人生とは選択の連続であり、例えその選択が正しかったとしても、その後の結果や偶然の出来事に翻弄されることもある。そして、本当の幸せを掴むためにまた選択しなければならない。いや、そもそも本当の幸せとは何なのか。そんなことをヒューマンかつユーモラスに教えてくれるのが、アレクサンダー・ペイン監督・脚本の『ダウンサイズ』(3月2日より公開)だ。

1750万円の資産が、ダウンサイズで14億5000万円に!?

映画のタイトルにもなっている「ダウンサイズ」とは、爆発的な人口問題を解決するために開発された、人間を1/14にする科学技術のこと。ダウンサイズを行った人間は消費も1/14となり、全てがミニチュア化された世界で暮らすことで資産は82倍にアップし、大金持ちになれるとされている。

そんな暮らしに憧れた主人公、ポール・サフラネック(マット・デイモン)は、妻のオードリーとともに夫婦でダウンサイズすることを決意。ポールは低収入でストレスの多い毎日にうんざりしており、漠然とした不安は感じながらも、ダウンサイズを承諾する。ダウンサイズする直前には、最低限の品を思い出箱にまとめていた。

しかしオードリーは、ダウンサイズ直前になって親や友人との絆が失われる不安感に耐えきれなくなり、小さくなったポールを残して去ってしまう。ひとりには大きすぎる新居で呆然とするポール。するとそこに昨日まとめた思い出箱が運ばれるのだが、ダウンサイズした体には大きすぎる品々が金持ちになることと引き換えに失ったものの大きさを印象づける。

モーリス・メーテルリンクの童話「青い鳥」のように、本作もここで終わりを迎えていれば、“幸せはとても身近にあったはず……”というメッセージのみを残すこともできただろう。だが、本作の物語はポールがダウンサイズしてからが本当の始まり。人生は死ぬ時がエンディングであり、どんな困難があっても生きていかなければならない。結局、オードリーと離婚したポールも胸に大きな穴を抱えながら仕事をはじめ、子持ちの女性と夕食を共にするようになる。

第2は偶然。第3は何が自分にとって本当に大切なのかの選択

ダウンサイズ後、ポールは憂さ晴らしに隣人のドゥシャン・ミルコヴィッチ(クリストフ・ヴァルツ)のホーム・パーティに参加する。そして、以前テレビで見た、政治犯としてダウンサイズさせられたノク・ラン・トラン(ホン・チャウ)と出会う。

劇中にも「君(ノク)に出会ってこんな人生になるとは思わなかった」というセリフがあるが、ドゥシャンの家の扉を開けたことでポールの人生は静かに、だが、確実に新たな方向へと大きく舵を切ることになる。

ノクが履く義足のメンテナンスをきっかけに、ポールはダウンサイズされた世界にも表と裏があり、幸福を絵に描いたような世界の片隅に、そこからはじき出された人々の貧しい暮らしがあることを知る。

そんな中、人間は結局、自然に抗うことができないのだと思い知らされる事態が北極で進行し、ポールはさらなる選択を迫られる。これ以上はネタバレにつながるので控えるが、ドゥシャンがポールを皮肉る時に言う「あいつは未練がましいからな」というセリフは実に印象的だ。

人生は数奇であり、選択の連続

ダウンサイズした世界の光と影、さらには科学技術の発達も自然の脅威には無力だという事実。加工工場でパック詰めされる魚や肉のように、ポールも他の希望者と一緒に並べられ、機械的にダウンサイズされる場面もシニカルだ。こうした風刺的な側面は物語に深みを与え、幸福とは、そして人生とは何なのかを強く意識させる。

ポールの選択が本当に正しかったのかどうかは、物語のエンディングの先を想像するしかない。いや、例え正反対の選択をしたとしても、その先にも選択は待ち構えていたことだろう。逆にオードリーがダウンサイズを躊躇しなければ、ポールは物質的、精神的に満たされた表の暮らしを送り、ノク・ランと知り合うこともなかったはず。それ以前にダウンサイズを選択しなければ……どうなっていたのだろうか。

人生とは偶然の巡り合わせによって変化し、人と人の関係性もまた人生に大きな影響を与える。そうした偶然を生むのも、人生に選択があってこそ。あなたも『ダウンサイズ』を観ることを選択したことで、未来が大きく変わり、それまで出会ったことのない人々と知り合うことになるかもしれない。いや、少なくともラスト・シーンでのポールのように、慣れ親しんだはずの風景が少し違って見えることは間違いない。

(文/兒玉常利@アドバンスワークス)