文=紀平照幸/Avanti Press

3月30日より日本公開となる映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』。そのタイトルから、有名な英国首相の一代記を想像していましたが、実際は首相就任からダンケルクの戦いまでの27日間を描いた映画でした。原題の“Darkest Hour”が示すように、イギリスが最も窮地に立たされた日々の物語です。本作で何と言ってもすさまじいのがチャーチルに扮したゲイリー・オールドマンの演技。カメレオン俳優ともよばれる彼の素顔について、本作を振り返りつつ探っていきましょう。

『ダンケルク』『英国王のスピーチ』と見比べるのも興味深い

1940年5月、ナチス・ドイツは東欧と北欧諸国を制圧してベルギーやオランダに迫り、フランスは陥落寸前、イギリスも脅威にさらされていました。この時期にチェンバレン内閣の不信任案が可決され、首相は辞任。後任として選ばれたのは海軍大臣のウィンストン・チャーチルでした。度重なる失策から政界では嫌われ者のチャーチルですが、国民からの支持は絶大。彼はヒトラーとの和平交渉を図る外相ハリファックスらの政敵たちに追いつめられながらも、自らの信念を貫こうとしますが……。

現在では指導者として高く評価されているチャーチルですが、この時期はまだ首相としての足場も固まっていない時代。孤立無援と言える状況の中、彼は苦悩しつつもヒトラーとの交渉を拒否して断固戦い抜く姿勢を見せ、ダンケルクからの撤退作戦を指揮します。ちょうど昨年公開された『ダンケルク』や、2010年公開のアカデミー賞作品賞受賞作『英国王のスピーチ』と同時代を描いています。ダンケルクで激闘が行なわれていたその時、英国国内では何が起きていたのかがわかる映画なので、見比べてみるのも興味深いでしょう。

素顔が想像できないほどチャーチルそのもの

(写真左)LAプレミアに出席したゲイリー・オールドマン
(写真右)『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』でチャーチルを演じるオールドマン
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チャーチルはとてもクセの強い人物です。朝から酒を飲み、風呂に入りながら秘書(『シンデレラ』のリリー・ジェームズ)に口述筆記をさせ、国王に対しても一歩も譲らない我の強さを見せる一方で、妻のクレメンティーンには深い愛情を注いでいます。変わり者で気難しく、しかし失敗を続けながらも挑戦をあきらめない勇気と明確な意志の持ち主。そんなチャーチルの声や話し方、まとう空気までオールドマンは完全再現。もはや素顔が想像できないほどチャーチルそのものになりきっているのです。

もちろん、そこにはメイクの力も重要です。2度アカデミー賞にノミネートされながら12年にメイクアップアーティストを引退して現代美術家に転身していた辻一弘がオールドマン直々の指名で数年ぶりに復帰。合計200時間以上もかけて作り上げたその「変身」はお見事の一言。オールドマンはこの演技でゴールデン・グローブ賞主演男優賞に輝いたほか、アカデミー賞にもノミネート。辻一弘もアカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞候補になっています。

初期から光っていたゲイリーの演技力(変身力)

『シド・アンド・ナンシー』でシド・ヴィシャスに扮したオールドマン(右)
(c)Starstock/Photoshot

さて、そんなゲイリー・オールドマンが初めて我々の前に現れたのも実在の人物を演じた時でした。彼が日本デビュー作『シド・アンド・ナンシー』(1986年)で扮したのは元セックス・ピストルズのシド・ヴィシャス。実在の人物ではほかに、『JFK』(1991年)でケネディ大統領狙撃犯とされるリー・ハーヴェイ・オズワルド、『不滅の恋 ベートーヴェン』(1994年)でベートーヴェンを演じたことも。パンクロッカーと楽聖を演じ分けられたのですから、初期から彼の演技力(というか変身力)は光っていたのです。

そして、何と言ってもオールドマンを有名にしたのは悪役演技でした。しかし、一言で「悪役」と言っても彼の場合は同じような演技がありません。『ドラキュラ』(1992年)では古典モンスターを現代的にアレンジ、『レオン』(1994年)で冷酷非情な悪徳刑事を、『告発』(1995年)で囚人を虐待する看守を演じたかと思えば、『フィフス・エレメント』(1997年)、『ロスト・イン・スペース』(1998年)ではSF世界でカラフル&コミカルな味をプラス。『エアフォース・ワン』(1997年)のテロリスト役で大統領に扮したハリソン・フォードと互角に渡り合い、『ハンニバル』(2001年)では素顔を見せないまま凄味ある演技を見せてくれました。

『ハリー・ポッター』シリーズでシリウス・ブラックを演じるオールドマン(左)
(c)Starstock/Photoshot

いずれも一度観たら忘れられない強烈なものですが、その一方で「悪役俳優がいい人を演じると、ものすごく頼もしく感じる」という方程式をも確立してくれたのです。その例が『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(2004年)でシリーズに初登場したシリウス・ブラックと『バットマン ビギンズ』(2005年)に始まる『ダークナイト』三部作におけるゴッサム市警のジム・ゴードンでしょう。以降の彼は、善悪・主役脇役何でもありの大活躍を見せています。

そんなカメレオン俳優の素顔はどうなっているのか? 『ロスト・イン・スペース』のキャンペーンで来日したオールドマンに会ったことがあるのですが、アクの強そうなイメージとは大違いで、物静かで優しい目をしたジェントルマンでした。本人が無色透明だからこそ、いろいろな色に染まることができるのだろうな、と思わせてくれたのです。