『パリ、テキサス』(1984年)などで知られ、昨年他界した名優ハリー・ディーン・スタントンの最後の主演作『ラッキー』(3月17日より公開)。デヴィッド・リンチが俳優として友情出演していることでも話題ですが、この映画には「孤独と独り暮らしは意味が違う」「つまらん雑談なら気まずい沈黙の方がマシだ」など、死と向き合う名優から放たれる含蓄ある名言が満載なんです。

『ラッキー』は、ハリー・ディーン・スタントンに贈られた名映画

どんなにお金持ちで名誉があっても、死だけは平等に訪れる、とはよく言われること。いくら健康に気を遣っていても、生き物である以上、身体の衰えはジワジワと忍び寄ってきます。それは映画スターだって同じこと。スクリーンのなかでは永遠の輝きを放っていても、最期のときは必ずやってきてしまいます。

昨年9月に惜しまれつつもこの世を去った、名優ハリー・ディーン・スタントンの最後の主演作となった『ラッキー』。名バイプレイヤーとして知られるジョン・キャロル・リンチによる初監督作品なのですが、まさにスタントンの人生になぞらえて描かれた、哲学的なラブレターのような映画なんです。「こんなふうに、この世から姿を消すことができたら……」と憧れてしまうくらい、最高の作品に仕上がっています。

デヴィッド・リンチが演じるのは、ペットの亀を溺愛する男

主人公は、アメリカ南西部の街のアパートに住む、90歳の現実主義者ラッキー。毎朝ランニングシャツ姿でヨガを5ポーズ、21回ずつこなしたあと、テンガロンハットを身に付け、馴染みのダイナーに足を運ぶのを日課にしています。店主のジョーと無駄話をかわし、ウェイトレスのロレッタが注いでくれたミルクと砂糖多めのコーヒーを飲みながら、新聞のクロスワード・パズルを解くのが、彼にとって至福のひと時。

一方、夜な夜な仲間が集まるバーでは、デヴィッド・リンチ扮する友人のハワードが、「王の気高さとおばあちゃんの優しさがある」と溺愛するペットの亀・ルーズベルトが逃げてしまったと意気消沈。100歳になるというルーズベルトを失ったショックから、「財産はすべてルーズベルトに遺したい」と、周りがドン引きしているのもお構いなしで真面目に語るハワード。ラッキーは彼に「人はみな生まれる時も死ぬ時も一人だ。“ALONE(独り)”の語源は“ALL+ONE(みんな一人)”なんだ」と、含蓄ある言葉をかけるのです。

スタントンが「死」の恐怖と向き合う姿は、弱音を吐いていてもハードボイルド

現実主義者で、何事にも動じず、達観しているかのように見えたラッキーですが、彼が街のあちこちで発する言葉は、実は常に自分自身に言い聞かせていたのだとわかる出来事が起こります。

ある朝、恒例のヨガの後に突然気を失い倒れたラッキーは、自分にも人生の終わりが近づいていることを悟り、90歳にして初めて「死」の恐怖と真正面から向き合うことになるのです。バーで喧嘩した相手に翌朝ダイナーで挨拶されても「つまらん雑談なら気まずい沈黙のほうがマシだ」と返し、「孤独と独り暮らしは意味が違う」と虚勢を張って生きてきたラッキー。

そんな彼が、「死」という未知の概念に対する自分なりの対処法を模索していく過程で、意外な人物に弱音を吐露してみたり、ルーティンからちょっと外れた行動をしてみたり……。いわゆるハードボイルド映画の主人公ならご法度とされることかもしれませんが、スタントンが演じることによって、これこそが真のハードボイルドなんだと納得させられてしまうんです。

映画の終盤、ルーズベルトを探すのを諦めたハワードが、「彼は去ったのでなく、大切な用事で出かけたと気づいた。(中略)縁があればまた会える。私はいつでも門を開けておくだけ」と仲間に宣言するシーンがあるのですが、それがまるでこれからあらたな世界へと向かうラッキーへのはなむけの言葉のように聞こえて、胸が熱くなってしまいます。

エンディングに流れる楽曲の歌詞には、かつてハリー・ディーン・スタントンが演じた名作のタイトルと役柄が盛り込まれるという、心憎い演出が施された映画『ラッキー』。数々の名作の面影を背負って荒野を歩く一人の名優の生きざまを、瞼にしっかりと焼き付けて、自分なりに精一杯人生を歩んでいこうと心を新たにできる1本です。

(文/渡部喜巴@アドバンスワークス)