文=皆川ちか/Avanti Press

先日の第90回米アカデミー賞ノミネーション発表において、『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』が脚本賞にノミネートされた。脚本を手がけたエミリー・V・ゴードンとクメイル・ナンジアニ夫婦の実話に基づいた内容で、彼らの名前から連想されるように、異文化人間カップルの紆余曲折を描いたラブストーリーだ。ナンジアニはなんと本作で主演も務めている。

この映画には個人的に、グッとくるところが多い。筆者(私のことです)の配偶者はアメリカ人、いわゆる“外国人”なのだけど、異文化カップルあるあるトラブルがそこかしこに散りばめられていて、身につまされるところが多かった。愛し合っているのに、なぜトラブルが起こるのか。本作はその理由を紐解いている。

国際結婚につきまとう両親との顔合わせ問題

パキスタンから一家総出でアメリカに移住したコメディアンのクメイルと、南部出身の大学院生エミリー。人種も肌の色も文化的背景も異なる2人は恋に落ちる。ただしクメイルにはエミリーに打ち明けられない家族の掟があった。インド&パキスタンにおける結婚の伝統として、両親の決めた縁組に子どもは従わなければいけないという暗黙のルールがあるのだった。エミリーのことは大好き、だけど両親を裏切りたくない。クメイルのどっちつかずの態度が元で、エミリーとは破局。さらに彼女が原因不明の病で昏睡状態に陥るなど試練が次々に降りかかる――。

たとえばクメイルが、エミリーにも自分の両親にもいい顔を見せようとして、結果的にどちらも怒らせてしまうところ。たとえばエミリーに、パキスタンの文化や風習をきちんと伝えていなかったがために、両親の顔を立てるために行ってきたお見合い発覚後、修羅場となってしまうところ。これらのエピソードには、異文化カップルなら多かれ少なかれ共感してしまうのではないだろうか。

国際結婚における難問の1つが、交際相手と自分の親との顔合わせや、相手の親と自分自身との対面だ。この、気を遣う、だけど無視できない問題をクメイルはできうる限り避け続ける。というのも、もし真剣に自分の家族と交際相手を会わせたら、人種や国籍に関する常識や良識、一般論が取り払われてしまって互いの本音がむき出しになるからだ。他人ごととしてなら冷静に判断できる。だけどそれが自分ごととなったら、往々にしてきれいごとでは済まなくなりがちだ。

クメイルはそれが分かっているゆえに踏み出せない。彼の両親からしたら、自分たちと同じバックボーンをもった女性を息子の嫁に迎えたい。エミリーからしたら、恋人であるクメイルを自分の両親に紹介したいし、彼のご両親にも会いたい。

アメリカ社会とインド&パキスタン系コミュニティ、いわば2つの世界で生きているクメイルには、どちらの気持ちも理解できる。なので、彼の言動や態度は一見すると八方美人的で、優柔不断なものとも映る。恋人と家族はどちらも大切。だけどどちらに対しても誠実に振る舞う最適な方法がまだ見つけられなくて、そうこうするうち両方に誤解を与えてしまう。

違うからこそ相手を思いやれる

なにしろ異文化カップルなのだから、いったん差異を意識したらこじらせていくのは簡単だ。国籍、人種、言語、国民性、あらゆるものが相手を非難する武器となり、それはたやすく差別にもつながりやすい。

本作の感動的な点は、クメイルもエミリーも、自分たちの間の違いを認めていることだ。違いを無視するのではなく、どう違うのか、どう近づきあえるかを摩擦や衝突を通して模索し、お互いへの、そして自分自身への理解を深めていっているところだ。昏睡状態に陥ったエミリーを前にクメイルは自他双方への理解を深めるべく奔走する。

だけどこれは、異文化カップルに限ったことでは決してない。日本人同士のカップルにも当然同じことが当てはまる、いや、世界中のカップルが向きあっている問題だ。だからこそこの映画は、あらゆるカップル、あらゆる親子、あらゆる人間同士の関係性に共通する物語となっている。

違うから分かりあえないのではなくて、違うからこそ相手の気持ちを思いやって、私たちは今よりももっと仲良く、やさしくしあっていけるはず、と。