文=佐藤結/Avanti Press

民主化を求めて街へ出た多くの学生や市民たちが、自国の軍隊の持つ銃で撃たれ傷つき、命を落とした、韓国で1980年に起きた光州事件。実際に起きたこの事件をタクシー運転手の目から描いた映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』は、21世紀に生きる私たちを1台のタクシーに乗せて、過去へと運んでいく。

ただの「割のよい仕事」のはずだったのに…

18年以上にわたって国の最高権力の座にあった朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺された翌年の1980年春。学生たちを中心とした民主化運動は活発化し、首都であるソウルはもちろん、全国に拡大していた。

妻を亡くしたキム・マンソプは、ソウルでタクシー運転手をしながら娘を育てていたが、暮らしは楽ではなかった。そんなある日、「ソウルから250キロ以上離れた南部の街・光州に外国人客を乗せていく割のよい仕事がある」という情報をつかんだ彼は、機転をきかせて乗客を横取り。怪しげな英語を駆使しながら、目的地へと向かう。

『タクシー運転手』4月21日(土)よりシネマート新宿ほか全国公開
(c)2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED.

そもそも光州事件とは?

1945年8月15日、日本の統治から解放されたものの、アメリカとソビエト連邦による分割占領を経て、1948年に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)というふたつの国に分かれることになってしまった朝鮮半島。さらに、1950年から1953年にかけては朝鮮戦争で全土が戦場となった。

その後、1961年の軍事クーデターによって朴正煕(パク・チョンヒ)が政権を掌握。1963年から大統領となり、強圧的な政治を続けていた。そんな彼が1979年10月26日に側近によって射殺されると、一時、「ソウルの春」と呼ばれる開放的な雰囲気が生まれたが、12月に粛軍クーデターを起こした全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)らを中心とする軍部は、1980年5月17日に非常厳戒令を拡大。あらゆる政治活動、および集会やデモを禁止し、金大中(キム・デジュン)などの政治家や民主化運動家を連行した。

そんな中、金大中の地元でもある光州では、クーデターに抗議する学生たちがデモを敢行。戒厳軍が武力でこれを鎮圧しようとしたため、反発した市民たちも次々と抗議の列に加わった。

『タクシー運転手』4月21日(土)よりシネマート新宿ほか全国公開
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軍事政権下では、市民が起こした“暴動”として扱われてきた光州事件(韓国では日付をとって『518』あるいは『光州民衆抗争』『光州民主化運動』と呼ばれることが多い)。1987年の民主化宣言後、1990年代に入ってようやく真相の究明(責任を問われた元大統領の全斗煥と盧泰愚は、1996年に内乱罪などにより実刑判決を受けた)と犠牲者の名誉回復が進んだ。

様々な視点から映画になった光州事件

それにともない、ドラマ「砂時計」(1995年)や映画『つぼみ』(1996年)、『ペパーミント・キャンディー』(1999年)、『光州5・18』(2007年)など、この事件をモチーフとした映像作品も作られるようになった。

『タクシー運転手』もそうした作品のうちの1本だが、ドイツ公共放送(ARD)東京在住特派員で、世界に向けて事件を報道したドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターと、彼をソウルから現地へと運んだタクシー運転手キム・サボクという実在の人物の体験をもとにしているところが特色となっている。

『タクシー運転手』4月21日(土)よりシネマート新宿ほか全国公開
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映画の製作当時、主人公キム・マンソプのモデルとなったキム・サボクの所在は判明していなかったが、映画の公開後、息子であるキム・スンピルが名乗りを上げ、ヒンツペーターと一緒に写っている写真も公開されたことから、彼の父親であることが確認された。

マンソプが光州で目にしたものとは何だったのか?

光州で何が起きているのかわからぬまま、高額料金目当てで車を走らせるマンソプを演じているのは、『殺人の追憶』(2003年)、『弁護人』(2013年)、日本から鶴見辰吾が出演した『密偵』(2016年)といった作品でおなじみの名優ソン・ガンホ。

タクシーを軽快に運転しながら登場し、娘や友人たちとコミカルなやりとりを見せていたマンソプは、思いがけずたどり着いた街で自分と同じようなタクシー運転手や大学生と出会い、彼らのような“普通の”人たちが抗議の声を上げ、そのことを理由として銃撃される姿を目の当たりにする。

『タクシー運転手』4月21日(土)よりシネマート新宿ほか全国公開
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さらに、厳しい情報統制のため市外に電話をかけることさえできない光州からほんの少し離れれば、変わらぬ日常が広がっていることにも衝撃を受ける。彼が光州で過ごした1泊2日の間に見たもの、そして、そのことによって刻々と変化していく感情が、強く伝わってくる。

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短い時間の中でマンソプが見たのは光州事件の全貌ではない。韓国の人たちが毎年5月になるたびに光州事件を思い返すように、劇場を出た私たちが「彼が見なかったこと(映画には描かれていないこと)」を知ろうとし、さらに考えることができれば、彼とのドライブはまだまだ続いていくはずだ。