文=平辻哲也/Avanti Press

1995年3月20日に都内で同時多発した地下鉄サリン事件。その被害者である、さかはらあつし監督が、元オウム真理教で現Alephの広報部長の荒木浩氏との旅を描いた『AGANAI』を製作中だ。香港国際映画祭(3月19~20日)の「アジア・ファイナンス・フォーラム部門」に参加することになった本作は、9割ほど完成。世界に出資を募って、ニュース映像の購入費やナレーションの製作費などに充てたいという。さかはら監督が事件当日を生々しく証言、映画への思いを語った。

地下鉄サリン事件に遭遇して

さかはら監督は当時、大手広告代理店「電通」に勤務し、入社2年目の29歳。この日は資生堂のプレゼンが予定されていた。麻布十番のアパートから築地にあった会社に向かうため、午前8時すぎ、日比谷線六本木駅から乗車した。

さかはらあつし監督

「僕ほどサリンの近くにいた人はなかなかいないと思うんです。1両目の前から3つ目の扉から乗ったら、透明の液が床に溢れていた。誰か、ペンキでもこぼしたのか、と思った。入ってすぐの席で60歳くらいの男性がぐったりとしていた。変だなとは思ったけど、男性の隣の席が空いているので、座ろうと思った。でも、乗客があまりにこっちを見るので、座るのをやめて、車両の最後尾で吊革に捕まっていた。変な匂いがするので、2回吸った。そうしたら、次第に目の焦点が合わなくなってきて……」

異変を感じたさかはらさんは次の神谷町駅に着く前に、2両目に移動。「ちょうど日経新聞でオウムの記事を読んでいた。脳裏を過ぎったのは、少し前に週刊誌で読んだ松本サリン事件の記事。それが一瞬にして、繋がった。マタニティドレスの女性が脂汗を流していて、倒れた人もいた。神谷町に着いたら、誰かが駅員さんを呼びに行ったので、これで解決かなと思ったら、構内アナウンスで『築地駅で爆発事故』と流れてきた。これでは、会社に行けないなと思って、改札を出た。その頃から、急に世の中が暗く見えた。タクシーを捕まえると、報道の車がたくさん走っていて、関係者が地下鉄の階段を降りていくのが見えたので、何が起こったのかなと思った」

会社に到着した後も、目の不調は続く。社内でシャワーを浴びても、すっきりしない。何かテレビで報じていないかどうか、京都の実家にもかけたが、その時点では何もニュースは流れていなかった。8時40分、26階のオフィスにいると、出社してきた人から「目が真っ赤だから、病院に行った方がいい」と言われ、目の前にある聖路加病院へ。そのままストレッチャーで運ばれた。点滴を打ってもらいながら、病院のベンチで寝ていた。午後2時くらいになって、サリンらしい、という話を知った。サリンには近かったけども、そんなに吸わずに済んだ。距離よりも、風の流れが影響を与えたのではという話を後で聞いた。すぐにシャワーを浴びたのが良かったという人もいた。本当は入院すべきだったが、若手社員だったし、会社の向いにある病院ではなかなか(入院)できなかった。特に異常は見つからなかったが、2週間くらい体調不良が続いた」。さかはら監督が乗った車両では1人が死亡し、532人が重症を負った。

プロデュース作品『おはぎ』がカンヌで短編パルムドール受賞

事件を機に、6月末に退社。その後は波乱万丈の人生を歩む。1996年に渡米。2000年にMBAを取得。2001年、プロデューサーを務めた『おはぎ』が、カンヌ映画祭にて短編部門の最高賞パルムドールを受賞した。同年、結婚もしたが、元オウム真理教の関係者だったことが分かり、離婚。2013年から両親のいる京都に戻り、コンサルタント業や西新宿に実在する理容店が繁盛店になるまでを描いたビジネス書「小さくても勝てます」(ダイヤモンド社)を出版するなど活動を続けている。

評判のビジネス書「小さくても勝てます」(ダイヤモンド社)

オウム真理教をテーマにした本作『AGANAI』は、2013年4月、四国から東京に向う飛行機の中で、突然意識がなくなり、腰椎を圧迫骨折したのがきっかけ。あるプロデューサーから「言いたいことがある人は、プロデューサーは無理。監督をやった方がいい」と助言されたことも後押しになった。「19歳の時に自殺した親友と『アカデミー賞を取る』という約束もした。生きている間に何としても初志を貫徹し、映画を作らなければならない。サリンを吸った自分にしか撮れない映画を作りたい」と決意した。

2014年1月にAleph側にコンタクトを取り始め、地下鉄サリン事件から丸20年となる2015年3月に広報部長、荒木浩氏の出演を取り付けた。「Alephには20人くらいの幹部がいて、なかなか決まらず、1年以上交渉した。初めはいろいろなことを考えた。教団施設に住まわせてくれと頼んだこともある。上祐史浩さんとも連絡を取った。顔出しOKだったのが荒木さんしかいなかった」

サリン事件を撮る――
その対象は同じ京大出身のオウム元広報部長

映画は、サリン事件の被害者である、さかはら監督と、事件の加害団体であるオウム真理教の元広報部長が旅するというロードムービー。「13~14年にかけて、車でお遍路をやった。宗教的に強い信仰はないけど、その時に知ったのは、場所には力がある、ということ。その土地土地の力を借りて、オウムと対峙しようと思った。

最初、考えたのは北米旅行。後遺症で僕は運転できなくなるので、荒木さんに運転を代わってもらう。そうしたら、サリンの辛さを分かってもらえるだろう、と。でも、荒木さんは『僕は国際的にテロリストとして登録されておりアメリカに入国できない』というので、実現できなかった」

ドキュメンタリー映画『AGANAI』より

2人が向かうのは互いの出身地である京都。さかはら監督が1966年、荒木氏が1968年生まれと、ほぼ同年代。ともに京都大学出身。同じ景色を見ながら、10~20代前半を生きてきた。

行く先々で、生い立ちから、一連のオウム事件について、荒木氏がどう思っているのかを、さかはら監督が聞き出していく。「荒木さんは、ナイーブで責任感のある人。道中、Alephに公安調査庁の立ち入りがあったけれども、1度、帰って、戻ってきてくれた。ひどいことも言ったけども、本心ではなくて、そう言ったらオウムを出てくれるかな、と思ったから。何度も荒木さんに、『オウムを辞めてくれない? そうすれば、この映画は素晴らしい映画になる』と頼んだけども、返事はしてくれなかった」と笑いながら話す。

これは誰かがやらないといけない映画

大学などで未完成版の試写会も実施しているが、ニュース映像の購入、ナレーションの費用、英語字幕の製作費のほか、今後の活動のため、1000万円程度が必要だという。「本当にお金には苦労しましたが、ここまで一切妥協はしなかったし、自分の映画作りというものがよく分かった。何度も映画を観ると、PTSD(心的外傷後ストレス障害)なのか、中毒による後遺症なのか、体の調子が悪くなる。みんなが忘れたいことをわざわざ映画にするのだから、マゾもマゾですね。でも、これは誰かがやらないといけない映画。私はオウムに負けなかった」

警視庁の報告書によると、乗客や駅員ら13人が死亡、負傷者数は6300人以上とされる地下鉄サリン事件。今、改めて、どう事件を見ているのか。「自分にとっても、最悪の事件でしたが、そこにいた私が悪かったと思うようにしています。最悪とするのも自分次第、苦しみが大きければ、喜びも大きい。その苦しみは私にしか言えないことを言える機会をくれました。今、そういう昇華のさせ方をしようとしているのだと思います」

世紀のテロ事件と20年以上向き合った執念の作品の完成が待たれる。