米軍基地問題を背景に、閉塞状況に陥って久しい今の日本に住む若者たちの、行き場のない怒りや苛立ち、そして哀しみ、友情などを、ラップのクールなビートに乗せつつ荒々しくも繊細に描いた青春映画『大和(カリフォルニア)』が4月7日から公開される。現代日本の闇を討つインディペンデント映画ならではの自由な着想と若さ溢れるエネルギッシュな快作として、強く推したい。

日本とアメリカを対峙させながら描かれる若者たちの息吹

大和(カリフォルニア)

『大和(カリフォルニア)』とは何とも不思議なタイトルだが、まず“大和”は、本作の舞台となる神奈川県大和市を指すとともに、“ヤマト”という言葉の響きから容易に想像できるように、“日本そのもの”を象徴していると捉えていい。

そして、日本の海上自衛隊とアメリカ海軍が共同使用している厚木航空基地が大きくまたがる大和市と綾瀬市は、その住所がアメリカのカリフォルニア州に属しているという都市伝説が昔からある。

つまり本作は、大和=日本の中にカリフォルニア=アメリカが存在しているという、戦後70年以上続く厳然たる事実を示唆した秀逸なタイトルを抱きつつ、現代日本が抱えた様々な社会問題を見据えながら、そこに生きる若者たちの息吹を真摯に描いていく青春映画なのだ。

シンクロする現代社会に対するアンチテーゼ

大和(カリフォルニア)

大和市に住む10代の少女・長嶋サクラ(韓英恵)は、母(片岡礼子)と兄(内村遥)、現在の母の恋人で米兵のアビーに囲まれて生きている。ラッパーに憧れて練習を重ねつつ、その一方で上手く言葉にできない日々の鬱屈やイライラなどを喧嘩で晴らす日常を過ごすサクラ。そんなある日、アビーの実の娘で日米ハーフの少女レイ(遠藤新菜)がカリフォルニアからやってきた。一見まったく真逆の佇まいのサクラとレイ。しかしながら、偶然にも好みの音楽が似ていたことなどから両者は急速に接近していく……。

大和(カリフォルニア)

厚木基地の周辺は昔も今も騒音問題が深刻ではあるが、本作のヒロイン・サクラのイライラはどこかしら、その騒音からもたらされているかのようでもある。しかし、彼女自身に政治的思想などは皆無で、むしろ一体何に対してイライラしているのか自分にもよくわかっておらず、それゆえになおさら短気な言動に突っ走ってしまうという、激しくもどこか切ない制御不能な暴力性が、現代社会に対するアンチテーゼとしてエネルギッシュにシンクロしていく。

主演の韓英恵が素晴らしい。鈴木清順監督の『ピストルオペラ』(2001年)で子役として映画デビューして以降、『memo』(2008年)、『アジアの純真』(2011年)、『いぬむこいり』(2016年)など、見かけの華やかさよりも実を伴う作品にこそ一貫して意欲的に出演し続けている彼女だが、今回はそのひとつの到達点といっても過言ではないほどの存在感を披露してくれている。

2018年は本作以外にも『霊的ボリシェヴィキ』が公開され、また瀬々敬久監督の入魂作として早くも話題の『菊とギロチン』も待機中となると、今年は女優としての彼女の飛躍を促す大注目の年になりそうな予感がしている。

大和(カリフォルニア)

対するレイ役の遠藤新菜も、美少女的愛くるしさの中に芯の強さが諸所に垣間見られる好演で素晴らしい(ちなみに、本作の初日と同じ4月7日に公開される『放課後戦記』では、またガラリと異なる魅力を放っている)。こうした真逆の個性を持つ少女の対比によって厚木基地を目に前にして「ここまでが大和で、あっちはカリフォルニア」というサクラの皮肉と風刺の中に哀切がこもったセリフにも、さらなる重みが加味されてゆくのだ。

監督はこれが2作目の長編劇映画となる宮崎大祐。基地問題のみならず、ヘイトや原発など現代における日本のさまざまな社会問題を、独自の音楽的センスを駆使しつつ、キャストの魅力を真摯に抽出していくキャメラ・アイは頼もしい限り。

「今」観ておくべきインディペンデント作品

大和(カリフォルニア)

かつて日本の青春映画は、特にインディペンデントから発信されるものは、社会に対する痛烈な批判や反抗精神をもって若者たちの繊細な心情を描出していくものが多かった。しかし20世紀末の閉塞感に呼応していくかのようにそのベクトルは内向きになっていき、やがては個人とその周囲のみで世界を語ろうとする“セカイ系”へ埋没していった感がある(もちろん、それはそれで優れた作品も多数輩出されていったわけだが)。

しかし東日本大震災以降、国内の情勢が目まぐるしく揺れ動き続ける激動の今、ようやく若者たちは外の世界=社会に再び目を向けながら己自身のことを叫び始めたかのような、そんな感慨をもたらしてくれるのが、この『大和(カリフォルニア)』である。決して大きな作品ではないが、今ここで観ておかないと、2018年の日本映画界を象徴する秀作として後々後悔すること必至と断言しておきたい。

(文・増當竜也)