欺瞞、暴力などのネガティヴな感情をあぶり出す。

その究極の形が本作でも冒頭から全編にわたって描かれる死のイメージだ。それを最も強く発散するのがまだ幼い孤独な少女エヴで、その彼女の気持ちを受け止めるのが死に囚われた最年長のジョルジュだ。二人の心が通い合った時、物語はクライマックスを迎える。

しかし基本的に本作の登場人物たちは、互いに深くコミュニケーションを取る事も、その感情が直接描かれる事も無く、必然的に人が分かり合う事の難しさが浮かび上がって来る。それどころか物語自体に起承転結の明確な結は無く、全ては曖昧に描かれる。

例えば意味無く鳴り続ける車のクラクションや同じ様に吠え続ける犬の声は、不必要にも関わらず映画の中に存在する。照明を落とした極端に暗い画面や、遠い距離からの撮影で会話も聞こえない状況が長回しで描かれる。

そんな曖昧な描写は観客の頭の中で不安として肥大してゆくのだ。そう、全ての解釈は観客に任され、そこには提示された断片を集めて答えを導き出す確かな歓びがあるのだ。

つまり、「ハッピーエンド」は本当にハッピーエンドか? という問いに対して、もちろん答えは用意されていない。当然それは観客の各々の頭の中にあるのだから。ただし「ハッピー」という言葉は、“観た人を最も不快にさせる映画選手権”(架空です!)で必ず上位に入る『ファニーゲーム』の「ファニー」という言葉の印象と似ている、という事だけは間違いないだろう。