文=轟夕起夫/Avanti Press

鈴木清順監督が彼岸に旅立たれてから、一周忌を迎えた。

2017年2月13日、享年93。一貫して「目と耳の愉楽」にこだわり、江戸っ子の心意気は常に、花火のようにパッと咲いては散る映画を夢見ていた。が、その残像は脳裏に強烈に焼き付き、観る者をとらえて永遠に離さない。昨年は各所で回顧上映が行われ、雑誌やWEBでも追悼特集が組まれたわけだが、さて今年はどうだろうか?

映画『ピストルオペラ』(2001年)撮影時、日活スタジオにて  (c)本多晃子

確信犯の余裕か、それとも人生の達観者か

筆者は「ユリイカ2017年5月号 特集=追悼・鈴木清順」の中で、清順さんとの、決して浅くはない交流を綴らせてもらった。最後の長編映画『オペレッタ狸御殿』(2005年)を発表された翌年、監督生活50年の節目となった2006年に『清/順/映/画』(ワイズ出版)というインタビュー本を編んだ身として(磯田勉氏と共同)。思い出は……尽きない。

映画『ピストルオペラ』(2001年)撮影時、横須賀にて  (c)本多晃子

誰もが認めるとおり、大変な傑物であった。これは別取材でのことだけども、2006年にリリースされた自選DVD-BOX 壱『日活から大目玉をくらった作品』(←それにしても凄いタイトルだ!)の楽しみ方を訊ねると、清順さん、飄々とこう述べて、アッハッハと豪快に笑った。

「あのね、皆さん、映画会社の重役になったつもりで観てみてください。そうしたら当時の日活首脳部の“怒り”を追体験できますから」

確信犯の余裕か、それとも人生の達観者か。ちなみに収録されているのは本名“鈴木清太郎”でクレジットされたデビュー作『港の乾杯 勝利をわが手に』(1956年)を手始めに、『8時間の恐怖』(1957年)、『素ッ裸の年令』(1959年)、『関東無宿』(1963年)、『東京流れ者』(1966年)、『殺しの烙印』(1967年)の6本。

たとえば逃亡中の銀行ギャングに乗っ取られたバスを描いた『8時間の恐怖』では、ギャングがなぜか歌いながら登場、サスペンスタッチが突如コメディに。他にも編集段階でいろいろ差し替えたものの……結局怒られて、半年ほど干された。会社命令でラストを撮り足した『関東無宿』は当初、主演の小林旭の殴り込みシーンのあとに“赤い雪”を降らそうとした(これはプロデューサーに止められた)。

『東京流れ者』のラストに至っては、“緑色の月”を出し、地面に倒れている巨木の切り口は真っ赤に。当然ながらリテイクを命じられた。だが、それでも各作品のおもしろさは断じて、何ら減じていない。大目玉にもまったく懲りない江戸っ子は生涯、“清順スタイル”を貫いてみせた。

1997年頃、ドキュメンタリー番組撮影時のひとこま  (c)本多晃子

一周忌に改めて提言したい“清順リバイバル”

もちろん“清順スタイル”とは、型破りで過激なだけではない。アナーキズムの裏側には、この人にしか醸し出せないリリシズムやロマンチシズムが張り付いているのだ。清順映画で何度胸をつまらせ、瞳を濡らしたことか。そして、手を尽くした美術で傾(かぶ)き、どれも当代の美男美女が出演する「スター映画」でもあった。これからも世代を超えて熱狂的ファンに支持され、海外の名だたるクリエイターたちにも多大な影響を与えていくのは言うまでもない。侯孝賢、ジム・ジャームッシュ、ウォン・カーウァイ、クエンティン・タランティーノ、ニコラス・ウィンディング・レフン……昨年も『ラ・ラ・ランド』(2016年)のデイミアン・チャゼル監督や、パク・チャヌク監督の『お嬢さん』(2016年)がその影響の一端を示していた。そういえば以前、ジョン・ウー監督が『野獣の青春』(1963年)をリメイクする話があったが、これはぜひとも実現してほしい!

一周忌ということで提言するが、清順作品の上映やソフト化はまだまだだ。昨年は追悼で“恐怖劇場アンバランス”の第1話『木乃伊の恋』(1973年)や“日曜恐怖シリーズ”の第10話『穴の牙』(1979年)といったTVドラマも劇場のスクリーンにかかったが、ならば放映時、“火曜サスペンス劇場”の視聴者をたまげさせた『家族の選択』(1983年)や、これも局は日本テレビ(清順ファンがいたのか?)、水曜バラエティ『小堺・関根のあの人とこんなことやりたいテレビ』(1987年)の1コーナーで作った短編『四谷怪談』などにもどうか陽の目を!

それからあれは90年代初頭だったか、「BRUTUS」誌上で連載していた奇々怪々で魅力的な「どうでもいいじゃないか」の書籍化も切望する。清順さんは文章も一筋縄ではいかない“清順スタイル”だったのだ。

1997年頃、ドキュメンタリー番組撮影時のひとこま。湯西川温泉にて  (c)本多晃子

晩年の素顔に肉薄した本の出版も!? お楽しみはこれから

生前、京都造形芸大映画学科長の山本起也監督が密着していたドキュメンタリーの完成も待ち遠しいし、また現在、清順さんの晩年に肉薄した本も企画されているという。TVのドキュメンタリー番組の仕事で出会い、公私ともに20年近く親交を深めてきたフォトグラファー・本多晃子が知られざるそのプライベートな姿を記録(今回の写真も彼女の手によるものだ!)。しかも、ライターの八幡薫と清順宅に何度も通い、時間の許す限り、あれやこれやと話を伺ったものなのだとか。注目すべきは今まで公の場に登場しなかった48歳年下の奥様・崇子さんを交えて、伝説の映画監督の日常、そしてひとりの男であり、人間・鈴木清順に“女性たち”が迫っていった、と。これも何としてでも形にしてもらいたい。

つまりは追悼ではなく、清順さんとの新たな出会いのために――。お楽しみはこれから、なのだ。

2002年、韓国・ソウルで行われた回顧展にて (c)本多晃子