4月6日より公開となるトッド・ヘインズ監督の新作『ワンダーストラック』は、半世紀もの時間差のあるふたつの時代を、パラレルに描いた新感覚のジュブナイル冒険劇。この作品では時空を越えるキーとして、デヴィッド・ボウイの名曲「スペース・オディティ」が選ばれている。映画俳優としても活躍したボウイの楽曲は、これまでも多くの鬼才監督を魅了し、かけがえのないインスピレーションを映画に与えてきた。その数例をご紹介したい。

青春と孤独に寄り添いつづける

まず、ボウイの曲を最もエモーショナルに鳴り響かせた一本として挙げたいのが、レオス・カラックス監督の『汚れた血』(1986年)。

カラックスはここで「モダン・ラブ」を選び、主人公アレックスが夜の街を走り抜ける場面に併走させた。音楽と映像とが共に走り、両者が追いつ追われつのデッドヒートを繰り広げるワンカットのシークエンスは、ボウイの才能に映画があらん限りの敬意を評した記録として後世に残るだろう。

青春の息吹きが生々しく顕在化しているのはもちろんのこと、既成曲と映画がこんなにも互いを高め合うことができるのかと、感動せずにはいられない。まるでボウイが「モダン・ラブ」をこの映画のために書き下ろしたような錯覚がもたらされる。

ボウイと青春、そして少年少女は相性がいい。巨匠ベルナルド・ベルトルッチは大病を患い映画界から遠ざかっていたが、復帰作『孤独な天使たち』(2012年)は可憐な青春映画となった。ひとりの少年の孤独と、その異母姉の孤独とが出逢い、かけがえのない時間を育むこの佳品を彩るのは、ボウイの「ロンリー・ボーイ、ロンリー・ガール」だ。

この曲は「スペース・オディティ」のイタリア語ヴァージョンで、イタリア人作詞家が書き下ろした原曲とはまったく違う詞世界をボウイ自身が歌っている。ボウイが英語ではなく、慣れぬイタリア語で歌うことで生まれる初々しさが、少年少女の閉塞感とそこから脱することへの希求に見事に寄り添い、すこぶる良質の余韻を授けている。

ベルトルッチはこの曲の存在を知らず、偶然ラジオで耳にし、この映画を発想したのだと言う。「ロンリー・ボーイ、ロンリー・ガール」というタイトル自体が、映画『孤独な天使たち』が描くものに鮮やかに合致しており、ここでもボウイの歌声は「映画のために存在していた」かのような印象を与えるのだ。

まるで書き下ろしのような既成曲たち

ラース・フォン・トリアーの『奇跡の海』(1996年)は全7章形式で紡がれる、異形の愛の物語。各章の冒頭には「扉」が用意されており、CG処理された風景の映像がまるで宗教画のように存在する。

そのとき流れるのが、映画の舞台となる1970年代初頭のヒット曲。当時はグラム・ロック全盛期であり、その周辺の楽曲が、章が変わるたびに流れることになる。それぞれ30秒程度なのだが、エピローグの「扉」に流れる曲だけは例外的に長い。実に1分20秒。それがデヴィッド・ボウイの「ライフ・オン・マーズ?」である。

トリアーが、グラム・ロックの権化でもあったボウイとその楽曲に、映画のクライマックスを預けたことは一目瞭然。エピローグの後、この映画はタイトル通り「奇跡」を描くが、その「奇跡」を迎え入れるように「ライフ・オン・マーズ?」はそこにいる。

宇宙人を思わせる透明なボウイの歌声。崇高にピークにのぼりつめていく曲は、信仰心を極端なかたちで描いたこの映画において、まるで賛美歌のように昇華している。ボウイの曲には「映画を見守る」特異な力があることを、わたしたちは体感することになる。

デヴィッド・リンチは『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』(1992年)でボウイを俳優として起用したが、なんと「ツイン・ピークス The Return」(2017年)でも出演オファーしていたと明言している。御存知の通り、ボウイは2016年に死去。残念ながら再会を果たすことはできなかったが、リンチは自身の監督引退作となる「ツイン・ピークス The Return」で過去の映像を使ってボウイを登場させている。

そんなリンチは『ロスト・ハイウェイ』(1997年)の冒頭と末尾に、ボウイの「アイム・ディレンジュド」を流した。“ノー・リターン、ノー・リターン”という呪詛のようなフレーズが、始まったら戻ることを許されない奇っ怪なミステリーと共に疾走する。極めてダークな味わいの傑作アルバム「アウトサイド」に収められたこの曲もまた、ボウイがリンチのために書き下ろしたオリジナル楽曲に思えるから不思議だ。

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トッド・ヘインズ監督は、過去にもボウイの楽曲を起用

そして、公開が迫る『ワンダーストラック』は、1977年を生きる少年と1927年を生きる少女とが、同じニューヨークで交錯する様をエモーショナルに見つめた佳作で、物語を「読む」醍醐味に満ちあふれている。

そんな同作を監督したトッド・ヘインズは、かつて『ベルベット・ゴールドマイン』(1998年)という作品で、どう見てもデヴィッド・ボウイとしか思えないロック・スターの過去と現在を描いたことがある。脱皮と転生を繰り返したボウイのキャリアへの愛憎が入り混じったこの作品のタイトルはボウイの楽曲タイトルである。

だが、ボウイは楽曲使用を認めなかったという。つまり、『ベルベット・ゴールドマイン』という映画なのに、「ベルベット・ゴールドマイン」が流れないという不条理。しかし、いまにして思えば、そのことによって映画の陰影は深くなったとも言える。

あれから20年。もうボウイはこの世にはいない。ヘインズは、『ワンダーストラック』でボウイへの最良のオマージュを捧げたのである。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)