3月18日放送の「おしゃれイズム」(日本テレビ系)に出演したお笑いコンビ・尼神インターの渚が、「その当時(養成所には生徒が)600人くらいおって、(誠子は)ダントツに輝いてブスやったんですよ」と、誠子とのコンビ結成秘話を語った。当時別のコンビを組んでいた誠子は、渚に「解散しろや」と詰め寄られ、「断ったら絶対(渚に)シバかれると思って」と、組んでいたコンビを解消したのだそう。

尼神インターのように、養成所で出会ってというのも多く見られるが、コンビを結成したキッカケは様々。今回は芸能界で長く活躍する大物コンビにまつわる結成秘話を紹介しよう。

ディスコで顔を合わせたことがきっかけで生まれた「とんねるず」

先日、冠番組の「みなさんのおかげでした」(フジテレビ系)が最終回を迎えたとんねるず。二人の出会いについて、2012年12月27日放送の深夜ラジオ「JUNK おぎやはぎのメガネびいき」(TBSラジオ)に出演した石橋貴明が明かしている。

二人は同じ帝京高校に通っていたが、部活が違ったこともあり、特に親しいわけではなかった。高校在学中からひとりで「TVジョッキー」(日本テレビ系)に出演し、「東京に石橋あり」と出待ちが出るほど人気があった石橋は、当時コンビでなければ参加できない「ドバドバ大爆弾」(現・テレビ東京系)という番組のオーディションを受けるために、ディスコで顔を合わせたことのあった木梨に声をかけた。二人でオーディションを受けたところなんと、400組の中から1組だけ合格。見事番組出演を果たした。

その後、就職が決まっていた二人は芸能界に入ることなく会社員として働いていたが、「ドバドバ大爆弾」のスタッフがオーディション番組「お笑いスター誕生!!」の制作を手がけることになり、印象に残っていた石橋と木梨に声をかけた。素人ながらエネルギッシュな芸風がウケ、5週目まで勝ち進んだうえにCMのオファーまで来たことをきっかけに正式にコンビを組み、お笑い芸人としてやっていくことを決意。こうして、後に数々の伝説を生み出す「とんねるず」が生まれたのだ。

ダウンタウンとウッチャンナンチャン、夢はお笑い芸人ではなかった!?

2015年10月4日放送の「下がり上がり」(フジテレビ系)にて明かされたのは、ダウンタウンの誕生について。ダウンタウンの二人は、小学校からの付き合い。松本は高校卒業後就職が決まっていて、浜田も競艇選手を目指していた。しかし、学力テストで落ちてしまい競艇選手を諦めた浜田が松本を誘い、お笑いの道へ進むことに。その後、数々の芸人を輩出する吉本興業の養成所・NSCに第1期生として入学し、そして大スターへの階段を駆け上がったのだ。

ウッチャンナンチャンの二人の出会いは、映画の専門学校である「日本映画学校」(日本映画大学の開学により現在は閉校)。結成当時の話は、『クイック・ジャパン』vol.106の内村のインタビューでも語られている。

内村は映画監督を目指していたが、必須科目にお笑いの授業があり、南原と組むことに。実は、はじめお互いに別の相方とコンビを組もうとしていたが、うまくいかなかったため解散。クラス内ではほとんどコンビが決まってしまっていたため、余り者同士でコンビを組むことになったという。ちなみに、当時内村が一番仲の良かったのは、同じ学校に通っていた出川哲朗。しかし、本能的に出川とは組まなかったそうだ。

内村がネタを書き、当時講師として日本映画学校に来ていた内海好江の前で披露すると褒められ、マセキ芸能社にスカウトされた。卒業後、「お笑いスター誕生!!」に出演すると1回目は準優勝、2回目は4位、3回目には優勝を果たす。実は3回目に挑戦する際、内村は「今度優勝しなかったら解散しよう」と南原に伝え、南原もこれを了承していたが、優勝してしまったためそのままウッチャンナンチャンとして活動していくことになったそうだ。

お笑い史に名を残す芸人たちは、「面白い相方」を見つける能力にも長けていたのだろう。素人時代からその嗅覚を持っていたこと自体が、もはや才能なのかもしれない。

(文/河村綾香)