人は誰でも何かに対して強いこだわりを持っているもの。一口にこだわりと言っても、広い意味がありますが、身体の一部や物質への偏愛を示す“フェチ”もその一つです。今では一般化した“フェチ”という言葉ですが、どこか背徳的な意味合いを含み、映画や文学の世界でもテーマとしても何度も取り上げられてきました。そして間もなく、そんな特殊すぎて人には言えないような歪んだ欲求を、とことん描いた映画が公開されます。

靴に踏まれたい…文豪・谷崎潤一郎はガチの脚フェチ&M男性だった!

(C) 2018 Tanizaki Tribute製作委員会

その作品こそ、谷崎潤一郎の作品を映画化するプロジェクト「谷崎潤一郎原案/TANIZAKI TRIBUTE」の第2弾となる『富美子の足』(2月10日公開)です。

谷崎といえば、“フェチ”を芸術へ昇華させたフェチ文学の第一人者。24歳の頃に処女作となる短編小説『刺青』を発表し、その後1965年に亡くなるまで小説に止まらず、戯曲、エッセイ、映画シナリオなど多方面で、女性への偏愛やマゾヒズムをモチーフにした耽美的な世界観の作品を多数残してきました。

作品だけでなく、自身もマゾ&脚フェチとしても知られる谷崎。義理の娘である渡辺千萬子という女性に当てた手紙の中で「薬師寺の如来の足の石よりも君が召したまふ沓(くつ)の下こそ」という短歌を送っています。意訳するなら“薬師寺の如来像の足元で永遠に眠るよりも、君が履いている靴に踏まれて眠りたい”という内容になります。そんな谷崎の脚への偏愛は『富美子の足』にも大いに反映されているのです。

脚フェチ文学の極北!? 男たちが足に狂いまくる

(C) 2018 Tanizaki Tribute製作委員会

現代風にアレンジされている『富美子の足』。富豪の老人・塚越(でんでん)は風俗店で見つけた富美子(片山萌美)を愛人として迎え入れると、彼は富美子の美脚を偏愛し、慈しむことで悦びを覚える毎日を送っています。それだけでは飽き足らない塚越は、フィギュア作家で甥の野田(淵上泰史)に、富美子の等身大フィギュアの制作を依頼しますが、野田も次第に脚の虜になっていき……。

本作の見どころは、片山の美しさと、美脚に狂わされていく男たちの姿。スラっと伸びた美脚を舐めまわしたり、噛んだり、時には罵倒されながら蹴られたりと、狂気の描写がてんこ盛り。

個性派俳優たちが、目の焦点が合ってないかのような恍惚の表情を浮かべながら、脚を追い求める姿は衝撃的です。脚一つに異常な執着を燃やす姿からは、フェチの世界の奥深さすら感じることができます。

映画化された谷崎文学から漂う、耽美で妖艶な世界観

本プロジェクトに限らず、谷崎の小説はこれまで数多く映画化されています。作品によっては時代を変えて繰り返し映像化されており、どの作品もどこか耽美的な世界観を醸し出しています。

例えば、『刺青』はこれまで、6度にわたり映画化されてきました。人気女優・若尾文子を主演に迎えて映画化した『刺青』(1966年)は、女性の肌の美しさに取り憑かれた男の話です。黒沢明や溝口健二といった名監督とのタッグでおなじみの名カメラマン・宮川一夫が、若尾の雪のように白く美しい肌を見事にスクリーンに映し出しました。

また代表作の一つである『痴人の愛』は、これまで3度映画化。女給から見出した15歳のナオミを育て、いずれ妻にしようと考えていた男が、次第に少女の小悪魔的な奔放さに取り憑かれ、身の破滅を招くまでを、ナオミの際限のない美しさと、破滅していく男の姿というコントラストで描きます。

これらの作品以外にも『卍/ベルリン・アフェア』(1986年)のように海外で制作されたものもあり、時代や国を超えて“フェチ”というものは、普遍的な題材であることがうかがえます。

(C) 2018 Tanizaki Tribute製作委員会

自身の嗜好を文学へと昇華し、今なお人々に衝撃を与え続ける文豪・谷崎潤一郎。『富美子の足』を機に、改めて原作と映画に触れて、彼が描き出した耽美な世界観に浸ってみてはいかがでしょうか?

(文/スズキヒロシ・サンクレイオ翼)