文=金原由佳/Avanti Press

昨年、1985年の荻野目洋子のヒット曲「ダンシング・ヒーロー」が、大阪府立登美丘高校ダンス部の激しいパフォーマンス「バブリーダンス」として鮮やかに蘇り、YouTubeの年間トップトレンド動画の1位に輝いた。手塚眞監督は、1985年に近田春夫と組んで発表したカルト・ミュージカル『星くず兄弟の伝説』の続編『星くず兄弟の新たな伝説』を、ともに1980年代生まれの三浦涼介と武田航平を主演に迎えて制作。そしてホイチョイ・プロダクションズの1987年の大ヒット作『私をスキーに連れてって』も、今シーズンの「JR SKISKI」のキャンペーンと共に復活している。

若い血肉を得て続々とリブートされる、バブル期カルチャー

このように最近、日本経済が華やかだった1980年代に生まれたカルチャーが若い世代の血肉を得てリブート(再起動)する例が跡をたたない。そんな動きのなかで、1983年にデビューを果たし、バブル期を生き抜く少年少女を描き続けたマンガ家・岡崎京子の世界が、むしろバブル終焉の“予言の書”とも言える「リバーズ・エッジ」の映画化によって、再考察されることは感慨深い(原作は1993年~94年、雑誌「CUTiE」に連載)。

岡崎京子の残した仕事は、2015年に世田谷文学館で開催された初の大規模展「戦場のガールズ・ライフ」でこと細かく検証されていた。だがそこでは「1980年代の消費社会に生きた戦士」としての側面ばかりが強調され、まるでその時代に“殉じた”ような捉えられ方をしていることに、個人的には違和感を抱いたのも事実だ(展覧会を観た後、数週間はひどく落ち込んだ記憶がある)。

彼女は1996年、不慮の交通事故によって唐突に創作活動を中断させられてしまったわけだが、実は岡崎京子と同時代に活躍していた多くの女性マンガ家たちも、近年、新作を発表していない。なぜ彼女たちは描けないのか。その理由をきちんと考えることなく、岡崎京子だけが時代と密接に語られすぎるのは、彼女と同時代を生きた私にはやはり面白くないのだ。

行定勲監督『リバーズ・エッジ』2月16日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
(c) 2018「リバーズ・エッジ」製作委員会/岡崎京子・宝島社

だが、そんな1980~90年代のアイコン(という名の呪縛)から岡崎京子がようやく解き放たれるときが来た。映画『リバーズ・エッジ』ができあがったからだ。

1980~90年代のアイコンという名の呪縛

はたして二階堂ふみは、ボンタンジーンズをはくのだろうか? 2017年3月、行定勲監督によって伝説のコミック「リバーズ・エッジ」が映画化されると発表されたとき、真っ先に思ったのはそのことだった。

2015年、宝島社から刊行されたオリジナル復刻版の表紙には、ラフな鉛筆スケッチで主人公・若草ハルナの立ち姿が描かれている。そこで彼女がはいているパンツが、80年代に爆発的ブームになったボンタンジーンズに見えるのだ。細めのウエストにツー(もしくはスリー)タックが入っていて、太ももは太く、足下はシェイプされていて、別名“ヤンキージーンズ”とも呼ばれ、もちろん“シャツ・イン”が定番だ。

『リバーズ・エッジ オリジナル復刻版』(宝島社)

コミック内のハルナはほとんどパンツ姿。そこにニルヴァーナのカート・コバーンみたいに、ネルシャツやモッズコートを合わせたグランジ・スタイルだ。もう1人、表紙を飾る山田一郎は、ダッフルコートにスクールマフラーで、小綺麗なアイビーファッション。スタイルからしてこの同級生2人は異質で、物語においても当初は交わらない。

岡崎京子が描いた、想像を遙かに超える“ボーイ・ミーツ・ガール”

岡崎京子は自身もあちこちで語っているように、“ボーイ・ミーツ・ガール”を描く達人だった。そもそも少女漫画というジャンル自体が、少年少女の出会いを描くものなのだが、彼女が描く出会いは恋の範疇をはるかに超えていて、ときには交通事故のような唐突さで出会ってしまうハプニングを、ワクワクと見せられる作家だった。

「リバーズ・エッジ」で言うならば、ハルナにはボーイフレンドの観音崎がいて、山田君はゲイだ。肉体的には決して交わらない2人だが、観音崎からひどいイジメを受けている山田君を助けたことから、ハルナは彼の「大切な宝物」を見せてもらうことになる。それは学校に隣接する工業地帯の、セイタカアワダチソウに覆われた埋め立て地にひっそりと横たわる死体──。白骨化し、もはや年齢はおろか、男だったのか女だったのかすらわからないものだった。

行定勲監督『リバーズ・エッジ』2月16日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
(c) 2018「リバーズ・エッジ」製作委員会/岡崎京子・宝島社

「リバーズ・エッジ」というコミックはなぜ、その後もずっと読み継がれる“古典”となりえたのか? その理由の1つは、想像をはるかに超える10代の“未知との遭遇”が描かれていたことだろう。それは愛だの恋だのの甘ったるいものじゃなく、ときに理不尽な暴力であり、とめどない怒りや不安であり、そして、どんなにあがいても人間は結局死んで骨となるという、避けようもない未来だったりする。

この感覚はメメント・モリ(死を想え)というラテン語の有名な警句にも通じるものだ。本作に描かれる山田君と、ハルナの後輩で人気モデルの吉川こずえは、草むらで眠る死体に引き付けられ、夜な夜なそれを眺めることでうっすら陶酔し、死と向き合いながら、日々の生活のなかで抱える苦しみを和らげる。

平成生まれの女優・二階堂ふみの強い思いで映画化が実現

山田君とこずえはそれぞれ突出した美しさを持ち、その他大勢の生徒たちからは異端視され、疎まれ、つねに好奇に満ちた眼差しを意識して暮らしている人物だ。一方ハルナは、見られる側ではなく見る側。もちろん死体を宝物と言いきる感性も持ちえない、ある意味ふつうの高校生である。

そんな、本来なら接点を持たない3人が同じ高校だというだけで乱暴に集団内に放りこまれ、ふとしたことで誰にも言えない秘密を共有し、ソウルメイトのような関係となる。だがそれも永遠に続くものではなく、あくまで人生の一瞬に訪れた束の間の邂逅だったりする。だから儚く、そして尊い。

行定勲監督『リバーズ・エッジ』2月16日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
(c) 2018「リバーズ・エッジ」製作委員会/岡崎京子・宝島社

実は映画版の『リバーズ・エッジ』も、オトナ主導で作られたものではない。二階堂ふみという1人の若い女優が「映像化したい」と強く願い、自ら行定勲監督を指名することで動き出した企画だ。だからこそ原作に描かれた暴力も、乾いたセックスも、あっけらかんとした裸も逃げずに描かれ、俳優たちの能動性を強く感じられる作品に仕上がった。

二階堂ふみは、ボンタンジーンズをはいてスクリーンで輝いていた!

そして(これが肝心なことだが)二階堂ふみはボンタンジーンズを彷彿させる、きちんとボリュームのあるビッグサイズのジーンズをベルトでギュっと締め、ヒップを強調させるスタイルで、スクリーンの中を元気よく走り回っている。よし。原作をなぞっているから「よし」なのではなく、岡崎京子の描いたキャラクターの“核”となる部分をきちんと映像化しているから「よし」なのだ。

行定勲監督『リバーズ・エッジ』2月16日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
(c) 2018「リバーズ・エッジ」製作委員会/岡崎京子・宝島社

ハルナは煙草を手放せず、他人の厄介事につい首を突っ込んでしまう、お節介で愛すべきヤンキーだ。いわば天然のDQN(*)要素が入った“ダサ可愛さ”が魅力。それを二階堂ふみが根本から理解し、映画の中でちゃんと表現している。それによって彼女が見つめる“ファッションピーポー”の山田君や、年上のカレシとブランド品で武装する小山ルミ、山田君の表面しか見ていないオリーブ少女、田島カンナのキャラクターが際立つのだ。

*DQN(ドキュン)とは、粗暴だったり、常識がなくあまり頭がよくないように見受けられる者を指すインターネット・スラング

行定勲監督『リバーズ・エッジ』 2月16日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
(c) 2018「リバーズ・エッジ」製作委員会/岡崎京子・宝島社

山田君役の吉沢亮はちゃんと虚無の目をしているし、こずえ役のSUMIREは一緒に吐きたくなるくらい猛烈に食べて吐いてを繰り返す。カンナ役の森川葵はサブカルチャーで理論武装する少女の偏狭さを怖いくらい出しているし、ルミちゃん役の土井志央梨は原作以上にエロくて中身のない感じを押し出す。そして上杉柊平演じるハルナの彼氏・観音崎は、どうしようもなく衝動的で、幼稚で、アホだ。

行定勲監督『リバーズ・エッジ』2月16日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
(c) 2018「リバーズ・エッジ」製作委員会/岡崎京子・宝島社

岡崎作品へのむき出しの批評を採り入れた行定演出

行定監督はもちろん、単に原作のエッセンスを映像化しただけではない。指名とはいえ、行定監督は劇場デビュー作『ひまわり』(2000年)以来ずっと青春映画を手掛けてきた人。2015年の『ピンクとグレー』で加藤シゲアキの原作の構成とストーリーを大胆に改変した彼は、今回も映画ならではの演出にトライしている。

それは、役柄を纏ったままの演者たちに、あえて本作のテーマである「生とは?」「死とは?」などの質問を投げかけ、あたかも物語を分断するかのようにインタビュー・シーンを挿入したことだ。それによって演じ手たちは、役を通してこの映画をどう考え捉えているか、図らずもその解釈を試されることになった。

行定勲監督『リバーズ・エッジ』2月16日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
(c) 2018「リバーズ・エッジ」製作委員会/岡崎京子・宝島社

そして、行定監督の声に導かれて咄嗟に出た言葉たちは、岡崎京子の世界観へのむき出しの批評となっている。バブル期に青春を送った者は、間もなく終焉を迎える平成に生まれた俳優たちの瞬発力により、当時の狂った喧騒のなかで失った何かを思い出すだろう。また岡崎京子を知らない世代は逆に、バブル経済が崩壊した後に日本を覆い尽くした閉塞感がなぜ未だに続き、むしろ強まっているのか、疑問と怒りを感じるかもしれない。

そんな20年の月日を軽々と飛び越えて、映画のラスト、岡崎京子とまさに同時代のアイコンで“90年代の王子様”だった小沢健二が「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」でこう歌う。

「汚れた川は再生の海へと届く」

私はボンタンジーンズをはく二階堂ふみを、一生愛するだろう。