どんな世界にも「名人」と呼ばれる存在がいる。4月公開の『シューマンズ バー ブック』と、4月21日より公開の『さすらいのレコード・コレクター 10セントの宝物』は、知られざるジャンルにおける孤高の「名人」にスポットを当て、彼らの真髄を教えてくれるドキュメンタリー映画だ。こだわりを突き詰めた末に立ち現れてくるもの。それは人間力に他ならない。

相手の話を聴く、ドイツの「名人」

『シューマンズ バー ブック』の主人公、チャールズ・シューマンは、ドイツのミュンヘンに「シューマンズ・バー」を構えるオーナー兼バーテンダー(バーマン)だ。

彼は1991年にカクテルのレシピ本『シューマンズ バー ブック』を出版。世界のバーテンダーにとってこの本はバイブルとなった。バーに従事する者、またバーの世界を本気で志す者にとって知らぬ者はいない存在だ。

76歳を超えても毎日バーに立つというシューマンは、本作で世界の名だたるバーを渡り歩く。ベルリン、ニューヨーク、パリ、ハバナ、東京、ウィーン。「生きるレジェンド」たるシューマンを迎え、緊張しながらも、自身のこだわりを披露するバーマンたち。そこでシューマンは、彼ら彼女らの話をじっと聴く。映画の最終盤になってようやく自身でもシェイカーを振ったり、自説を語ったりはするが、それまでは静かなる好奇心と共にカウンターに座っているだけ。だが、その風情がたまらなく粋だ。

ヨウジヤマモトやコム・デ・ギャルソンのモデルを務めていたこともあるシューマンは最高の伊達男で、艶やかなスーツを着こなし、どんな都市の路上を闊歩する姿もサマになる。だが、チャラさは微塵もなく、この映画では「相手の話を聴く」という行為に宿るダンディズムを、無言のたたずまいで証明している。バーマンとして神格化される存在だが、スタイルの異なる世界の「同胞」に対する敬意が常にある。その姿勢こそが、たまらなくカッコいい。

本作は、彼の偉業を辿るのではなく、同業者の逸話に耳を傾ける様子を通して、「名人」の真髄を体感させてくれる。滲み出る人間的説得力。なるほど、バーという空間は「相手の話を聴く」場所であり、バーマンとは美酒を供する技術だけではなく、そうした空間を成立させ、居心地良い時間を醸成するプロフェッショナルなのだということが伝わってくる。

(C) Cube Media 2003

アメリカの「名人」のコミュニケーション能力

『さすらいのレコード・コレクター 10セントの宝物』は、SPレコードの名コレクターであるジョー・バザードに密着した2003年製作の作品。本作は15年の時を経ての発掘公開となっている。

1936年、アメリカのメリーランド州に生まれたバザードは、自身が生まれる前の1920年代から1930年代にかけてのアメリカン・ミュージックのSPレコードを中心に収集している生粋のコレクター。その数は25,000枚以上と言われる。

見た目は陽気なおじいさんだが、ロック以降の音楽は(ほぼ)完全否定。「ジャズはとっくに死んでいる」と容赦ない檄を飛ばす。一方で、黒人音楽に惜しみないリスペクトを表し、彼お気に入りのブルース、ブルーグラス、カントリー、ゴスペルなどをプレイヤーにかけ、聴きながらリズムをとる姿は、音楽ファンの鑑だ。

超マニアックな収集家でありながら、いちばん好きなアーティストを訊かれれば即答するし、自分の棺に入れたいレコードも嬉しそうに聴かせる。こだわりはあるが、偏屈さはまったくなく、終始オープン・マインド。何よりも、評論家気取りな部分が皆無で、オーディエンスのひとりとしての矜持がじわじわと感じられる。

「いいだろ? この曲!」と、フランクでフレンドリーな目配せを送りながら、大切に(レコードではなく)音楽を扱うから、観る側もグッと引き寄せられる。この時代のアメリカ音楽に興味がなくても、面白いおじいさんの部屋に招かれたように、この映画の観客は思わず微笑んでしまうに違いない。

本作には、普段、バザードがどのようにレコードを収集しているか、その情景も撮影されている。SPレコードが余ってるから売ってもいいよ、という電話をきっかけに、おそらくかなりの距離であろう一般家庭のもとに、車を飛ばして駆けつける。鼻歌交じりでドライブしながら「アタリがありそうな予感がする」とウキウキしている彼の表情は、まるで少年のようだ。

ところが行ってみると、古いSPレコードはほとんどなく、コレクションが増えることはなかった。だが、迎えた黒人ふたりと楽しく会話をし、車でお気に入りの音楽を一緒に聴くひとときを過ごす。

そして、「よくあることさ。いいヤツらに逢えて良かった」と語るバザードの微笑みに嘘はない。バザードのことが、人間的に好きになる瞬間だ。彼はきっと、これだけのコミュニケーション能力があるからこそ、膨大なSPレコードを収集できたのだろう。

チャールズ・シューマンも、ジョー・バザードも、その道の人にとっては特別な存在だ。しかし、崇め祀るのではなく、彼らの人間性そのものを浮き彫りにするこの2本は、映画メディアが伝えるべきものを、あらためて体現している作品だと言えるだろう。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)