持ち前のバイタリティと芸術的才能を遺憾なく発揮し、時代を反映する演劇を次から次へと生み出しつづけた蜷川幸雄。いかなるときも止まることなく、新しいものを生み出すことに挑戦しつづけたその動的なスタンスから、しばしば“疾走する演出家”と呼ばれた。息を引き取るその日まで世界の演劇界を牽引したその姿は、まさにトップランナーと呼ぶにふさわしい。

そんな蜷川の死から2年、2018年は三回忌の年になる。しかし彼の残り香は未だ演劇界に満ち、そのDNAは“秘蔵っ子”と呼ばれる役者たちの中に生きつづけている。4月7日(土)からは、三回忌追悼企画『蜷川幸雄シアター2』が上映されていることもあり、蜷川が残した影響を、今改めて確かめたい。

愛情から生じる厳しさ…怒号が飛ぶ稽古場

蜷川は、ストイックな演出家として知られる。プロジェクトに関わる人々には極めて高いクオリティの仕事を求め、自らにもそれを課した。特に若手俳優の演技指導はとても厳しいと言われていた。

相手が有名俳優だろうと、報道陣が詰めかける公開稽古の現場だろうと、そんなことは関係ない。覇気の感じられない役者には容赦がなかったそうだ。木村拓哉も、少年時代に蜷川から“鬼の演技指導”を受け、ストレスで後頭部に白髪が生えたという。

しかし指導に熱と魂がこもるのは、役者に対する期待値の高さゆえ。親心にも似た混じりけのない愛情から生じる厳しさは、数多くの優秀な人材を育んできた。蜷川の指導により才能が開花し、実力派として演劇界を代表する存在となった俳優は数多くいる。

蜷川に才能も根性も磨かれた俳優たち

『身毒丸』

“鬼の蜷川”の秘蔵っ子としてよく知られている藤原竜也は、1997年、蜷川幸雄演出の舞台『身毒丸』の主演オーディションでグランプリを獲得し、弱冠15歳の若さで俳優としてデビューした。最終審査で藤原と面接した蜷川は、ダメ出しに対する反応のよさと、何色にも染まっていない純朴な演技に可能性を見たという。

採用後の稽古では、蜷川の厳しさに何度も泣き、辞めることも考えたという藤原。しかし公演中は満身創痍の肉体に鞭を打ちながら鬼気迫る演技を見せ、演劇界にその名をとどろかせた。その怪演ぶりは「まだ15歳ではあるが、本公演の主役でプロの演劇デビューを果たし、目をみはる感動的な大胆さと自信を持って、愛と苦悩の情を全身で表現している」(イブニング・スタンダード紙)と絶賛され、蜷川をも感嘆させた。

その後、蜷川は何度も自身の演出作品に藤原をキャスティングした。『ロミオとジュリエット』(2004年)や『ハムレット』(2003年、2015年)といったシェイクスピア作品、『オレステス』(2006年)といったギリシア古典、『近代能楽集〜弱法師〜』(2000年、2001年、2005年)といった日本の現代演劇など、2人の仕事は数限りない。

蜷川と藤原のスタンスは、重なるところがたくさんある。藤原は2012年の朝日新聞の取材で、蜷川について聞かれた際、「土台から僕を創り上げた人。私生活すべて削り落として向き合った。今も細胞の6、7割は蜷川さんでできている」と答えている。藤原の中に、蜷川のDNAが多分に受け継がれていることは確かだ。

蜷川が見出した逸材は藤原竜也だけではない。例えば小栗旬は2003年、蜷川幸雄演出の舞台『ハムレット』に初出演して以降、蜷川作品の常連となり、翌年の『お気に召すまま』(2004年、2007年)では、ヒロインと結ばれる主要な役のオーランドーを好演して存在感を示した。『間違いの喜劇』(2006年)では、蜷川作品で初めて主演をつとめ、一人二役で双子の兄弟を見事に演じて、各方面から高い評価を受けた。小栗も藤原と同様に、稽古場では蜷川の怒号を浴びつづけたという。しかしその“熱血指導”により小栗の演劇的才能が存分に引き出されたことは言うまでもない。

そして吉高由里子もまた、蜷川幸雄と出会って女優としての才能を磨かれた人物の一人である。蜷川と吉高が初めて仕事をともにしたのは、蜷川が監督を務めた映画『蛇にピアス』(2008年)だ。なんと吉高は、「世界のニナガワ」を生で見られるからという理由でオーディションを受けたという。当時はまだ無名だった吉高だが、見事ヒロインの座を獲得。「裸のシーンが多い映画なのに、裸を見ないで撮れるんですか?」と蜷川の前で裸体をさらし、蜷川の方を照れさせたという逸話はさすが吉高といったところ。

撮影現場では吉高に対して容赦なくゲキが飛ばされたようだが、蜷川いわく、本人は少しもそれに動じなかったという。当時、朝日新聞の取材に「ガチガチに固めず、泳がしてくれた」と答えた吉高の言葉からも想像できるように、蜷川はただ頭ごなしに役者を叱りつけるばかりでなく、寛容な心で役者の個性を尊重し、生産的な現場をつくり上げていたことがわかる。

演劇界を騒然とさせた蜷川の死

『じゃじゃ馬馴らし』

いつまでもエネルギッシュに芸術活動を続けると思われた蜷川だったが、2016年5月12日に亡くなった。告別式には、渡辺謙をはじめ、そうそうたる演劇関係者が弔問に訪れ、平幹二朗、大竹しのぶ、吉田鋼太郎、小栗旬、藤原竜也の5人が弔辞を読んだ。

藤原は、「気を抜いたら、バカな仕事をしてたら、怒ってください。1997年、蜷川さん、あなたが僕を産みました。(中略)最高の演劇人生をありがとうございました」と、演劇界の父である蜷川に、振り絞るような声で感謝の言葉を伝えた。

また小栗は、「今、僕がこの場所に立っているのは、間違いなく蜷川さんの劇団の一員にしてもらったおかげです。(中略)僕が会いにいくまでにそっちで新しい『ハムレット』の演出を考えていてください。その日に『ダメになったな~』と言われないように僕は僕で、こちらで苦しんでみようと思います」と、蜷川不在の世でたくましく成長していく決意を表明した。

蜷川幸雄三回忌追悼企画『蜷川幸雄シアター2』

『NINAGAWA・マクベス』

伝説として語り継がれる作品を数多く残し、今後の演劇界を担う優秀な人材を幾人も育て上げた故・蜷川幸雄。彼に哀悼と敬愛の意を表し、蜷川演劇の傑作選が全国10か所の映画館で上演されている。

4月7日(土)~13日(金)にかけての第1弾は、シェイクスピア悲劇を大胆に、時代を日本の安土桃山時代に移した『NINAGAWA・マクベス』(2015年)。市村正親と田中裕子が、呪われたマクベス夫妻を迫力満点に演じる。

4月14日(土)~20日(金)にかけての第2弾は、藤原竜也と白石加代子のゴールデンコンビによる「身毒丸」として上演された『身毒丸 ファイナル』(2002年)。母を売る店で買われた女・撫子と、死んだ実母を慕い続ける義理の息子・身毒丸との禁断の愛を描く衝撃作だ。

4月21日(土)~27日(金)にかけての第3弾は、蜷川が400年前のシェイクスピア劇団を再現し、男性キャストのみでの演出を試みた『じゃじゃ馬馴らし』(2010年)。ドレスを着た市川亀治郎(現・猿之助)がおてんばヒロインを熱演し、歌舞伎とはまた一味違う新たな女性像を魅せる。

以上は新宿バルト9ほか、札幌、川崎、名古屋、大阪、博多など、全国10か所の映画館で上映される。蜷川作品のファンはもちろん、これまで蜷川作品を観たことがない人も、この機会に彼が役者たちとつくり上げた芸術に触れてみてはいかがだろう。

(桃源ももこ@YOSCA)