カンヌ国際映画祭で最高賞にあたるパルム・ドールを『白いリボン』(2009年)、『愛、アムール』(2012年)の2作連続で受賞する快挙を成し遂げた、オーストリア出身の映画監督ミヒャエル・ハネケ。特に『愛、アムール』は人間の老いと尊厳という普遍的なテーマを盛り込み、米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞したほか、高齢大国ニッポンでも大きな反響を呼んだ。

それから約5年。フラッシュモブをテーマにした群像劇映画の企画が頓挫するなど、ファンをやきもきさせたハネケ監督だったが、とんでもない新作を生み出していた。それが昨年のカンヌ国際映画祭で賛否両論を巻き起こした、映画『ハッピーエンド』(3月3日公開)だ。映画監督としての名声を十二分に得た今、再び観客を挑発し、イラつかせる作風に先祖返りするという守りに入らない挑戦的姿勢は、もはや悟りの境地だ。

タリウム少女にインスパイアされた不穏

(C)2017 LES FILMS DU LOSANGE - X FILME CREATIVE POOL Entertainment GmbH - WEGA FILM - ARTE FRANCE CINEMA - FRANCE 3 CINEMA - WESTDEUTSCHER RUNDFUNK - BAYERISCHER RUNDFUNK - ARTE - ORF Tous droits reserves

本作は、『愛、アムール』に主演した老俳優ジャン=ルイ・トランティニャンを同じ役名で起用し、その娘、息子、孫たちを中心としたセレブ家族の物語が描かれる。『愛、アムール』との関連を匂わせるが、登場する家族たちはかなりズレている。

妻殺し、母親毒殺、ゲス不倫、七光のボンクラ。そんな彼らが生きる日常に透けて見える移民問題と差別意識。ちなみにファンティーヌ・アルドゥアン演じる毒殺孫娘・エヴァは、2005年に静岡県で起きた女子高生による実母タリウム殺害未遂事件の加害少女がモデル。ハネケ監督曰く「劇中の重要なシーンでエヴァが“I★JAPAN”というTシャツを着ているだろう?あれは偶然だよ。フフフ」とのこと。

『愛、アムール』にも感情を激しく揺さぶるような、観ていて辛い場面もあったが、それぞれのキャラクターの感情も追いやすく、演出も含めて劇映画として“観やすい映画”の構造を保っていた。だが『ハッピーエンド』は登場人物たちの思考も演出法も含めて、意図的に観客の共感を拒むような作りになっている。

『愛、アムール』の作風から“ヨーロッパの社会派監督”などと思って鑑賞すると火傷する可能性は高いが、これこそがハネケ監督本来の姿。物騒な素材だらけの本作をハネケ監督自身「非常に皮肉を込めた笑劇(ファルス)だよ」と紹介している時点で、ミヒャエル・ハネケという人がどんな性格なのかおわかりいただけるだろう。

守りに入らぬ75歳の仙人的境地

日本で初めて劇場公開されたハネケ監督作品は、のちに自らハリウッド版リメイクもした『ファニーゲーム』(1997年)。とある別荘を舞台に、卵をもらいに来た謎の青年2人に一組の家族がなぶり殺しにされる様子を淡々と描いた衝撃作だった。

ハネケ監督がホラー映画や暴力映画を娯楽として消費する層に対して『こんなのが面白いのかお前らは!』と喝を込めて作ったというも、陰湿加虐ぶりが逆にホラー好きの琴線に触れるという逆転現象を生んでしまった問題作でもある。

それよりも前に作られた映画作品は3本ある。一家の緩やかな終焉を描いた長編映画監督デビュー作『セブンス・コンチネント』(1989年)、少女を殺害する少年の心象風景を追う『ベニーズ・ビデオ』(1992年)、銃乱射事件に居合わせる人々の人生を断片的かつどんより描く『71フラグメンツ』(1994年)。

これらは“感情の氷河化3部作”と呼ばれ、拷問的にも思える長回しや不可解なニュース映像の挿入、同じシチュエーションの反復などからくる観客を突き放さんばかりの演出が特徴的。演出に主張が侵食しすぎたと思われる反面、ハネケ監督の作家としての純度が高く表れた初期ならではの作風ともいえる。

『ハッピーエンド』はこの位置に近い。巨匠として崇められていなかった若き時代の野心的作風に、老境に入ったハネケ監督が演出家としての経験値を高めた今、再び舞い戻ったと読み取ることもできる。

一見“観やすい劇映画”の仕組みを取りながらも、映し出されるのはギョッとさせられる事柄ばかり。シーンの明確な理由や説明を省き、一体だれが主軸なのかをぼかして混乱させたり、解釈を観客それぞれにゆだねたりする手法も健在。鑑賞後のジワジワ感はなかなか病みつきになる。守りに入らず、しかも作り上げたものは唯一無二の変質さ。地位も名誉も得たはずの75歳の余白は恐ろしく広い。

大事なのは観客に考えさせること

(C)2017 LES FILMS DU LOSANGE - X FILME CREATIVE POOL Entertainment GmbH - WEGA FILM - ARTE FRANCE CINEMA - FRANCE 3 CINEMA - WESTDEUTSCHER RUNDFUNK - BAYERISCHER RUNDFUNK - ARTE - ORF Tous droits reserves

「観客を挑発すること自体が狙いというわけではありません。考えさせることが大事なのです。映画が衝撃的であれば、あるいはシリアスであればあるほど、人々の心は動揺させられ、それについて深く考えるようになるでしょう。私は1本の映画が世界を変えるとは思いませんが、それらの物語に触れることで、私たちの人間性が少しでもより良いものになればと願っているだけです」。

生み出された映画から与えられるインパクトと語られる優しき言葉とのギャップ。しかしハネケ監督本人の中では矛盾は生じてはいないのだろう。それが怖いし、だからこそハネケ監督の脳みそから作り出されるストーリーは気になる。

重要視しているのは脚本。これまですべて自分で書いてきた。「私は自分で書く脚本は自分で監督したいと思っています。なぜなら脚本は監督より大事だと思うからです。監督業はちょっと過大評価されているのではないかと感じるところもあるくらい。理想とする監督像は、たくさんいい監督がいるので、具体的に名前をあげるのは難しいですが、脚本も書いて監督もしている監督、いわゆるニュー・ジャーマン・シネマの監督たちは好き」と作家性へのこだわりあり。

だから私は選ぶのが嫌いなのです

生涯において、ロベール・ブレッソン監督の『バルタザールどこへ行く』(1964年)、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の『ソドムの市』(1975年)に衝撃を受けたと公言している一方で「少し前にドイツ映画博物館からの依頼で、映画を10本選んでくださいと言われました。どうしても10本選ばなければいけなかったのですが、10作品だけ選んでしまうと、他に50作のいい映画があってもそれをないがしろにしてしまうことになるから、フェアじゃないと思います。だから私は選ぶのが嫌いなのです。100作品選んでくださいならいいのですが、同じような考えで、自分が好きな監督の名前を何人か選んであげてくださいと言われるのは、私はしません。それは不完全になってしまうし、フェアじゃない」。はぐらかし、本音に触れさせようとはしないスタンス。まるで自身が作りだす映画のよう。

『ハッピーエンド』は万人受けする映画ではないかもしれないが、強度のある作品といえるし、『白いリボン』、『愛、アムール』でハネケ監督の弱体化を感じたオールドファンには快哉を叫ぶ注目の1作になるに違いない。『愛、アムール』で予習するよりも、“感情の氷河化3部作”に加えて、人間同士がいかに理解し合えないかを説明する『コード:アンノウン』(2000年)をチェックしておくと、よりディープに楽しむことができるはず。なにはともあれハネケ監督には長生きしてもらって、これからも引き続き映画史に賛否を巻き起こしてもらいたい。

(取材・文/石井隼人)