『先生を流産させる会』(2011年)や『ライチ☆光クラブ』(2016年)の内藤瑛亮監督がメガホンをとり、4月7日から公開される『ミスミソウ』。同作は、「『先生を流産させる会』の監督の新作」と呼ぶにふさわしい、強力なインパクトとわたしたちの深層をえぐり出す問題意識に貫かれた、必見の一作に仕上がっている。

私たち全員が抱える問題点を鮮明に映す

原作は押切蓮介の同名コミックで、過疎化する町を舞台とした壮絶な復讐劇を描く。

主人公は、イジメの標的にされた女子中学生・春花。転校生である彼女への嫌がらせは次第にエスカレートし、あるとき、彼女の家に火が放たれてしまう。両親は焼死。辛うじて妹は一命を取り留めるが、全身に大火傷を負い、ほとんど植物人間と化す。絶望のその先から帰還した春花は、なんと登校を再開。卒業式まであと2ヶ月という時期に、ひとりひとりを制裁していく。

イジメもバイオレンスだが、復讐もバイオレンス。中学生同士の出口のない地獄に、内藤監督は容赦ない描写の数々で肉薄していく。

たしかにショッキングではあるし、目をそむけたくなる人もいるだろう。だが、この映画はホラーでもないし、スプラッターでもない。わたしたちが生きているこの世界について、もう一度考え直すために、これらの強度のある描写は選び抜かれている。

つまり、血なまぐさいカルト映画ではなく、人間が抱え持つ根源的なクライシスを問いかける普遍的な作品なのだ。過激に映るシークエンスは、どれも観客に対する一種の「気付け薬」である。

(C) 2017「ミスミソウ」製作委員会

イジメとは何か?報復とは何か?

田舎町の中学校という閉鎖されたコミュニティで起きていくこの悲劇は、たとえばニートと呼ばれる社会的弱者がさらなる弱者をターゲットにして袋叩きにし、壊滅させていくネットにおける炎上の構図のトレースにも思える。

クライマックスで描かれるのは、最後の抵抗としての復讐ではあるが、それは決してカタルシスには向かわない。この映画に向き合うわたしたちは、もはや勧善懲悪というお気楽な救済などどこにもないことを目の当たりする。そのことは、残酷な描写よりはるかに辛く、痛く、鮮烈な真実である。

では、どうしたらいいか? 本作は、わかりやすい答えを提示するのではなく、観た人ひとりひとりが考えるしかない状況に追い込んでいく。それこそが、本作のオリジナリティだ。ほんのちょっとしたボタンのかけ違いで、後戻りのできない最悪の悲劇は起こるのだということ。暴力の彼方に、過酷な叙情が浮かび上がる体験は、きっと忘れられないものになるだろう。

本作が迎える結末は、原作とは違う。そこには救いがあるとも言えるし、よりシリアスな結論だと捉えることもできる。あなたは、この映画を観て、なにを思うだろう? これは絵空事で、わたしには一切関係がない。そう言い切れる人は、この日本に何人いるのだろうか。

かつて子供だった人。かつて学校に通っていた人。(レーティングはR-15なので)真っ只中にいるミドルティーンのみならず、『ミスミソウ』はあらゆる大人が観なければいけない怒涛の映画である。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)